批判すべきは

山口二郎という人は一般的にはリベラルというか中道左派というか、言葉は何でもいいがそのような政治学者だと思われているのだと思う。僕の政治的立場(というような大袈裟なものでもないけれど)をしいていえばやはりリベラルということになる。だからこそ、山口の6月25日から26日にかけてのツイートを見て「あぁ、これだから日本のリベラルとやらは駄目なんだよな」という思いがよりいっそう強くなる(これ本人だよね?)。

ざっとまとめると「管降ろし」の結果民主党はさらに右傾化した、野田はどうしよもない奴だがこれを変えるとさらに状況は悪くなるのだから「民主党の中の良質な部分を元気づけ」よう、民主党の足を引っ張る小沢許せん、という感じだ。

これを「政局脳」と言わずして何と言うのか。まさに新聞の政治部的な発想ではないのか。
確かに待ち受けている自公(民)政権、あるいは橋下政権は悪夢的姿しか思い浮かばない。しかしその悪夢がどのような形を取るのか、政策論から語るのが学者の仕事なのではないか。
今野田政権がやろうとしているのは、どんな理屈をつけてでもいいからとにかく消費増税を決めてしまおうというだけのことで、後はどうなろうが知ったこっちゃないというようにしか映らない。
もし本当に「リベラル」なら、消費増税やわけのわからない社会保障制度改革推進法というのは、小沢がどうとかマニフェストがこうとかいう問題ではなく、政策として間違っているから間違っていると言うべきではないのか。このしわ寄せが一番押し寄せるのはどういう人たちかということを、山口は考えたことがあるのだろうか。


政治家にしろ学者にしろメディアにしろ、消費増税について「子や孫にツケを残すな」という言い分ほど腹の立つものはない。管や仙谷といった団塊の世代の子どもたちは「失われた20年」によってすでに十分にツケを払わされている。さらにこれが「失われた30年」にでもなろうものなら、野田や前原といったバブル世代の子どもたちまでさらなるツケを払わされることになる。

僕は経済にも財政にも大きなことを言えるほどの知識はないが、デフレというのは経済が縮小していくわけで、当然税収も減る。このような状況でどうやって財政再建をするのか、税収が落ち込めば真っ先に削られるのは社会保障ではないのか、という素朴な疑問に増税を煽る人々から説得力ある解答を見たことがない。
財政再建がしたければ、あるいは社会保障を守りたければ、とにかくまず目指すべきはデフレからの脱却しかないだろうし、これは左右を問わず共有できる課題のはずだ。

ここらへんに意識の低い人についてまったくもって不思議というか異様なのは、わずか15年前に消費増税を行い見るも無残な状況に陥ったにも関わらず、きれいさっぱりその記憶を消してしまっていることである。
メディアは15年前も増税を煽ったし今回も同様である。連合というのは僕の記憶が正しければ労働組合だったと思うのだが、なんと今回は増税に賛成なのである。一番奇異に映るのは各種経済団体かもしれない。1ドル100円くらいにまで円安にになれば状況は相当に変わるはずだ。デフレと円高には強い相関関係が見られるわけで、自分たちの利益のことだけを考えてもデフレ脱却と円安誘導を望むのが合理的な判断であろうが、本来なら合理性こそ最も追求すべき経済人が消費増税ばかりを煽るザマである。
ここらへんは、高度経済成長からバブルまでが皮膚感覚として染み付いてしまっている人々が、経済の底が抜けるという恐怖心から無縁であることにも関係があるのかもしれない。1958年生まれ(野田と同世代)の山口もそのような人間の一人なのだろう。


山口や、一部のリベラルとされる人々にはどこか管直人への未練というものが感じられる。僕は全く逆で、管という人物はまだ批判し足りないくらい最低だと思っている。
民主党政権のグダグダっぷりでまず批判されるべきは鳩山由紀夫であり小沢一郎であるとは思う。しかし民主党政権のみならず民主党自体の決定的な自爆装置を稼動させてしまったのは管ではないのか。
管は権力の座に上り詰めると、小沢に寝首をかかれることを恐れて、小沢フォビアとでも言うべき連中を重用し政局ゲームにいそしんだ。管は未だに小沢に恨みたっぷりのようだが、状況を見れば管の寝首をかいたのはむしろ仙谷・前原の凌雲会であり、野田の花斉会であったのではないか。
管が中庸な党運営を行い、消費増税路線に突き進まなければ、小沢個人がどう思おうとも反旗を翻す大義名分がなく手の打ちようがなかっただことだろう。

