「正義」とリアリズムその1

政治とは何か、と言えば「妥協のゲーム」であるとも言えるだろう。
こちらは最小限の譲歩で相手から最大限の譲歩を引き出す。
もちろんいかなる状況にあろうとも100対0は有り得ないので
どこかで多かれ少なかれ妥協が求められる。

こんなことを書いているのはもちろん例の
尖閣諸島がらみの一件である。

これが学者同士の論争であれば己の正しさを
主張すればそれでよい。
しかし政治はそうであることはできない。

「尖閣諸島に領土問題は存在しない」という
政府の公式見解は構わない。
しかしこれはあくまで建前であるのだ。
尖閣諸島の領有権を
中国が主張するのはいくらなんでも無茶苦茶、というのが
大方の日本人の反応であろうし、僕もそう思う。
一方で中国が領土問題を主張する以上領土問題は
存在してしまうのだ(現に今「問題」となっている)。

僕が気になってしまうのは尖閣問題そのものではなく
それを取り巻く環境である。
思いっきり上から目線で言わせてもらえれば
「一般国民」というものは、とりわけ外交問題に関しては
非常にナイーブなものである。

だからと言って政治家までが、とりわけ外交問題に関して
ナイーブになっていいというものではない。
政治家こそまさに「政治は妥協」という本質、つまり
正しいことを言ったからといってこちらの言い分が100パーセント
認められるという訳ではないということを忘れてはならないはずだ。

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佐藤太郎(仮)

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