『死へのイデオロギー』

パトリシア・スタインホフ著 『死へのイデオロギー  日本赤軍派』





本書は1991年に刊行された『日本赤軍派――その社会学的物語』を改題したものである。
「日本赤軍派」というのは、連合赤軍を中心としつつその前身である赤軍派やそこから派生した日本赤軍も扱っているために考えられた編集者による造語なのだそうだ。
2003年の岩波現代文庫版のまえがきでは、「Deadly Ideology英語版はまだ完成していない」とあるが、現在も刊行はされていないようである。


1972年に「テルアビブ空港襲撃事件」が起こる。後に岡本公三と判明する犯人は、1923年に皇太子の車に発砲した「難波大助」名義のパスポートを持っていた。戦前の日本共産党、そして「転向」の問題を研究していた著者は、かねてから「日本の戦前と戦後の運動の比較をやってみたい」と思っていたこともあり、岡本へのインタビューを行い、そして赤軍派への調査も開始する。

「テルアビブ空港襲撃事件」のアメリカでの報道を受けてこう書いている。
「アメリカ人というのは、この種の暴力行為は精神異常者の仕業だとかたづけてしまいがちである。しかし私はそうは思わない。政治信条による暴力行為を少しでも減らす道があるとすれば、それは事件を起こした人の考えに真剣に向き合うこと、彼らが何に関心をもち、どのような状況下でそのような行動をとるに至ったのかを理解するように努めることしかないと、私は確信している。」(p.2)

日本でも連合赤軍の、とりわけ山岳ベース事件については、自分たちとは無関係の出来事だと受け止めた人と、あのようなことは自分の身にも起こったのかもしれない受け止めた人との落差というのはかなり大きいだろう。
個人的にはある種の「興味」を覚えないことはないのだが、生まれる前の出来事(ちょうど親の世代どころか、ずばり同い年のメンバーもいるのだが)ということを差し引いても、「実存」を揺さぶられるような事件という感覚はない。
著者の問題意識としては、そこで自分とは無縁のものだと切り捨ててしまう限り「日本赤軍派」の一連の事件を理解することはできないし、理解できない限り同種の事件が起こりうるのではないか、ということなのかもしれない。

第一部は岡本公三へのインタビューの模様が中心となっている。当時イスラエルの首相だったゴルダ・メイに手紙を書き、ようやく許可を得て紹介状を持って行くと、当時30歳で長い髪にミニスカート姿でイスラエル政府のオフィスに現れた著者を見て、「あなたがスタインホフ教授ですって?」と驚かれたそうだ。
おそらくは裁判の時に撮影されたとおぼしき写真が扉ページに使われている。岡本の幼さに目がいく。まだ高校生と言っても通用するくらいだ。

岡本はベ平連の活動にあきたらなくなり、暴力革命へと移行していく。「平和運動をすすめるのに暴力的な手段を用いることには何の矛盾も感じていない」様子であり、「目的を達成するためには、平和運動それ自体が平和的である必要はない」のだそうだ(p.32)。
ではその「目的」とは何だったのであろうか。「新しい社会でどのような価値観が具象化されるのか、岡本は明言しなかった」(p.33)とあるが、ここは「しなかった」のではなく「できなかった」というほうが正確なのではないだろうか。

裁判において、岡本は「仲間の死と犠牲者の死とを結びつけるロマンティックな」証言をしたそうである。「子供のころ、人は死ぬと星になると聞かされていました。われわれ三人の赤軍派兵士は、死んだらオリオン座になりたいと願っていたのです。われわれが殺したすべての人びともまた、同じ天の星となってまたたくのだと思うと、心が安らぎます。革命が続いていけば、星の数はどんなに増えていくことか!」(pp.36-37)。
岡本はインタビューにおいて「空港襲撃は、三島と同様なシンボリックな死を意図したものではない」としつつも、「三島は反革命だったけれど、そのドラマティックな死は評価する」としている。そして「北一輝や西郷隆盛をぼくは非常に敬愛している」とも(p.38)。

岡本とのインタビューを終え、赤軍派の研究に取り掛かった著者は、「岡本公三は普通だったというだけではなく、一つの典型だったという事実がわかってきた」(p.70)としている。
中産階級に生まれ真面目な大学生であった岡本が政治運動に関わっていくなかで先鋭化していく岡本を、著者はおそらくは一定のシンパシーを持って「典型」としている。しかし僕には、岡本、そして「日本赤軍派」の姿は、ネガティブな意味で「典型」に映る。

連合赤軍事件によって日本での政治的ラディカリズムがそれなりのの支持を集める時代は終わりを迎えた。これは間違いないだろう。
しかし、しばし言われるような、これによって学生運動や市民によるデモといった政治運動、あるいは文化までが死を迎えたという説明には違和感も覚えている。確かに「同志殺し」は特異な例かもしれないが、過激派による陰惨な事件は何も日本でのみ起きたのではない。これらの国全てで学生運動やデモが死に絶えたのかといえばそうではない。日本と北米や西ヨーロッパとの大きな違いは、経済環境にあったのではないか。

