『サラダ好きのライオン』

村上春樹著 『サラダ好きのライオン  村上ラヂオ3』




「アンアン」に連載されたエッセイのシリーズ第三弾。基本的には肩の凝らないエッセイですのでするりと楽しく読めてしまいます。

長年村上春樹のファンをやっている身としては「これどこかで読んだな」なんてネタもいくつかありましたが、まあそれはご愛嬌ということで。オールド・ファンへの目配せとして(?)かつて経営していたお店、「ピーター・キャット」の名前の由来となった猫のピーターのお話なんかもあります。
大橋歩の銅版画も素敵だけれど、週刊誌の連載でよくこんなことできたなあと思ったら、大橋によるあとがきによれば春樹は月一で一ヶ月分のエッセイを送ってくれたから可能だったのだとか。相変わらずこういうところはきっちりしとります。


本書に収録されているのは2011年3月30日号からの約一年間の連載である。収録順が連載そのままなのかどうかはわからないが、三番目に収められている「愛は消えても」は震災の後に書かれたものかもしれない。
「親切心」という言葉を外国人にどう説明すればいいのかは難しい。春樹はここで銀行の監査官であったアーランド・ウィリアムズの例をあげる。乗っていた飛行機がポトマック川に墜落する(こちらを参照)。ほとんどの乗客が即死をしたが、6人が生存しており、水中に投げ出される。ウィリアムズはそのうちの一人だった。救助のヘリコプターがやって来てロープを下ろしたが、ウィリアムズは隣のスチュワーデスに順番を譲った。その次のロープもまた別の女性に。水中に投げ出された6人のうち5人は助かったが、ウィリアムズはついに力尽き帰らぬ人となった。ウィリアムズの行為は英雄的であると讃えられた。でも、これはもしかすると、「英雄的」というよりは「親切心」だったのかもしれない。
この回は、文章を書く時はできるだけ読者に親切であろうと力を尽くしていると締めくくられているのだが、作家にとって文章を書くことがどういう意味を持つのかを考えると、カルチャースクールの文章の書き方講座というようなものとはまた別の意味合いを持つとも考えられる。
「愛は消えても」というのはヴォネガットからの引用である。「愛は消えても親切は残る」。

……で、ふと気になったんだけど、この引用は『ジェイルバード』からなのだが(でしたよね?)、ネットなんかでは「愛は負けても親切は勝つ」という訳で紹介されていることが多い。『ジェイルバード』は本の山にうずもれているために取り出すことを断念してしまったのでちょっと確認できないが、多分浅倉久志訳がこうなのだと思う。ちなみに原文はLove may fail, but courtesy will prevail。
ヴォネガットは訳者に非常に恵まれた作家で、とりわけ浅倉久志訳は絶品であるのですが、春樹は翻訳は読んでいたのかな。


作家というのはなかなかむずしい人も多く、外国の作家に会ってみたら鼻白むようなケースもあったという回もある。「それが前から好意を抱いていた作家だったりすると、がっかりしちゃいますよね」とあるのだが、これはジョン・アーヴィングのことかもしれない。昔アーヴィングにインタビューしたときに、そのころのヴォネガットの作品についてやや否定的な評価をしたらブチギレられたんですよね。
アーヴィングはアイオワ大学の創作科でヴォネッガトの教えを受け、たいへん慕っていたので(そこらへんの雰囲気は『あの川のほとりで』でそのまま使われてましたね)、この日本人一丁前にクソ生意気なこと言いやがって、てな感じだったのかもしれません。当然の春樹はアメリカではもちろん無名ですし(というか英訳がまだない頃じゃなかったっけ)、デビュー作がモロにヴォネガットの影響下で書かれたなんてことはアーヴィングには知る由もなかったのでしょう。さらにこちらもまだ無名だったアーヴィングのデビュー作である『熊を放つ』を春樹が手に取ったきっかけはヴォネガットの推薦文だったのですがね。世の中こういうすれ違いが起こりがちなものです。
この回のちょっと前に『熊を放つ』関連のエピソードがあって、これを書いているうちにアーヴィングとのやりとりを思い出してしまったのかもしれませんね。

