古典!


恥を忍んで告白しますが、最近『駅馬車』をようやく初めて見ました。

ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演。象徴的にも実質的にも「これぞ西部劇!」と呼ぶべき作品。



娯楽作品としてとにかく楽しめる。
もちろんアクション・シーンも迫力十分だが、登場人物たちは個性豊かであり役割分担もはっきりしている。観客がしっかりカタルシスを得られるような展開がいくつも用意されている。
こういうのを見ると雛形の重要性というものがよくわかる。これを踏まえた上であえてズラすというのは有りなのだが、「救いようもなくダメな作品」というのはこういった雛形を押さえることができず、抑えていないことを理解すらできていないのではないか。日本では「娯楽大作」というものがまるで成立できなくなってしまったのだけれど、テレビ局の資本がどうたらとか言う前に、単純に作り手側の勉強不足なだけではないかと思えてしまうのですがね。

作品全体の大きなカタルシスとしては、ジョン・ウェイン演じるリンゴの運命であるが、他にもいくつか用意されている。その中の一つが、馬車に乗り合わせる一行の中にいるいけすかない銀行家が辿る道である。この銀行家は「納税者を保護せんとは何事か」と憤ると同時に「政府はビジネスに干渉するな。税率を下げろ」などとものたまう。こういう戯画化された資本家の姿というのはニューディールの最中の1939年に製作された映画ということを感じさせる。今の共和党員とかが見たらどう思うのだろう。

現在この作品を見るうえでは、もちろん「娯楽作品として十分に楽しい」とだけ能天気にすませることはできない。
ここに描かれる「インディアン」は単なる「野蛮人」であり、ただ略奪と残虐行為をする存在でしかない。「当時の意識を考えれば仕方がない」の一言で済ますことはできないだろう。
KKKを賛美した『国民の創生』もそうなのだが、映画的な出来栄えが素晴らしいものの明らかに人種偏見剥き出しという作品は扱いが難しい……なんて思いながらちょっと検索してみたらジョン・フォードって『国民の創生』に出演してるのね。


偉そうなことを書いてしまったが、僕は映画の古典というものをまったく押さえていないのですよね。ただこうしてふと思い立って古典を見ると、やはりはっとさせられることがある。
『ミスト』のラスト・シーンはいろいろと物議をかもしたが、あのシーンって明らかに『駅馬車』のあのシーンをふまえていいましたよね。
批評なんて「○×(新作)って結局△□(古典)なんだよね」というのを小難しく言えれば九割方完成だ、なんて感じのことをどこかで読んだ記憶もあるのですが、それはさておいても、やはり古典は押さえておかないといけませんね。

そういえばカルヴィーノの『なぜ古典を読むのか』は文庫化されたんですね。昔ちらっと目を通したのですが、きちんと読み返してみようかな。



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佐藤太郎(仮)

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