1970年前後の日本の学生運動の記録などを読むと、当時は高度経済成長の真っ只中であり、仕事を見つけることには苦労しないということがわかる(加藤倫教の『連合赤軍少年A』によると、まだ在学中だった加藤が「高卒」と偽って工場に職を求めると、「高卒引く手あまたの時代に、よくぞこんな町工場に来てくれた」と迎えられたそうだ)。
しかし工場労働者などのブルーワーカーの生活水準は経済成長のスピードと比べると置いていかれたという印象もあり、そのことに憤りを感じる学生や市民は多かった。また労働環境も悪く、組合潰しなども平然と広く行われていた。坂口弘などはもともとは工場に就職しては組合を作るという地道な活動を行っていた。それが経営側にばれると、大卒や大学中退を「高卒」だと偽ったことなどを口実に解雇されるというケースも頻発していたようだ。また連合赤軍のメンバーではないが、シモーヌ・ヴェイユばりに教職を辞めて工場に勤める道を選んだ人などもいた。
今から考えるとちょっと驚くくらいの「シンパ」がいたし、その他にも政治的には共鳴しなくとも、警察に追われている人間に一夜の宿を提供したり、いくばくかのカンパをする人もかなりいたようである。これは搾取されている人への同情と共に、「真面目」にそのような問題に取り組む活動家に好感を持つ人も相当数いたということなのだろう。

北米やヨーロッパといえば、70年代前半あたりから経済状況は著しく悪化していき、当然雇用状況も悪化していった。一方の日本では、オイルショックも狂乱物価も円高不況も雇用に大きな影響を与えることはなかった。そればかりか、「置いていかれた」と思われていた人たちにも恩恵が広がり続け、安定した生活を享受する人が多くを占めるようになった(実態はともかく、少なくともそのような意識が主流となった。いわゆる「総中流社会」)。生活への不満(やそれを抱える人へのシンパシー)が政治への不満に直結した状態は過去のものとなり、その結果として様々な政治運動へのモチベーションが失われていったのではないだろうか、と個人的には思っている。

とはいえ、潜在的に「ラディカリズム」を求める人々というのはいつの時代でもいるのではないだろうか。
70年代後半から80年代にかけて、日本でその受け皿となったのが新興宗教や自己啓発セミナーだったのだろう。そしてついに日本でも雇用問題が前景化し始めた90年代半ば以降は、それがかつての極左ではなく極右へと吸収されるようになっていったのではないか。連合赤軍の一角をなす革命左派を含む極左の多くが、当時「反米愛国」をスローガンにしていたことにも注目できる(なお「愛国」を梃子に使ったのは極左に限らず左翼に広くみられた現象でもある。このあたりは小熊英二の『民主と愛国』を参照。また90年代後半の「右傾化」については小熊のゼミ生であった上野陽子との共著の『癒しのナショナリズム』が参考になる)。
岡本の「ロマンティシズム」や、(北一輝が「右」か「左」かはややこしいが)一般には右翼とされたり右翼から崇められる人物への評価にはそのあたいの心理がよく表れているように思える。
はっきり言ってしまえば、「日本赤軍派」とは、単なる「自分探し」でしかなかったのではないかということだ。


著者は戦前の「転向」問題を研究していたが、赤軍派が形成される過程でのセクト間の争いにそれを当てはめての分析も試みる。
ブントは赤軍派の塩見孝也を「誘拐」して「転向」を強要した。しかし、塩見の「誘拐」は「どこか悪ふざけ的な面を拭いきれず」、塩見の妻は「少年のゲームのように思っていたと語っている」そうである(p.P.84)。
赤軍派の「捕虜」の一人は、この事件でのロープを使っての脱走劇の際に転落して頭部を打ち死亡する。本来なら、ここで目を覚まさねばならないのであったのだろうが、この死は「赤軍派の出版物でロマンティックに美化」されるのである(p.85)ここにも「ロマンティシズム」!。

赤軍派は「武装闘争のエスカレートとその闘いの大胆な独創性」(p.87)によってある種の人々を魅了した。
そしてついに大菩薩峠事件での大量逮捕に至る。この事件は、首相誘拐のための軍事訓練が警察に捕まれ検挙されたものである。
「七月の内ゲバや「秋蜂起」がそうだったように、一種のゲームが深刻な事態に進展していくという形をとった」(p。90)。
「そこにはどこか、ゲームあるいは冒険のような気分があったことは否めない。これを「ピクニックに行く」という暗号で呼んでいたことからも明らかである」(p.91)。
このとき押収された文書には、襲撃計画の組織図もあった。「トップには赤軍派の指導部の名があったが、京都大学や同志社大学など、一流大学出身者ばかりだった。その下には、サブリーダーたちがいたが、二流大学の出身者ばかりだった。最底辺には、青年労働者や無名校の学生たちだった。赤軍派は日本国家の打倒をめざしてはいたが、その基盤をつくっている学歴優先主義は問題にしていなかったようである」(p.94)。

