宣教師ニコライ

中村健之介著 『宣教師ニコライと明治日本』





1880年、ドストエフフキーは妻に「いまモスクワに来ている日本のニコライにぜひ会いたい。かれは大変私の興味をそそる」という手紙を出している。そしてその面会は果たされ、かなり満足したようである。
この「日本のニコライ」とはあの「ニコライ堂」のニコライのことである。ニコライ側の反応が気になるが、残念ながら彼の書いたものは関東大震災で焼けてしまった……と思われていたのだが、実はレニングラード(サンクト・ペテルブルグ)の古文書館に日記が保管されていたのである。
ニコライはドストエフスキーについてなかなか興味深い日記を残しているが、その「ニコライの日記の紹介をめざす」ために1996年に刊行されたのが本書である。

ニコライは1861年(明治維新の7年前)に修道司祭として日本にやって来る。当時25歳。以後二度の一時帰国を除いて1912年の死まで日本で過ごすことになる。

まず滞在した函館でのエピソードがいろいろと面白い。
ニコライは勉強熱心で、漢学の素養を身につけ、「文章語に抜群の力」があったそうである。さまざまな人に師事したが、柳田藤吉の塾に通おうとしたところ、「外国人宣教師の出入りに困惑した柳田が「ロシアの坊主これより入るべからず」と英人ブラキストンに書いてもらった英文の貼り紙をしても、それをはがして平然と登塾」(p.44)していたそうである。なんだか微笑ましいようにも思えてしまうが「外国人を嫌い、事があれば斬って捨てようとする日本人もいた時代」の出来事なのである。
このような勉強の成果として「『古事記』『日本書紀』『日本外史』などの史書や法華経などの仏典を原文で読破」するほどの日本語能力を身につけたそうである。
ニコライはゾラなどの小説を俗なものだと嫌っていたが、当人は後には大岡越前なんかも読んでいたそうな(「大岡越前が盗人十七郎を裁く物語を読んだ。とりわけ賢い裁きというわけでもない」)。

22歳で航海術を学ぶために函館にやって来た新島七五三太、後の新島襄は英語を学ぶことを希望し、ニコライを紹介される。ニコライは新島に英語や世界情勢を教え、新島はニコライに『古事記』などを教えた。
新島は幕府の禁令を破って外国へ出る決意をニコライへ打ち明ける。ニコライは英語だけでなく聖書も教えるから自分のもとにとどまるよう説得した。「もしこのとき新島がニコライに説得されて弟子になってペテルブルグへ渡っていたら、同志社は生まれていなかった」(p.56)かもしれない。ニコライはその後も新島を高く評価し、再会も望んだようだが、新島にはどうもその意思はなかったようで、結局二人は函館以降会うことはなかったようだ。

日本人最初の信徒となった沢辺琢磨との逸話もまたすごい。坂本龍馬の遠縁にもあたる沢辺は神明社の宮司を勤めていた。攘夷派であった沢辺は「ニコライに論戦を挑み、その答えによっては一刀両断」にするつもりでいたが、逆にニコライの弟子となるのである(って勝海舟と坂本龍馬かいな)。「まるで日本版パウロの改心であるが、沢辺の聖名はまさにパウェル、つまりパウロである」(p.61)。


その後ニコライは東京を中心に布教を行い、信徒たちを訪ねて日本全国を巡る。
ニコライは頭ごなしに信仰の型を強制するのではなく、それぞれの土地や人の個性も尊重するタイプであったようだ。しかし、現在の観点からすると、また保守的で偏狭ともとれる部分もある。

ニコライが日本に来て、他の宗派の宣教師と出会って実感させられたのは、当時東方キリスト教は「西ヨーロッパにおいては、東方正教会は土俗的なキリスト教ないし、福音とは無縁な、異教的古代水準に留まるキリスト教というイメージ」(森安達也『東方キリスト教』からの引用)が強かったことである。逆にニコライの方もカトリックやプロテスタントに対しては敵意と言っていいほどの感情を抱いていた。
函館時代はカトリックの宣教師をイエズス会だと決めつけ警戒している。弟子であった新井常之進がアメリカに渡った後、プロテスタントになったとみなすと「プロテスタンチズムというのは魔窟だ。そこへがっしり引き込まれると、もうその人は救われる見込みはない」と厳しく書いている。
またニコライは聖歌を重視したが、それにからんでこのようなことも日記に書いている。「プロテスタントは、少々の旧約の聖詠と自作の感傷的なへぼ歌と、それと牧師の<金持ちであればあるほどうれしいことです>というような勝手な説教ですませている。カトリックの、オルガンを唸らせて歌うチンプンカンプンのお祈りの歌とも違うのだ。われわれの祈りの歌は、明るい、生きた、権威ある説教であり、祈りなのだ」(p.111)。

