『スタッズ・ターケル自伝』

『スタッズ・ターケル自伝』






2008年に96歳で亡くなったターケルの自伝。原著は亡くなる一年前に出ている。
自伝とはいっても、時系列に沿った網羅的な内容とはなっていない。
8歳の時の、父と謎の女性(おそらくは父の浮気相手)との不思議な記憶に始まり、あとは気の向くままに筆を進めたようにも思える。結構空白となっているところなども多く、例えばターケルはシカゴ大学のロースクールを卒業しているのだが、裕福でも学歴が高い一家の出身でもなかったターケルがどのように大学まで進学したのかというようなエピソードなどは語られていない。本書には過去の著作からの伝記的な部分からの引用もあるが、もしかするとここらへんはそこで語られているのかもしれないが。これは語ることのできない秘密があるなどということではなく、とりたてて語る理由もなかったということなのだろう。

本書には有名無名様々な人名や出来事が登場するが、記憶違いや事実誤認も見られる(これらは訳注で訂正されている)。単に原著の編集者のチェック不足だったのか、あえて残した(という可能性は低いだろうけど)のかはわからないが、本書を単なる伝記と考えると少々問題があるかもしれない。しかし読んでいると、この気の向くままという感じが、なにやら近所の爺様の昔話を聞いているようで心地よく思えてくるようにもなる。


ターケルの両親はシカゴで下宿屋を営むのだが、ここらへんの話などジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』並みとまではいかないが、まるで小説を読んでいるかのような趣もある(とりわけ母親はいい味を出している)。こう考えると、狭く「自伝」と考えるよりは「自伝的小説」というような楽しみ方をしたほうがいいのかもしれない。

第3章の「下宿屋」など非常に好きな章だ。
当時父親は心臓が弱いためにベッドでラジオを聞いてすごすことが多く、そのことに苛立っていたのだが、ターケル少年にとってはベッドで一緒にラジオを聞いていたそんな日々もいい思い出である。
1925年、ラジオからは「スコープス裁判」のニュースが流れてくる。テネシー州で起こった、州法に反して進化論を教えようとしたスコープスを裁判にかけたこの事件は、南部の後進性を示すものとして当時から笑い飛ばされることも多かった(後にターケルはラジオ番組でスコープスと顔を合わせることにもなる)。
検察側の証人となったウィリアム・ジェニングス・ブライアンは侮辱され続け、裁判の一週間後に死亡してしまう。彼はただの反動家だったのだろうか。実はブライアンは、「反企業や反権力を掲げ、小規模農家を擁護」した「人民主義者」だったのである。ここでは触れられていないが、ブライアンがこの裁判の検察側証人となったのは、進化論がいわゆる「社会ダーウィニズム」として悪用され、弱肉強食型社会を作り出すことへの警戒からだった。
ターケルはブライアンが「一般労働者」から熱烈な支持を受けていたことに触れ、彼を嘲笑した「都会の「学識者」」と「みすぼらしい農夫」たちの間での受け止め方の違いに思いをはせる。
話はここからさらにユージーン・デブズへと飛ぶ。デブズが入院していた病院はターケル家の営む下宿屋から1ブロックしか離れていないところにあった。デブズを見舞いにシンクレア・ルイスやセオドア・ドライザーといった著名人たちもよく顔を出した。父子は「ミック・ジャガーをまっている追っかけの少女のように」、病院の周りを散歩した。デブズは父親にみならず、一家にとってのヒーローだったのである。ではデブズとはいかなる人物だったのか……

第6章では、ターケルが生まれる前に起きたヘイマーケット事件を取り上げている(ターケルは存命中だったその関係者にインタビューをすることになる)。
そこから時代は一気に1970年代まで飛ぶ。すでに60代になっていたターケルの隣には裕福そうな美男美女の夫婦が住んでいた。この夫婦と会話を交わす機会がなかったのだが、ついにそのチャンスがめぐってくる。ターケルは「もうじきレイバー・デイだねえ」と話しかけると、夫は「わたしたちは、組合が嫌いです」と返してくる。ターケルは夫に何時間働いているのかと訊く。8時間だという答え。
「なぜ一日十四時間働かずにすんでいると思う? 君の曾曾おじいさんは、十四時間働いていたんだ。君は八時間しか働いていない。なぜだ? 四人の男が、きみのために八時間労働を求めて闘い、絞首刑になったからだ」
残念ながら、この若夫婦はターケルを危ないおじいさんだとしか思わなかったようで、以後避けられてしまったのだろう。その後顔を合わせることはなかった。