それにしても、このような荒唐無稽であるばかりか醜悪ですらある行動から、なぜ引き返すことができなかったのだろうか。その極北といえる事態が赤軍派と革命左派が合併した連合赤軍による山岳ベース事件だろう。

著者はなぜあのような異様な事が起こったのかについて、三つの要素をあげている。これこそが、死へのイデオロギーである(p.151)。
その中で注目されるのが、「集団意識高揚法(コンシャスネス・ライジング)」を使ったと分析していることだろう。これによって「かなり熟練した指導者にしかコントロールできない、恐るべき集団の力を解き放つことになってしまった」。
「意識高揚法」はグループ心理療法として行われていて、「自己開発グループ」(!)にも広く用られているという。「素人がこの療法を用いるのは危険で、行きすぎが見られる場合が多い」(p.152)。連合赤軍には、この行きすぎに歯止めをかけるための「熟練した指導者」も「グループの平等主義」もなかった。
この点についての著者の分析はなかなか面白くもあるのだが、その他については特に目を引くようなものではなく、すでに広く指摘されていることが多いという印象である。

中心人物であった森恒夫について、坂東国男は「他人の批判に動じやすく自分の考えに確信がない人間」としつつも「「おやじ」的な存在だった」ともしているという(p.177)。また「森は、悪辣な人間というより自己欺瞞が巧みだった」(p.179)という別の証言もある。
森の、あるいは永田洋子や坂口弘、その他のメンバーのパーソナリティにその原因を求める分析は多い。また個人の資質のみではなく、森の「逃亡」の過去や連合赤軍が寄り合い所帯であったことなどが絡み合ってのことであることも多く指摘されている。そして閉ざされた空間での密接な人間関係が状況をよりエスカレートさせたことも。

しかし、本書で指摘されているように、山岳ベースは必ずしも完全に閉ざされた空間であったわけではなかった。あのような悪夢的状況に陥りながら、なぜメンバーは逃走しなかったのだろうか。
確かにすでに指名手配されていた人間は他に行き場がなかったし、また森は小グループに分ける際、親しい人間を分けることで相互監視体制を築き、残された人の報復を恐れさせることによって逃亡させないという狡猾なことも行っていた。ただそれだけで説明をするのもまた難しいだろう。

本書において大きな違和感を覚えるのが、最終的にこれらの疑問に対して「日本人だから」という答えになっていない答えを持ち出してしまうことである。これは岡本の行動についても同様にである。
著者は日本人に対して、所詮は付和雷同ばかりの暴力的民族だという偏見を持っているのではない。それどころかむしろ、逃亡するメンバーが活動資金を持ち逃げせずに返してから姿を消したり、一度引き受けた責任は全うしようとするといような、「日本人性」にシンパシーを抱いているようでもある。
最終的な答えを見つけることができず、それゆえこう答えることしかできなかったということなのかもしれない。英語版が完成できないというのも、資料収集をどこまでやればいいのか区切りがつかないという事情もあるのだろうが、ここにその理由があるのかもしれない。
すでに触れたように、著者は「日本赤軍派」へ少なからぬシンパシーを抱いており、そのことを隠そうとはしていない。これは著者なりの誠実さだったのであろうが、わからないことをわからないとすることも、また誠実さではないのだろうか。無理に結論めいたものを出そうとして、いささか飛躍が見られるのは残念に思える。

繰り返しになるが、僕は「日本赤軍派」とはあまりに大掛かりにしてはた迷惑な「自分探し」であったと思っている。この問題への分析の土台となる意識においては著者と共有する部分がないわけではないと思うが(本書には興味を引かれる部分も多い)、「日本赤軍派」へのシンパシーを持たない人間としては、その結論には脱力せざるをえない。一方で、「日本赤軍派」、あるいは当時の運動家の「典型」である学生や労働者に対してのシンパシーを抱いている人にとっては、それなりに説得力のあるものとなっているのかもしれない。

それにしても、エピローグで引かれる永田洋子に出された判決文である。中野武男裁判長は永田を「鬼ばば」「魔女」と評し(裁判長が法廷で!)、さらには悪名高い「女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な可逆趣味が加わり、その資質に幾多の問題を蔵していた」(p.297)というセクシズム丸出しの判決文を書いている。1982年にもなってこんな判決文を書く裁判官を有する国家と、それに抗う人々という構図を描いてしまうと、ある種のシンパシーも湧いてしまうのかもしれないという気にもさせられる。


連合赤軍について書かれた本は多い。バランスという点では十全に取れているとはいえないかもしれないが、そこに潜む軽薄さや危うさというものも込みの当時のメンタリティを知るということでは、本書には注目すべき点も多いかもしれない。


スタインホフの講演はこちらで見れますね。




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