「ニコライは、仏教徒の日本人の庶民には反感はなくむしろ親しみを感じているが、キリスト教徒の西洋人が仏教徒に改宗するのには、やはり「公憤」を覚え」(p.164)フェノロサらを強く批判している。また福沢諭吉に対しては無神論を広めたと嫌悪感を抱く。

ニコライは日露戦争時には一人日本に残ることを決意するが、反戦を唱えたトルストイには「戦争はあってはならぬと論じ、いまの戦争に激しく怒り、ロシアを口ぎたなくののしっている。ユートピアだ」と不快感をあらわにする。正教を攻撃し、「破門」されたトルストイを容認することなどできなかったのである(ちなみに日露戦争後の日比谷焼き討ち事件ではニコライ堂も攻撃目標に入っており、近衛兵の護衛がなければ危ういところだった)。またユダヤ人虐殺に抗議したトルストイを批判しているように、ユダヤ人に反感を抱く「熱烈なロシア愛国者」でもあった。

ニコライが特別に異様というよりは、むしろ当時のロシア正教の聖職者からするといたって普通の反応でもあったのだろう。
日本を舞台にしているが、それゆえにかえって19世紀から20世紀にかけてのキリスト教の各宗派のメンタリティなどが透けて見えるようなところもあるのかもしれない。

「ハリストス正教は、明治期の日本人の間に、一つの宗派としてはカトリックに次ぐ信徒数を得」ることになる。
ニコライは「自分の「本当のキリスト教」は日本に適さないのではないか」という疑念にかられ続けた。日本に広まるのはプロテスタントであろう、と。「日本人にはプロテスタントが一番都合がいいのだ。なんといっても、プロテスタントの宣教師たちは教育の高い国々の人々であり、日本人はそれらの国々にぺこぺこ頭を下げている」と記している。
明治の日本人にとってキリスト教は「文明と上昇志向」を表すものでもあった。中村は「しかし、おそらくこの苦しさにこそ、明治期の正教会の力があったのではないか」(p.235)としている。「日本ハリストス正教会は、西洋化・近代化の波に乗って進む者たちの仲間でありながら、実は西洋型近代化に抗する面があったのではないか」。
ここらへんはまさにドストエフスキーがなぜニコライに興味を持ったのかということにもつながってくるのかもしれない。


日本にとってもロシアにとってもまさに激動と言うにふさわしい時代であった。ニコライの日記は細かな生活の様子を含めて(いや、むしろそれこそが)その貴重な資料であるが、また意外な人との交友やその可能性などに大いに想像をふくらませてくれるのがなんとも楽しい。


そしてついにその『ニコライの日記』の邦訳まで刊行され、その監修などを努めた著者が続編として出したのが2011年の『宣教師ニコライとその時代』である。




前著では軽くしか触れられていなかったところや、日記で小さく登場するだけの人物や出来事がさらに掘り下げてある。

神社に婿入りした沢辺琢磨がキリスト教に熱中し始めると当然義母などと軋轢が生まれる。父親を失い、息子をもうけていた沢辺の妻が精神を病むと、その妻の妹(すでに二人の子持ち)を呼び戻し沢辺と結婚させる。そして先妻は実家に火を放ち全焼させる、なんて話はなんともう。
ニコライが土方歳三に会っていた可能性や後藤新平と沢辺とのつながりなんかも面白い。

ニコライは財政基盤の確立と東京に大聖堂を建てる資金獲得のために募金をつのるため一時ロシアに帰国するが(この時にドストエフスキーと会っている)無力感から強い鬱に襲われる。この帰国は結果としてはうまくいくのだが、資金問題はその後もニコライを悩ませ続け、この面では日本人信徒にも悩まされた。

ここらへんの人間ニコライも面白いが、日記から引用される明治日本の姿も興味深い。
江差ではこんな風呂にはいる。「広々としていて、湯のなかで泳げるほどだ。きのうときょう、三十年の日本暮らしで初めて共同の浴場に入った(早い時間で、他には人はいなかった)。(中略)浴場は手すりのような柵で男湯と女湯に分けられているが、両方とも互いに丸見えである。こういうのは東京にはもうないだろう」
これは1891年の日記から。

室蘭ではアイヌの人々と出会い、宮城県横山では女工の生活について詳しく記している。ニコライは各地の方言を聞き分けることができたが、そのニコライをしても鹿児島の方言にはとまどったようだ。もちろんラジオなんぞまだまだ遠い時代のこと、比喩的な意味ではなく東北の人と九州の人とでは話を通じるようにするのも大変だったことだろう。

ドストエフスキーの信仰の問題や、特異なキャラクターのソロヴィヨーフ、ニコライの人間観察眼がチェーホフ的であるなどロシアとの絡みも面白い。
幕末から明治初期に日本に滞在した外国人の記録などは興味深いものが多いが、ニコライの日記はその中でも別格かもしれない。


なんで今この二冊を読んだのかといえば、岩波文庫から『ニコライの日記』が刊行されたからなのですよね。厚いしどうしようかなあと思うのだが、やはり読むべきか。


プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR