『ミッドナイト・イン・パリ』

『ミッドナイト・イン・パリ』




ウディ・アレンといえばキャリアも長く多作であり、作風も結構多様である。「ウディ・アレンらしさ」をどこに感じるかは人によって多少のバラつきがあるかもしれない。
ただ「芸術家(志望者)」が主人公であったり、ノスタルジーをこめて過去が描かれていたり、「他の世界」に迷い込むという設定は過去作にもよく見られるものであり、あらすじを聞いただけで本作を「ウディ・アレンらしい」と感じた人も多かっただろう。そして作品を実際に見て、やはり ウディ・アレンらしいと思えるものになっている。

主人公のギルの書きかけの小説の内容、そして彼が憧れてやまない1920年代中盤から後半とおぼしきパリに迷い込むことからして、ノスタルジーが大きなテーマになっている。しかし「昔は良かったとか、歳はとりたくないものだねえ」という感じになるのかといえばさにあらず、ノスタルジーを相対化する展開にもなっている。同時に、人間は誰しも現在に不満を感じるものだ、しかし誰もここから抜け出ることはできず、今この瞬間を引き受けていかねばないのである、というような説教じみた展開になるのかといえばそういうことでもない。ここらへんのバランス感覚というか冷めた感じというのもまたウディ・アレンらしい。

途中でおやっと思ったのが、フィッツジェラルドの出番が意外と少なかったことだ。事前に「主人公がパリでフィッツジェラルドやヘミングウェイと出会い……」という紹介のされ方が多かったこともあるが、それだけではない。ギルはどちらかといえばヘミングウェイにご執心のようだったが、彼の置かれている状況というのは実はフィッツジェラルドに近い。

ギルはハリウッドで脚本家としてそれなりの成功を収め、金銭的にもなかなか羽振りはよさそうだ。婚約者はいけすかない金持ち共和党員を父親を持ち、おそらくは贅沢に慣れきっている。ギルはハリウッドを捨ててパリに移り住み小説家になりたいと夢見るが、この計画を実行に移せば「金の切れ目が縁の切れ目」となる可能性が高いことはギルには想像がついていることだろう。

スコット・フィッツジェラルドは軍務で滞在したアラバマでゼルダを見初める。しかし経済的に裕福ではなかったスコットにとってゼルダは高嶺の花であった。ゼルダを手に入れるためにはなんとしても作家として成功するしかなく、その結果生み出された『楽園のこちら側』は大成功を収め、ゼルダとも結ばれる。スコットとゼルダ夫妻はその派手な私生活も含めて時代を象徴する存在となる。アメリカの「ジャズ・エイジ」とはスコットの作品から取られた呼び名である。スコットの短編は高値で飛ぶように雑誌に売れ、その金を浪費してはまた短編を書き飛ばして金を手に入れるという生活をしていた(このせいで駄作も結構ある)。
しかしスコットは作家としての矜持を失ったのではなかった。歴史に残るような長編を書くことを決意し、フランスで仕上げられたのが『グレート・ギャツビー』だった(ギャツビーには当然スコット自身の姿も反映されている)。批評は概ね高評価を得たものの、商業的には大成功とはいかず、スコットはまた金のための短編を書き飛ばしながら、さらなる長編執筆への努力も続ける。

ウディ・アレンがここらへんに気付いていなかったとは考えにくい。ヘミングウェイにあのスコット評を言わせていることからもそれはわかる。しかも言った相手はギルである。
またギルは、ゼルダがある行動を取ろうとするところに出くわす。これはゼルダがどういう生涯を送ったのかを知らない人にとってはただの痴話喧嘩の結果に映るだろうが、ゼルダの運命を知る人にとってはここでの発言はかなり不気味なものでもある。現実のゼルダは、この頃にはすでに狂気の兆候が出ていたことだろう。
「野心的」な作品を撮ろうとする監督なら、スコットとギルを重ねたり、ゼルダの狂気を作品に導入しようとしたかもしれない。しかしウディ・アレンは肩をすくめてこう言っているようだ。「だってさ、これってただのファンタジーだよ」。

後半の展開を考えると誰かが、あるいは主要登場人物皆が手ひどい罰を受けてもおかしくはない。しかしウディ・アレンはここでは辛辣さを抑え、とってつけたかのようなエンディングまで用意する。これは日本公開としては前作にあたる『人生万歳』のエンディングとも共通している。

ウッディ・アレンのシリアスな作品も結構好きではあるのだが、やはり「らしさ」といえばこちらの方だろう。
本作でのピアスのプレゼントのくだりや探偵の末路といったドタバタ劇は、ベタといえばベタなのだが思わず笑ってしまう。しばしこの手のベタな笑いを挿入するが、これは「野心」の欠如した志しの低さを表すのではなく、律儀さと言っていいのかもしれない。

「これはファンタジーだからね」、「映画だからね」、もっと言えば「人生なんてそんなものでしょ」と言って肩をすくめつつ(これをユダヤ・ジョーク的と言ってもいいかもしれない)、それでいて律儀に押さえるべきところはきっちり押さえてもいる。これもまたウディ・アレンらしさであろうし、『ミッドナイト・イン・パリ』は、ポジティブな意味でのらしさというものを十分に堪能させてくれる仕上がりになっているのではないでしょうか。


それにしてもあのスコット・フィッツジェラルド役の俳優はなかなかいい雰囲気を出していた(『アベンジャーズ』にも出てるのかw)。彼を使ってのフィッツジェラルドの伝記映画も見てみたいかも。今さら『グレート・ギャツビー』がリメイクがされるくらいなら、フィッツジェラルドの伝記映画とかあってもよさそうなのにな。かなり波乱万丈で、映画的に仕上げることは難しくないと思うんだけど。



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佐藤太郎(仮)

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