『夢十夜を十夜で』

高山宏著 『夢十夜を十夜で』





読んでいて、まず「ああ、懐かしい」と思ってしまった。実は(というほどもったいぶることでもないが)僕は昔高山先生の授業を取ったことがあったのです。都立大じゃなくて非常勤で来ていた所でですが。その後ゼミも取れるチャンスもあったのですがびびって取らなかったのは今でもやや後悔。
巻末に付録として授業板書と副読用プリントも付いているが、字もプリントの作りも懐かしい。
現在の読書趣味からするとややズレるところもあるけど、でもなんだかんだで今でもかなり影響受けているかもという気も改めてしてしまった。


本書の元となった講義は明治大学国際日本学部で行われた。ちょうど震災の直後で、15回の予定の授業がちょうど10回に短縮されたこともあって、『夢十夜』を取り上げたとのことである。
学部からして留学生の受講者が多くなるはずの授業だが、ほとんどが脱落して日本人ばかりになってしまったことが自嘲気味に語られている。確かにこの授業を取って、「役に立つ」のかと考えると足が遠のいてしまうというのもわからないではない。

『夢十夜』を読み解いて得られるものはなんだろうか。
漱石は『夢十夜』に、明治という時代への違和感や不安、嫌悪の思いをこめているということは学生もすぐに感じとっている。天皇絶対主義や軍国主義の台頭という「きな臭さ」を深めていく時代にあって、この作品から漱石の抵抗の精神を読み取ることもできる。
こんな箇所を引用してみよう。「子供に「……になる」ことを命じるシステムへの疑問ないし、いっそ隠された激しい揶揄が「第四夜」である。ついておいで、そしたら「……になる」ところを、きみが「……になれる」ところを見せようと言うのだが、これは所詮空証文である。「立身」や「治産」に有効な「個」の確立を『我輩は猫である』から晩年の一連の講演まで否とした漱石だが、個を認めず全「国民」が「国体」「扶翼」に没我帰一せよという命令を是とするわけなどない」(p.132)。

高山自身が石原慎太郎が都立大に手を突っこみ解体させていくのに立会い明治大学に移った。そのことに触れた部分もある。ここらへんの経緯については『新人文感覚1 風神の袋』収録の「首都大学東京というグランド・ゼロに立つ」に詳しく書かれている。そして『新人文感覚2 雷神の撥』では見目麗しい(?)女装姿もおがむことができる。

ではこの『夢十夜』の読解から(狭義の)ポリティカルなメッセージを学び取ることが「正解」なのであろうか。仮にそういったものが前景化した授業であれば、留学生たちも何かの「役に立つ」かもと残ったのかもしれない。
言うまでもなく、文学に限らずあらゆるものが広義の政治性を持っている。しかしこの授業から、そしてこの本から得られるのはそういったもの(だけ)ではない。
「首都大学東京というグランド・ゼロに立つ」では石原とその取り巻き連中への嫌悪が書かれているが、それと同時に都立大人文学部の硬直した状況にも不満が述べられている。当時の人文学部に不足していたもの、そしてこの『夢十夜を十夜で』で得られるもの、それは「快楽」かもしれない。

夏目漱石をどれだけ広い射程で読み解いたところで、「役に立つ」とは言えないかもしれない。でもだからなんだって言うんだ? それが「役に」立とうが立つまいがそんなことは知ったことか。知ることそのものへの言い知れぬ興奮、あのころのそういう気持ちを思い出させてもくれた。



高山先生にはこれまでにも講義録は何冊かあるが、学生のレポートもふまえながらの進行はよりとっつきやすくなっている。「マニエリスム」「ピクチャレスク」「パラドックス」などなど高山ファンにはおなじみのキー・ワードもならんでいるし、例のごとく文献への豊富な言及もある。そういう点では高山宏入門書としても最適かも。もちろん『夢十夜』を深く読み込みたいという人にも。







さすがにこちらは図書館で拾い読みしただけでありますが





講義形式だとここらへんかな



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