逆に最近仲が良さそう(?)なのがポール・セローで、息子であるマーセルの『極北』を訳し、ルイの『ヘンテコピープルUSA』には解説を寄せている。ここではポールのカイロからケープタウンまでの旅行記、『ダークスター・サファリ』を「唖然とするほど面白い本」としています。そういえば二人ともハワイに家があるのでよく顔を合わせているのかもしれません。それにしても、ポールは「世界各地でいろんな病気」にかかり、「もう病原菌のサンプル帳みたいなものだよ、ははは」というのは凄い。僕は超のつく出不精なもので、こういう体験は一生することはないだろうし、うらやましくもないけれど。


春樹のエッセイ集といえば本はもちろんだけれど映画や音楽について触れられているところも楽しみである。「いかにも」なものもあれば(今回でいえばサマセット・モームやフィッツジェラルド)、へぇ、こんなの読んで/見て/聴いてるんだというようなものもある。音楽ネタは控えめだったが、映画や本ではいくつか面白そうなものを取り上げていた。

『タイムアウト・フィルム・ガイド』は映画ガイドであるが、イギリスらしく(?)その選択にはひねりが加えられていて、珍しいB級映画なんかがたくさん載っている。『旅まわりの死刑執行人』はなかなか面白そうなのだが、あらすじは肝心なところで終わっていて結末が気になって見ようにもDVDも出ていないそうだ。こういう生殺しというのはかえって興味をそそられてしまう。ポータブルの電気椅子とはなんぞや。死刑囚との関係を描いたものとしてパトリス・ルコントの『サン・ピエールの生命』にも触れている。これもなかなか面白そうなのでいつか見てみようと思って今検索したらDVDではタイトルが『サン・ピエールの未亡人』に変更されているのですね。

ミカ・カウリスマキ監督(映画には詳しくないものでアキ・カウリスマキのお兄さんも映画監督だというのを知りませんでした)の『GO!GO!LA』で出てくる「スーパーサラダ」も気になる。レストランで「スーパーサラダ?」なんて訊かれたらつい頼んでしまいたくなってしまいますよね。はたしてその正体とは。気の小さい人間にはトラウマになるかも。


本では『自分の体で実験したい』が面白そうだった。自らを実験台にした科学者を描いた本であるそうだが、絞殺による窒息死が人体に与える影響を調べるために8回も自らの首をくくったというミノーヴィチ! その他にもいろいろすごそう。

春樹といったらなんといったらマラソンであるが(なのか)、トル・ゴダスの『なぜ人は走るのか』では「マラトン問題についての長年の疑問が氷解した」そうだが、なるほどそういうわけだったのですね。
この本によるとセネカもランニング好きだったようで、春樹は『脂肪を燃やせば賢くなる! 賢人セネカのランニング論』というエア新書のタイトルを考えてますが、ほんとに出そうな気もしてくる。

あと木山捷平の詩について触れているところで、詩について「流麗な詩や、叙情的な詩よりは日常的な散文・口語で書かれたものが好みです」とあるが、レイモンド・カーヴァーの詩がまさにそうでありますね。ここで引用されている木山の「秋」もなかなかいい。春樹は高校時代に友だちと海岸で流木を集めて焚き火をして、それを何時間も眺めていたことを思い出しているが(これは『神の子どもたちはみな踊る』の「アイロンのある風景」に反映されている)、僕にはそんな経験はないのだけれど、この詩からは確かにそのような記憶を呼び覚ますようなところがあり、「秋をけりけり」ぶらぶらと散歩してみたくなる。


その他いろいろ楽しい小ネタもあって、「極度乾燥しなさい」Tシャツを春樹はコペンハーゲンで見かけて気に入って、それを購入して東京で(!)もときどき着て出歩いていたそうな。「極度乾燥しなさい」Tシャツを着たおじさんがいたら、その人は村上春樹かも!

ノルウェイ人からムンクの「メランコリー」の主人公に顔が似ていると言われたとあるのだが、確かに安西水丸さんの描く春樹の似顔絵のクラいバージョンにも見える。

椰子の木についてネットで調べたのだが、「「インターネットでは本当に知りたいことはわからない」という僕のかねてからの主張がまた裏付けられることになる」。その時に子供に「椰子」と書いて「ココナッツ」と読ませる名前をつけたいのだが、という書き込みをみつけたとあるのだが、これのことかw
連載最終回のオチがこれでありました。




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佐藤太郎(仮)

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