『ゴダール 映画史(全)』

ジャン=リュック・ゴダール著 『ゴダール 映画史(全)』





未読だったのですがついに文庫化ということで手にとってみました。

原題を直訳すると「真の映画史への手引き」、あるいは「真の映画史のための序説」となるそうだ。本書の内容からすると『ゴダール 映画史』という邦題は言いえて妙である。古典を中心とした複数の作品と自らの作品の一部を上映してからの講義という形は、「ゴダールによる映画史」であり、また「ゴダール作品の映画史」にもなっている。

本書は1978年にモントリオールで行われたゴダールによる講義を収めたものである。なるべく手を入れず、できるだけ話したそのままを文字に起こすという方針をとってまとめられているそうだが、そのためにいささか冗漫に思えたり論旨がはっきりしないようなところもあるが、そこらへんもまたゴダールらしいとも思えてしまう。

モントリオールという場所も78年という時期もまたうまく機能しているのではないか。
ゴダールはフランスとスイスとの二重国籍であり、本書の中で当人も述べているように兵役から逃れるために二つの国を行き来したりもしている(ここらへんの生い立ちというのは後に触れるトリュフォーとは正反対である)。北米にあってフランス語を第一言語とするケベックという土地はゴダールにとってもなじみやすかったのかもしれない。例の如く煙に巻くようなところや、どこまで本気なんだかわからないような放言ともとれるようなところもあるのだが、同時にかなり率直と思われる回想なんかもあったりする。
また78年といえばゴダールはちょうど「商業映画」へ復帰しようというころでもあり、当人もここらで自分の監督人生を回顧しておきたいというところもあったのかもしれない。


『勝手にしやがれ』について、上映時間を契約で決められていた一時間三十分以内にするための編集で、ジーン・セバーグとジャン=ポール・ベルモンドの会話の場面を、双方を少しずつ削るのではなくどちらか一方をバサっといくことにし、「そしてベルモンドとセバーグのどちらを残すかはくじ引きで決めることにし、その結果セバーグが残ったわけです」(p.58)なんてのがゴダール自身の口から聞けるとは、その場にいた人にとってはたまらなかったろう。

ゴダールは映画を撮る前に評論を行っていたことについて、当時評論を行うとは映画を作る行為そのものに他ならなかったと繰り返している。映画について語ることもまた創造行為であり、あのころは映画についてしきりに語り明かしたものだが、近頃では映画監督ですら映画について語り合うことがないという不満も述べている。
この話の流れでは、どうしてもかつての盟友であり、すでに絶交をしてから長い時間が立っていたトリュフォーの姿を思い浮かべてしまう。本書の影の主役はトリュフォーと言ってすらいいのかもしれない。

『軽蔑』について、「トリュフォーのこの映画ほど不誠実じゃありません」(p.184)と語っている。「この映画」とは『アメリカの夜』のことである。映画を作り上げることを描いた映画である『アメリカの夜』、そこで描かれないものこそまさにトリュフォーの「不誠実」さを表すものであるということを意地悪く語るゴダール。ゴダールに言わせると『大人は判ってくれない』以降、トリュフォーは「自分がかつて嫌っていたものそのものにかわったのです。(……)彼の初期の評論を読んでから彼の今の映画を見てみれば、彼があまりにかわったことにびっくりするはずです」(p.199)。
そしてトリュフォーが『未知との遭遇』に出演したことにも、もちろんネチネチ攻撃を繰り返す。

蓮実重彦やこの文庫版に解説を書いている青山真治などその周辺の人が、「ゴダールがいかにスピルバーグを意識しているか」ということをよく語っていて、正直それはどうなのよと思うところがないでもないのだが、本書での『未知との遭遇』についての触れ方などを読むと、確かにゴダールのスピルバーグへの意識はかつての親友を取られたこと以外にもあるのかもと思えてくる。

ゴダールはスピルバーグを「詐欺師」と呼び、『未知との遭遇』について、「退屈? いくらか退屈です。でもあの映画がもっと長くつづけば、それに、宇宙船に入ることができるようになったあと……だから、宇宙船のなかのセットをつくるべきなのです。もう少しアイディアを思い浮かべるべきなのです。ところがあの映画はそこで終わってしまうのです!」(p.103)としているのだが、後に「特別編」が作られ、マザーシップの内部が描かれたとき、ゴダールはどんな気分だったのだろうか。
スピルバーグは撮るべきものを撮らない/撮れないというここらへんの批判というのは後の『シンドラーのリスト』でも繰り返されることになる。


ゴダールは「私が思うに、癌がいつまでもなおらないとすれば、それはただ単に、その人が癌をなおしたいとは思っていないからなのです。なぜなら早い時期に切り取ればそれですむことだからです」(p.520)などというむちゃくちゃなことを言っているが、結局最後まで和解せぬままに、このわずか6年後にトリュフォーが癌で亡くなるとは思ってもみなかっただろう。

『勝手にしやがれ』が59年。それから8年ほどの間に革新的な作品を数々生み出し、次第に政治的に先鋭化し商業映画を離れパレスチナなどを転々とする。そしてまた商業映画に復帰しようというゴダールのこの20年間のおそるべき濃密さというのもを感じとることもできるが、どう考えてもゴダールに非があるとしか思えない親友にして盟友のトリュフォーとの別れを経験し、意地ばかりはって自己正当化に努め、それにまだ折り合いをつけられないままに青年から中年になってしまった男の苦い青春期としての姿も浮かびあがってくるようにも感じてしまった。
後にゴダールは『映画史』の中でトリュフォーへの気持ちを『大人は判ってくれない』の引用によって表すことになるが、まさに後悔先に立たずとはこのことだろう。
確かトリュフォーの書簡集には、ゴダールは辛辣なやりとりも含めてちゃんと手紙を提供したんだっけ。せめてもの罪滅ぼしということか。これも早く翻訳が出てほしいのですが。

他にもテレビに対しての独特の捉え方や、ファスビンダーのことを結構買っていたりとか、コッポラやデパルマ、スコセッシなど当時の比較的若い監督への評価なんかもなかなか面白かったです。ま、ここらへんはどこまで本音なのやらという感じでもあるのですがね。




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