『批評とは何か』

テリー・イーグルトン + マシュー・ボーモント著 『批評とは何か  イーグルトン、すべてを語る』




本書はボーモントによるイーグルトンへのインタビューによって構成されている。時期や媒体が別々の単発のインタビューを収録したものではなく一貫したロング・インタビューであり、生い立ちから学生時代、教師として、政治活動家として、そして自作解説までと、よくまとまった「イーグルトンによるイーグルトン入門」とでも言ってもいい仕上がりになっている。

イーグルトンといえば自伝『ゲート・キーパー』もあるが、そこで触れられていなかったエピソードもあるし、『ゲート・キーパー』が若き日で終わっているのとは違い「現在」までを振り返っている。
オックスブリッジでの学生として、教員として、あるいはカトリック左派やマルクス主義者としての回想も興味深いし、とりわけレイモンド・ウィリアムズへの心酔から微妙な関係といったあたりもなかなか面白い。その他にもサイードやデリダなど同時代を生きた思想家の人物評などもある。

「面白さ」という点では、ケンブリッジでのチューターであったセオドア・レッドパスについてが一番かもしれない。
レッドパスはヴィトゲンシュタインの講義にも出席経験があり、講義集にも名前が残っているのだという。イーグルトンは後にデレク・ジャーマンの『ヴィトゲンシュタイン』の脚本に参加することになる。ここらへんのエピソード(というか不満)を読むと当時大分鬱憤がたまっていたことがわかるが、ヴィトゲンシュタインへの関心はレッドパスによるものではないようだ。
レッドパスは非常に知的で博識なのではあるが、同時に典型的な退屈で無気力な上流階級の気の抜けた知識人という印象でもある。

「トーリーの国会議員になりたがっていた」レッドパスについて、イーグルトンは「右翼的な議員になることを思い描いて」いたという。
レッドパスは「社会秩序に病的なまでに――つまり狂気の一歩手前までと言えるくらいに――こだわ」っており、エイドリアン・プールによる死亡記事(これかな)には彼が「学期中なのでという理由で握手をしてくれなかったこと、あるいはガウンを身に着けていないないからという理由で、話しかけてくれなかったこと」などが書かれているのだという。
レッドパスとイーグルトンは「教員と学生の一対一の定期面接授業において、どんなことでも、また何でも議論」した。この議論は自由なもので、レーニンや宗教、哲学について議論を交わしたという。「彼は何でも知っているように思えました。彼は自分の知識をどう活用するかについての手がかりはもっていなかったのですが、とにかく何でも知っていました。それは、上流階級のアカデミックな精神がどのようなものかを知る、きわめて貴重な入門体験でした」。

レッドパスは「相当歳とってから結婚」し、「子どもを数人つくり」、そして「ワイン商」になる。「「レッドパス・アンド・サッカレー」と書いた小さなヴァンがケンブリッジの中を走りまわってました。かなり変な光景でした。彼のビジネス・パートナーすら文学的な名前〔サッカレー〕だったのですから」って、いったいどういう人物なのか想像できるようなできないような……
それにしてもイーグルトンのような人がよく耐えられたものだと思える。


訳者あとがきでは、レイモンド・ウィリアムズを直接批判できなかった保守勢力がウィリアムズの弟子筋を攻撃していくところなどを「下手な学園小説よりもリアリティがある」としているが、このレッドパスのエピソードなんかもまた「下手な学園小説」よりも面白く読めてしまうのであります。
イーグルトンに興味がある人にはもちろんだが、少し前のオックスブリッジの雰囲気や、イギリスの上流階級なるものの一段面なんかに興味のある人で、当時の雰囲気を知りたい人なんかにもいいかもしれない。





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佐藤太郎(仮)

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