管が政局ゲームにいそしむ一方、政策は官僚丸投げとなっていく。
今から振り返れば、民主党が政権を取った時、一番恐れていたのは官僚のサボタージュだったのかもしれない。
普段は財務省の広報機関と化している朝日新聞が、4月に突如「民主党政権失敗の本質」という連載を始めた。政権交代前から民主党と財務省の間で手打ちとも言うべきことが行われていたという内容であった。財務省が名指しで抗議したが、大蔵OBの藤井裕久を財務省に起用したことなどの状況証拠からするといかにもありそうなことではあり、珍しいこのような抗議は痛いところをつかれたせいではないかという勘ぐりをしたくなる。朝日はその後すぐに何事もなかったかのようにまた広報機関に戻ってしまうのだが。

おそらく、民主党としては財務省さえ引き込めば他の省庁はなんとかなるという思いがあったのだろう。しかし何が起こったのかといえば、一番わかりやすい例は長妻が厚労省でこれみよがしのサボタージュをくらったことである。もちろん長妻の大臣としての能力も問われなければならないだろう。しかし後任の厚労相(例えば現在の小宮山洋子)が長妻よりも優秀なのであろうか。単に官僚の神輿に乗っているだけであろうし、神輿にさえ乗ってしまえばそれなりに仕事がこなせているように映るのである。

管体制は露骨なほどの論功行賞を行ったが、代表選で管を支持した長妻は厚労相を外されたばかりか党の要職にもつけなかった。「ミスター年金」と持ち上げられた長妻が、「ミスター検討中」などと揶揄された姿というのは、民主党の人間にとって見たくない現実であったのだろう(その長妻が今回の増税問題で果たした役割というのは醜悪の一言で、やはりこの程度の人間だったのかという感じだが)。

他ならぬ管も、官僚の既定路線から外れると何をされるのかということを味あわされた。今となっては信じられないかもしれないが、藤井が財務相を辞した後任になると、1ドル95円程度が望ましいと円安誘導政策を行うかのような発言をし、デフレ宣言をしてデフレからの脱却に取り組む意思を示したのである。この結果何が待ち構えていたのかといえば、「管は経済をまるで知らない」という嘲笑記事が溢れたのである。ところが消費増税に言及し始めた途端に、新聞などでは「管はよく経済を勉強している」という論調に変わった。これを財務相陰謀論だと言う人は、安住のような実績もなく能力も疑わしい政治家が財務相を努めていることへの批判記事を新聞で目にしたことがあるだろうか?
管は「官僚の言いなり」という批判から目をそらし政権の求心力を保つためには、政治部が大好きな小沢叩きを始めるしか選択肢はないと思ったのかもしれない。

書いているうちにどんどん腹が立ってきて脱線してしまったが、震災以後で管の罪は大きく三つある。
一つは震災直後に谷垣に閣僚ポストを打診するなど政局ゲームを止めなかったこと。二つ目に震災後も財務省の緊縮財政、消費増税路線に従い復興を遅らせたこと。そしてラスト・バット・ノット・リースト、野田を事実上後継としたことである。

脱原発署名の提出になぜか管が顔を出しているというニュースがあったが、ここにいた人たちは管が野田を後継にしたということをきれいさっぱり忘れているのだろうか。消費増税の失敗の記憶といい、なぜこうも集団健忘症が蔓延しているのか。

もし僕に国会議員を一人だけ追放できる権利があったなら、迷わず仙谷由人を選ぶ。政権を事実上仕切り、あらゆる問題で最悪の決断を行っているのが仙谷である。その仙谷をのさばらせるきっかけを作った人物こそ、管直人である。

何が言いたかったのかというと、管直人に未練をもっているような人間は似非リベラルであると言っていいと思うし、このような似非リベラルによっても管、野田政権は支えられ、今まさに社会の底を抜けさせようとしているのである。

とにかく「リベラル派」とされる政治家はほぼ全滅という状況であるが、これは(似非だろうが何だろうが)「リベラル派」自身によってもたらされた結果だということを、僕自身も直視しなければならないと思うが。
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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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