『「テル・ケル」は何をしたか

阿部静子著 『「テル・ケル」は何をしたか』





1960年に「テル・ケル」は創刊された。中心人物であるフィリップ・ソレルスは新進作家として注目を浴びつつあったが著名とまでは言えず、他の編集メンバーといえばほぼ無名の存在であった。そんな「テル・ケル」は、1982年に幕を降ろすまで一度も欠号を出すことなく刊行され続け、82年以降も出版社を変え、事実上の後継誌である「ランフィニ」を現在に至るまで発行している。

いわゆるフランス現代思想というものにいくらかでも興味を持ったことがあれば、「テル・ケル」という名に神話的な響き感じたことがある人も多いだろう。
本書に登場する人々も、ソレルスと結婚することになるジュリア・クリステヴァ。クリステヴァの師であり、生涯「テル・ケル」と深い関係を結び続けたロラン・バルト。70年代から80年代にかけての雑誌の思想的バックボーンとなるジャック・ラカン。また一時は盟友的であったが袂を分かつことになるジャック・デリダ。その他にもフーコー、アルチュセール、さらにはゴダールなどきらびやかな面々が並ぶ。さらに間接的な関わりがあったスーザン・ソンタグの動向などもにも紙数が割かれている。

これだけ長期に渡って雑誌を発行し続けることができたのは、それなりの戦略があってのことだろう。当時はまだ禁忌の対象でもあったエズラ・パウンドやセリーヌを大々的に取り上げるなど、度々論争を巻き起こし、毀誉褒貶も激しかった。雑誌の色としても、「ヌーヴォー・ロマンからアルトー、バタイユへ」(四章の章題)、そして構造主義からポスト構造主義への流れでは最先端を走り、毛沢東主義からアメリカへと時代ごとに様々な顔を持つ。当然内部対立も起こり、編集メンバーも次々に交代していくが、それすらも雑誌の活力としているようですらある。

本書を読んでいて、もし僕が60年代に20代で、フランス語でも読めた日にはどっぷりはまっていたのではないかという気もする。著者は43年生まれなのでまさにこの世代にあたる。ただそのせいか、ソレルスや「テル・ケル」に対して肯定的すぎるのではないかという読後感は否めない。

90年代も後半以降にフランス現代思想だのに触れた身としては、ソレルスには「うさんくさい」というイメージを抱いてしまうし、とりわけ68年以降の極左化した後というのは醜悪に映る。あの時代状況の中で毛沢東主義に走ったことを仕方ないとするにしても、そのけじめのつけ方というのがはなはだ不十分であるとしか思えない。ここらへんについてもう少し批判的な視点なども織り込んでもよかったのではないか。

67年にクリステヴァが編集に参加することになるが、このころ起こった編集部の内部対立にからんで、クリステヴァの論文の中での数学用語の使い方に問題があるのではということが攻撃に使われたとの記述があるが、これなど約30年後に起こるソーカル事件を先取りしたような出来事だったのかもしれないが、ここらへんにもあまり深くは突っこまれていない。

76年には「中国の現実を見誤っていた」と「自己批判」するのだが、ソレルスは開き直りともとれる「自己肯定」も行う。自己批判を行ってすぐに今度はアメリカ特集を組むその「したたかさ」や「戦略」を著者は肯定的に捉えているかのような書き方をしているが、ここらへんの評価もあまり納得のいくものではない。フランスの思想は「新哲学」と称されることになる世代になると国際的に影響力を発揮する人物があまり生まれなくなるのだが(「新哲学」と「テル・ケル」の関係も深い)、結局こういう態度がそれを招いたのではないかと思うのですがね。

個性的な雑誌の風雲録として、あるいは、とりわけ60年代半ばから後半にかけての時代の雰囲気を味わうという点ではなかなか面白く読めたところもあるし、「テル・ケル」の歴史を日本語で読めるモノグラフとしては貴重だと思うだけにちょっと惜しいかったかな。


クリステヴァ視点ではこれだけど未読なのでどんなもんなのか。




バルトが74年に「テル・ケル」一行とともに中国へ行ったことを残したノート。これも未読ですが。





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