『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

ジョナサン・サフラン・フォア著 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

ようやく読みましたので。




死は誰にでも訪れる。そして誰にとっても一回限りの現象である。そう考えると、死というのは平等なものである。しかし死という現象自体はそうであっても、その訪れ方はとても平等とはいえない。
酒タバコをやりまくって毎日肉しか食べない悪党が100歳までピンピンしていて睡眠中に穏やかに息を引き取ることもあれば、生まれながらに様々な苦しみを背負い、精根尽き果てるような痛ましい最後を迎える人もいる。
あるいは、良き父親が、たまたま仕事の打ち合わせで訪れたワールド・トレードセンターでテロに遭遇し……


2001年の9月11日に父親を亡くしたオスカー少年が父の遺品から「ブラック」と書かれた封筒に入ったカギを発見し、カギの正体を知ろうとニューヨーク中のブラックさんに会いに行く物語に、オスカーの祖父母が体験したドイツのドレスデンへの爆撃がもたらした物語が並行して語られる。

何よりオスカーの人物造形が見事である。父親から仕入れた雑学に、フランス語を習い、わからない言葉を「ググって」調べるようにいささかませた小学生であるが、同時にホーキング博士をはじめ有名人や科学者に手紙を書きまくっては返事を待ったりするなど幼さと無邪気さを持ち(これはまた逃避行動でもあり、そこがまた涙を誘う)、そして母親の新しい「友だち」であるロンを嫌い、ロンと仲良くする母親にも辛くあたるような残酷さをも持っている。オスカーは母に向かって絶対に言ってはならない一言まで口にしてしまうのである。
オスカーは「いかにも子ども」のいい面も悪い面も持っているといえるかもしれない。それだけに、オスカーが父の死を受け入れられず、自傷行為など明らかにPTSDによる反応はより痛々しくもなる。これをオスカー視点で、つまり「いかにも子ども」の目から巧みに語られるともうたまらなくなる。
個人的にこのような「残された人の物語」というのに弱いせいもあって、とにかくもう冒頭から涙腺が崩壊しっぱなしになってしまった。

しかし、この作品は単なる「お涙頂戴」式の作品とは一線を画している。
一つにはプロットの中に、複数の「悲劇」(ドレスデンであり広島であり、この「加害者」はアメリカである)を導入していることである。オスカーはベジタリアンにして平和主義者で平等主義者であるのだが、地下鉄やエレベーターを恐がるのみならず、アラブ人を見てはつい恐怖感を覚え、そのことにまた罪悪感も覚える。このように被害者/加害者という二項対立的世界を相対化する視点を持っている。

そしてなにより、その手法である。オスカーの語りには様々な写真、試し書きのメモ、ブラックさんの手によるカードなどが引用され、文字通りにカラフルでもある。そしてドイツからの移民である祖母の独特の言語感覚、そして語ることができなくなった人物の、「息子」への手紙。

訳者あとがきでも触れられているように、この作品は「何を語るか」だけではなく「いかに語るか」という意識を持って書かれている。これは20世紀半ば以降の文学の流れを考えるとそう特筆することではないと思われるかもしれないが、この作品が素晴らしいのは、「いかに語るか」が単なる実験や遊戯精神に留まらず、「何を語るか」という問題に直結していることである。

死の訪れ方は当人にとっても平等ではないが、残された者にとってもそうである。いや、残された者はこれからも死者の記憶を抱えて生き続けなければならないという点では、その不条理感はより強いのかもしれない。それでいて新たな生活に踏み出すことで、死者の記憶が薄れることには罪悪感も湧いてくる。残された者は、死者とどのように折り合いをつければいいのだろうか。
オスカー、母親、祖父母、皆がこの問題に直面する。これを表面をなぞるだけではそれこそただの「お涙頂戴」で終わってしまう。まずはそれぞれにとって、世界がどう構成されているかを描き出さねばならない。オスカーにとって、世界とはいかなるところなのか、これを見事に読者の脳内に移植することに成功している。

物語が進むにつれ、いくつかの謎が明らかになり、世界の輪郭がよりくっきりしてくる。最後に待ち受けているのは、「癒し」や「新たな旅立ち」というような、手垢のついた表現とはまた異なった感慨である。そしてあの一連の写真のページを繰ると、それはまた当初とは違った姿で浮かび上がってくるようである。



僕はまだ未見なのだが、ご存知のように本作は映画化されたもののその評判は芳しくない。
様々なナラティブが導入されている本作をそのまま映像の脚本に移すことはできない。こいう作品を映画化するには、原作の精神をより汲み取ったうえで思いきった換骨奪胎が必要なのであろうが、原作を読んでる人には「こんなのありえない!」と怒りを買い、読んでいない人には「意味わからない」と呆れられるというのはよくあるケースだ。また「意味がわからない」という事態を避けようとした結果、プロットの整合性のみを重視し原作のエッセンスを台無しにしてしまうというのもよくある話なのだが、予告を見る限りではどうもこれっぽい。果たしてどうなっていうのでしょうか。







プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR