94年の宮崎駿インタビュー

稲葉振一郎著、『ナウシカ読解 ユートピアの臨海』を読んだけど、感想はちと手に余るのでパス。とりあえず漫画版ナウシカすげ~な~という感じです。実は漫画版ナウシカは読もうと思ってから幾年たったかわからないけど、まだ読んではいないのですが。

巻末に1994年に行われた宮崎駿へのロングインタビューが収録されている(聞き手は稲葉、加藤秀一、西山俊一の三氏)。自分用のメモを兼ねて、すでに絶版の本ということで長めに引用してみる。


たとえば、<トトロ>みたいな世界は一瞬のユートピアだと思って作っているんです。小さな子供たちにとっては、まわりのことはわからないから、つまり、父親がどういう経済状態にあるかとか、どういう精神状態にいるとか、日本全体の政治的動向はとか、経済状況とか、そういうことがわからないから、自分の一日のなかの一瞬のなかでも充足感を味わうことができる。そういうふうに作ったのが<トトロ>だと思っているんです。時々誤解されて、あの時代はとてもいい時代だったんじゃないかという若い人が現れたりして、少しは日本の歴史を勉強してほしいと思うことがあるんです。しかし、そういう一瞬のユートピアのようなものは、昭和二〇年代の食糧難の時代にもあったと思うんです。それは、三〇年代でも、たぶん今でもあるだろう。人がこの世に生きていて作る、瞬間とはいえある時間・空間というのは、今は大人になって社会生活を営んでいて、なんでこんなにぐしゃぐしゃと生きなければいけないのか、もっとおおらかにのびのび生きられたんじゃないかと思う時に浮かんでくるものの原形なんだと思うんです。そういうものを僕らはいつも持ちつづけていて、時々そっちに戻りたい、なぜ戻れないんだろう、と感じている。だからたまたまああいう映画を見ると、自分が過去にそいう時間を持っていたか、もっていなかったかに関係なしに、そういう瞬間があったような気がするんです。 (p.191)


「あの時代はとてもいい時代だったんじゃないか」と思っている勉強不足の「若い人」がこの十数年後に首相になるのですよね……。



僕は日本は軍隊を持たざるをえないと思うんです。自衛隊なんて言わないで。だけど、ああいう今の自衛隊のような「軍隊」を持つなら、持たないほうがいいと思います。ほとんど食費の「軍隊」でしょう。
(中略)
平均年齢はやたら高いし。本当に面倒を見るんだったら、そのなかに澱みができないように、自衛隊はできるだけ若い時に退官しても、日本の経済社会のなかに受け入れられる道筋を作らなければダメですよ。一番危険ですね、具体的なことで批判を浴びない役人の集団になっているわけですから。
(pp.202-203)


宮崎駿といえば左翼でありながらミリタリーオタクであることが揶揄的に言われることが多いのですが、ここらへんはミリオタ左翼でなければなかなか出てこない視点かもしれない。聞き手は予備役制度について言及しているが、こういうのって本当は「保守」の人こそが考えなきゃいけないことなのに明後日のほうに行ってしまっているのですからね。



戦後四〇年、五〇年というのは、日本の現代史のなかのじつに不思議なエポックだったと総括できる。昭和というのは、現代史のなかでは一番凶暴な時代、僕は明治・大正は凶暴でないと思うんですが、そういう凶暴な時代は終わったんです。平成というんは凶暴な時代ではないと思うんです。名前も平成ですから。その時期に、自分たちの一種の攻撃性だけは持っていて、平和な時代に物質的な上昇だけは享受しながら攻撃性を堪能していたんだ。ついでに世界とか歴史とか、人間について実に甘い夢を見ていたんだと思います。ここで若者たちと作品の話なんかをしている時に、「もっと積極的になれ、攻撃的になれ」なんて言おうとして、これは単なる昭和の残りカスだなと思ったりしてわからなくなるんです。(pp.209-210)


明治や大正が凶暴でなかったかはさておいて、まさに「昭和の残りカス」が猛威をふるっているのが現在の日本のような。


 『火垂るの墓』にたいしては強烈な批判があります。あれはウソだと思います。(中略)巡洋艦の艦長の息子は飢え死にしない。それは戦争の本質をごまかしている。それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対に飢え死にしない。海軍の士官というのは、確実に救済し合います。仲間同士だけで。しかも巡洋艦の艦長になるというのは、日本の海軍士官のなかでもトップクラスのエリートですから、その村社会の団結の強さは強烈なものです。神戸が空襲を受けたというだけで、そばの軍管区にいる士官たちが必ず、自分じゃなかったら部下を遣わしてでもその子どもを探したはずです。それは高畑勲がわかっていても、野坂昭如がウソをついているからしょうがないけれども。戦争というのは、そういうかたちで出てくるものだと思いますけどね。だから、弾が当たって死ぬのもいるけれど、結局貧乏人が死ぬんですよ。パクさん〔高畑勲氏のこと〕はあそこに出てくるのは現代の子どもたちだなんて言ってましたけど、ああいうふうに頭下げてまで生きたくないというのは、現代の子どもたちはみんな持っているんだ。だから、これは戦争よりも、回りとの繋がりを切ってしまう、自ら死を選んでいく現代の子どもの生き方とつながっているんだと思って、作ったんだろうというふうにも思うんですけれども。
 巡洋艦の艦長の息子は死なない、それを僕は許せないんですよ。日本における戦争の具体的なことをあいまいなまま、あの巨大な間違いの時期をすべて悔い改めようということでは、いっこうに戦争にたいするリアリズムが芽生えないと僕は思うんです。それは日本軍だったから非人間的なのか、欧米の軍隊は非人間的じゃなかったのか。そこの境目さえあいまいにしてきたような気がするんですけどね。戦後の平和日本のものの考え方のなかにあると思うんです。
(pp.214-216)


恥ずかしながら実は『火垂るの墓』は原作を読んでないし映画もテレビでやっているのを流し見たことしかないのですが、あの兄妹ってそういう家の子だったのでしたか。これを知ると確かに作品を見る目が少し変わるかもしれない。

このインタビューってかなり興味深いところも多いのだけれど、宮崎駿ファンの間ではどういう位置づけなんでしょう。
本文含めて他にもいろいろと読み応えのある箇所も多いので、興味のある方は図書館なり古本屋をあさるなりして下さい。






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佐藤太郎(仮)

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