『ヘンテコピープルUSA』

ルイ・セロー著 『ヘンテコピープルUSA』




マーセル・セローの『極北』がなかなか面白かったので、ついでにといってはなんだけど弟のルイによる本書も手にしてみた。解説は村上春樹が書いているが(訳は村井理子)、本書も『極北』と同じく父親のポールから勧められたのだとか。春樹は「親バカ」かとも思ったのだが、実際読んでみると「ぜんぜん親ばかじゃなかったんだ。悪いことを思ってしまった」という感想を持つ。これは『極北』と同じなんだけど、息子の本を薦めまくる父親もすごいがその期待に応える息子たちもすごいね。
ところで「セローさんにはもうひとり傑出した息子がいるんだけど、この話はちょっと公にはしにくいので、残念ながら伏せる」って気になるじゃん! 伏せるんなら最初から書かないでよ。いけずなんだから。


解説によると、ルイはオックスフォード大学を出てアメリカでジャーナリズムの仕事に就き、マイケル・ムーアと知り合って『TVネーション』の製作に携わる。その後BBCにてLouis Theroux’s Weird Weekendsという番組を始め人気を博す。
そのWeird Weekendsで取り上げたヘンテコな人々を、今度はテレビ・クルーを連れずに一人で再訪した(故に幾人かからがっかりされるのだが)記録が本書である。

春樹は本書の登場人物について、「正直言って、そういう人たちとあまり個人的にお近づきになりたくないですね」と書いている。取り上げられている中では知名度が最も高いアイク・ターナー初め、宇宙人を殺したと主張した男や集団自殺を遂げたヘブンズゲイトの生き残り、ギャングスタ・ラッパーにマルチ商法と自己啓発を合わせたようなセミナーを主宰する詐欺師など、確かにあまり身近にいてほしい人たちではない。

番組ではもちろん風刺がこめられているのだが、本書ではこのようなヘンテコな人たちをただ嘲笑してネタとして再び消化するだけではない。人種差別主義者が数多く登場するが、このような倫理的に問題のある人たちを一刀両断、断罪しようというのでもない。それどころか、ルイは取材対象者に少なからぬシンパシーすら抱いてしまっている節もある(ルイはインタビューで、その心理について「ストックホルム症候群」に重ねているという)。本書に登場する人たちの多くが社会的には周縁に置かれた、いわば「かわいそうな人たち」である。だからそのように世の中からつまはじきにされているような人たちを包摂してあげられるような社会を築かなければならない、というような上辺のお説教に向かうのでもない。
うむ、「シンパシー」と言うとやや違うのかもしれない。なんと言えばいいのか。そう、「とまどい」である。

その象徴的なエピソードが、白人史上主義団体のジェリー・グルードルとのやり取りだろう。激しい人種憎悪に燃えるジェリーだが、実際に会うと人好きのする老人である。ルイがイギリス出身だと知ると、自身のイギリスでの思いでを語る。ルイはこれについて、「僕とのつながりを求めていたからではないか」と振り返る。「彼の中にあるナチズムへの傾倒と、友人を作りたいという、二つの相反する衝動を垣間見」る。番組の録画を送ると、ジェリーはこう感想をこぼす。「人を馬鹿にするのがものすごく上手だな」。

ジェリーとの再会は気まずいものとなったのだろうか。いや、それどころか、ルイを気遣うジャリーに、「親戚のおじさんと話しているような気分」にもなる。祖父と孫のような関係まで出来始め、ルイがノートパソコンを紛失してしまうと、ジェリーは親身になって探すのを手伝い、チラシをつくって配り、連絡先にと自宅の電話番号まで提供する。
一方でジェリーは、ユダヤ人に対して憎悪を抱き続けていて、ルイの「僕がユダヤ人だったらどうする?」という質問に「本当に君はユダヤ人なのか? 頼むから違うと言ってくれ。嘘でもいいんだ。頼むよ」と言うような人物でもある。そしてユダヤ人のこととなると常軌を逸した罵倒を繰り広げるのである。

ルイは次第にジェリーの「アンチ・ユダヤ節」に慣れていき、ある物を届けることにまで同意してしまうのだが、そのことに動揺もしてしまう。
ジェリーの言動はどこか微笑ましく思えてしまいそうにもなるが、それだからこそ一層の強い嫌悪感も湧いてくる。ルイも、そして読者もジェリーがいかなる人間であるかということにどまどいを憶えるだろうし、またジェリーに対する自分の感情にもとまどいを憶えることだろう。本書全体を貫くのが、このとまどいの感情である。

オールモスト・ヘブンという極右のコミュニティも取り上げられている。彼らはもちろんクリントン政権を憎んでいた。ではブッシュ政権に対してはどうなのだろうか。ルイはブッシュ政権の誕生が「オールモスト・ヘブンにいた愛国主義者を沈静化させるのでは」とも考えた。しかし事態はまったく逆であった。彼らが憎んでるのは中央政府の権力拡大であり、イラク戦争や愛国法などは絶対に否定すべきものなのである。しかし彼らと同類と見られた右翼はブッシュ政権支持にまわり、孤立を深めていく。いったいこの社会にとって、どこまでが正気の振るまいでありどこからが狂気であるのだろうか。

最後に取り上げられるのは、まだ幼いの双子の娘をナチス賛美の差別言葉に満ちた歌を唄わせデビューさせる母親である。この双子には妹がいるが、生まれた時から人種差別のエリート教育とでもいうものを施され、ぞっとする言葉を平然と使う。あまりにグロテスクな光景であり、目をそむけたくなる。こういう異常者を相手にしてもしょうがないのではないか、という気にもなる。
しかし、そのような人たちは間違いなく我々の社会の中に存在しているし、正気と狂気の境は、口で言うほど簡単なものではないのかもしれない。

前述のジェリーは三人の女性と四度の結婚をしているが(同じ人と二度結婚している)、子どもたちの多くは差別主義者の彼を嫌って、同じ町に住んでいても寄り付かない。
ネオナチ双子デュオの祖父はひどい人種差別主義者で、その娘(双子の母)は二度目の結婚生活の破綻をきっかけに父親と同じように白人至上主義に走ったようだ。一度目の結婚で双子を設けたが、その時の夫はドラッグに溺れたミュージシャンであったのだが、クスリから抜け出したその元夫は、今では「彼女の信念を理解しサポートしてくれている」という。人生を分けるものとはいったいなんなのであろうか。


本書の取材、執筆を通じて、ルイは「自分の中にも奇妙さというものが確かに存在するという重要なことに気づき始め」る。
春樹はこう書いている。テレビ番組の時とは違い、「この本の中ではルイは、「変てこなことに巻き込まれて困っている普通の人間」をもう演じてはいない。彼は自分が彼らとは基本的に「違っている」ことを、明文化できずとも心の底ではっきり確認しつつ、それでもなおかつ彼らの感じている、あるいは内奥に抱え込んでいるフラストレーションや孤立や閉塞感を、たとえ部分的にであるにせよ共有しようと試みている。僕がこの本を興味深く読んだ最大の理由は、おそらくそういうところにあるのだろうと思う」(p.349)。

タイトルから連想されるように、抱腹絶倒、爆笑必至というところもあるし、またアメリカで唯一売春が合法なネバダ州のある街での売春婦やその周辺の人々のエピソードなどは短編小説のような趣もある(ルイがただの突撃レポーターではなくちゃんと文章を書ける人なのだということがわかる)。確かにそのような楽しみ方もできるのだが、この本の射程はかなり深いのだという読後感がある。


これ見てほんとに気分が悪くなってしまった……




気分を変えるためにルイ・ラップでも。







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