『時は老いをいそぐ』

アントニオ・タブッキ著 『時は老いをいそぐ』




僕はタブッキのいい読者とは言えないのだが、この短編集の多くに見られる回想とも幻想ともつかない光景がシームレスに広がっていく描写などを読むと、あぁ、タブッキなのだなあという印象を持つ。同時に、この収録作の中にはこれまでのタブッキとは異なる要素もある。
タブッキはポルトガル語でも執筆しているように「イベリア半島を西へ向かう」(和田忠彦の「あとがきにかえて)作品が多かったのだが、本書では旧東ドイツやポーランド、さらにはイスラエルやギリシャにユーゴと、東や南にも向かう。
本書全体に共通する雰囲気として、和田は《郷愁》をあげている。しかしそれは無垢な、理想化された子ども時代の投影としての郷愁ではない。重苦しく、拭うことも消し去ることもできず、逃れようもなく人生に刻み込まれた轍のようなものとしての郷愁である。

小説を読むときに、作者の伝記的事実はとりあえずは括弧に入れておくのが原則なのであるが、この訳書刊行直後にタブッキが死を迎えたことを思うと、その事実に思いをはせないわけにはいかなくなる。
原著の刊行は2009年であるが、タブッキはそれまでの数年間評論等は出版されていたものの、創作のペースは落ちていたようだ。しかも2005年には『短編集成』まで刊行されていたという。
本書で描かれているような世界の変化は、「ひと区切り」をつけたということもあろうが、やはりそこに死の影というものを読み取ってしまう。タブッキは長く癌を患っていたようだが、本作執筆中にすでに「予感」というものはあったのかもしれない。


「雲」は平和維持活動にあたっていて劣化ウランによって健康を害されている退役軍人と、ペルーからイタリア人家庭に養子にもらわれてきた少女とのビーチでの会話からなる一篇である。
この設定から容易にサリンジャーの「バナナフィッシュ」が連想されるし、またそれに似た雰囲気を濃厚に漂わせている。同時に、過酷な体験に直面したのであろう退役軍人は、自らの殻に篭るばかりではない。「アーリア人種」ではない少女にアウシュヴィッツについて伝えようとするが、当然ながらもう一つ話しは噛み合わない。
「コカ・コーラとマクドナルドは人間をダメにする」と、ロハス風の両親にでも育てられているのか、そう少女は言う。「ネガティブなエネルギーをつたえてよこす」のだと。
「コカ・コーラとマクドナルドは誰一人アウシィヴィッツに連れてなんかいかなかった。あの、たぶん学校でも聞かされたことがあるかもしれないけど、絶滅収容所ってやつに。でもね、あそこにも理想があったってこと、考えてみたことないかな、イザベル?」という男の言葉に、少女は「よく考えさせてちょうだい」と返す。
「ときには戦争も必要だってことなの、残念だけど」とまで言う少女だが、これは頭でのみ考えられた観念論ではなく、ある体験がもとになっている。
男は「雲占い」を少女と行う。古代ギリシャで書かれた「ストラボンの書」では「あらゆる戦争の終結を二千年前に予言」されていた。「ただ、その予言をこれまで誰もちゃんと読んでこなかった。で、今こうしてやっと、この浜でわたしたちふたりが、それを読み解いたということさ」

魂の受け渡しとでもいうようなことを行おうとするが、それがうまくいうくものなのかどうかはわからない。そこに救いがあるのかもわからない。そこには希望とも諦めともつかない何かがあるが、それこそが死の予感なのであろうか。

「雲」は収録作の中では雰囲気の異なる作品なのだが、ここに表れる「何か」は本書全体に通底するものがあるように感じられる。
「モンキービジネス」に訳出されたときから「雲」は好きで、そのときにはタブッキがこんなに早く亡くなるとは思ってもみなかったのだからこのような感想は後知恵といえばそうなのではあるが。

過去の肯定というよりはただそこにあったものを受け止めるしかない、それはまさに記憶であり、そして記憶というのはまた死と分かち難く結びつくものでもあるのだろう。




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佐藤太郎(仮)

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