デブズ贔屓やヘンリー・ウォレス(ローズヴェルト政権三期目の副大統領にして後に進歩党から大統領選にも出馬、リベラルからの強い支持を集める一方でその容共姿勢からソ連のスパイだともされた)の選挙を手伝ったことなどからもわかるように、ターケルは筋金入りのリベラルである。赤狩りが激しい時期にはブラックリストにも載せられ、新聞やラジオから干され、FBIに身辺をあさられている。実はかつてターケルはFBIの指紋分類係りに(何をするのかもよくわからないままに)応募していたという過去を持つ。後にFBIの人物調査書を閲覧して判明したことでは、内定が出ていたのだがシカゴ大学のある教授(名前は黒塗りにされていた)の証言により採用が取り消されていたのであった。

僕がデブズの名前を初めて知ったのはヴォネガットの作品であったが(ヴォネガットは本書にちょびっと登場します)、合わせて本書を読むと1920年代あたりまでデブズがアメリカの左翼にとってどのような存在だったのかというのがよくイメージできる。
ターケルの生涯はほぼ20世紀に沿っているのだが、19世紀後半から20世紀にかけてアメリカのリベラルの精神史としても読むことができる。ニューディールへの熱い思いは少々褒めすぎのようにも感じられてしまうのだが、あの頃まさに自身の生活も苦境に立たされかねず、それがまさにニューディール政策によって自身も職を得られ、人々が団結し協力していくことの尊さを身を持って体験した人にとってはあのように映っていたのだろう。
同時にリベラルをただ理想化するばかりでもない。搾取される労働者や迫害される黒人のために闘ってきた人たちが、同性愛者のこととなると「まごついて」しまったことを、「わたしはこのときのことをけっして忘れないだろう」とし、様々な偏見の根深さにも触れられている。

なにやらガチガチに堅苦しい政治的人間のように思われるかもしれないが、ターケルというのは、こういう書き方が適切かはわからないが、いい意味で非常にアメリカ人的であるのだろう。正義感に溢れると同時にユーモアも携えている。物事の明るい面を見ることができ、基本的には人間を信じている。赤狩り時代を振り返り、あの頃を悪罵するばかりではなく、ユーモラスなエピソードにも触れつつ、そんな時でも彼を支えてくれた人々がいたことを忘れない。
ターケルは、とりわけ「普通の人たち」へのインタビューからなるオーラル・ヒストリーで有名だが、彼がなぜこれほどまでにインタビュアーとして成功したのかというのはこの辺にあるのだろう。

ターケルは、彼がインタビューの相手に深く共感し、感情移入するからこそインタビューがうまくいくのだろうという見方を否定する。そうではなく、「わたしがインタビューで心がけていることは、相手に敬意を払うことだ」としている。相手は自分に敬意を払われているかがすぐにわかるし、きちんと話を聞いてくれているとわかれば気分よく話してくれるものだ、と。

「ほとんどの場合、わたしがインタビューする人たちは有名人ではなく、普通の人たちだ。だがわたしは、「普通」という言葉が好きじゃない。上から物を言っているように感じられるからだ。わたしは「普通に人たち」に会ってきたが、彼らこそ並はずれたことを成し遂げた人たちだ。」(p.306)

こういうところを読むと、やはりターケルという人はポジティブな意味でいかにもアメリカ人だという感じがするし、これが彼の本を100万部を越えるような大衆的な人気まで得ることのできた秘訣なのだろう。

もっとも20世紀後半になると、「リベラル」という言葉自体が忌避されるようになる。あるテレビ番組で、歴代の大統領で最高の指導者はという質問に、ワシントンでもリンカンでもローズヴェルトでもなくレーガンが選ばれてしまう。「だが誰もそれをおかしいとはおもわなかった」時代がやって来てしまうのである。本書は怒りと不安と祈りによって結ばれることになる。
ターケルの死は、アメリカにおけるある精神性の死をも暗示するものとなってしまったのだろうか。


ターケルの本は「いつか読もう」と思いつつずっと手に取ることがなかったのだが(特に理由もなく先延ばしになってしまっている人っていますよね)、ようやく自伝も読んだことだし、そろそろ取り掛かりますかな。





ターケルといえばやはりこれか。




時期的にはこちらもね。



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