変わらぬこと

18日放送のTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」に元競泳選手の千葉すずさんがゲストで出演していた。このコーナーはポッドキャストされないのですがホームページで放送後のコメントは読むことができます(こちら)。
これを聞いていて、いろいろな意味で「変わらないのだよなあ」と思ってしまった。


千葉すずといえばメディアと非常に不幸な関係に陥ってしまったというイメージがあるが、このインタビューを聞くと彼女がなぜあそこまでのマスコミ嫌いになったのかという理由がよくわかる。

「事前にあまり調査をしない」 「取材するその人の実力がどれだけ世界と戦えるのかの見込みもわからずに、例えば容姿だとか知名度が先走りしちゃって」 「だから本人が苦しむことになる」 「知名度がなくてもすごい実力のある人にフォーカスを当てるのじゃなくて、人気が出そうな子を、言っちゃ悪いですけど実力がそんなたいしたことなくても、ぽーんと祭り上げちゃうから、結局本人だけが苦しむみたいな、結果が出なかったときに」

そしておそらく、一番苛立ったであろうことが「同じ質問ばかりする」ということだったのだろう。
「本当に訊きたいことないのかなっていう。みんな同じこと訊いてくるんで。その人の訊きたいことってないんですよ。個性がない。だからそういう人たちに本心を話しても、みたいな感じになっちゃうんで。一人ひとりが全然違う質問で、こっちが答えられるようなことだったらいいんですけど、みんな同じ質問なんで、それをもう何十回と言わなきゃいけないのがもうアホらしくなってきちゃって」というのは当時の、そして今でも本音だろう。

ここで比べてしまいたくなるのがここ数年の「なでしこジャパン」人気である。
もちろん世界のトップを争っていることが結果としてはっきり残っているというのが最大の要因であろうが、「なでしこジャパン」がとりわけマスコミで好まれるのは、彼女たちが「期待通り」の振る舞いをしてくれるということもあるだろう。
うんざりするような質問を山のように浴びせかけられているのだろうが、不勉強な記者に仏頂面で応じることはなく、バラエティ番組のバカ騒ぎにも愛想よく突き合う(のだと思う、よく見てないので勝手なイメージだけど)。
メディアにとっても、それを通して「なでしこジャパン」を消費する側にとっても、テンプレに沿った言動をしてくれるので「安心」できるのだろう。
従って「期待通り」の振る舞いから外れた時にはしっぺ返しも待っている。表彰式(? これも見ていないのでよくわかっていないのだが、全体がただの印象論なのでご海容を )で「はしゃぎすぎ」という批判が一部からなされたそうだ。さすがにバッシングにまでは至らなかったが、あそこで叩いた人というのは「思っていたのと違う!」ということだったのかもしれない。こういう人にとっては、「見たいものが見たい」のであって、選手の自然な感情の発露などどうでもいいのだろう。
男性スポーツ選手の場合はまだ「期待通り」に振舞わないことがかえって恰好いいと受容されることもあるが、女性スポーツ選手の方はその許容度はかなり低くなる。おそらくはその「消費」のされ方が、純粋にスポーツによるパフォーマンスとは別の要素が大きな割合を占めているためだろう。

千葉は記者に「個性がない」と言ったが、記者(そして「消費者」)の方からすれば、逆に選手に個性など求めてはいないのだろう。だから自分たちも個性的になどなる必要はない。「空気を読む」選手ならば試合前にはとりあえず「みなさんに勇気を与えたい」とでも言い、試合後には結果が出ようが出まいが「みなさんに支えられてここまでこれました」とでも言っておけば無難だということになるのだが(ここ数年この手の言葉をお決まりのように口にする選手が本当に多い)、そういうことに耐えられない人間にはアホみたいな質問にしつこく付き合わされるのは苦痛以外の何物でもないだろう。

久米が「マスコミに嫌われるのは恐くない?」と訊くと、千葉は「もう別に、はい。目的が違うんで。私のやりたいこととは。オリンピックに出て結果を出すことなんで。それ以外のものは自分に必要ないと思っていたから」と答えている。
少し意地悪な見方をしてしまうと、「基本話たくないバリアをはっていたんで」なんて言えるのは、「あなたの環境は恵まれていたからそう思えたのでしょう」と言いたくなる人もいるかもしれない。先ほど引き合いに出したサッカー日本女子代表でいえば、今でこそあの扱いだがほんの数年前までは資金的にも厳しく、合宿や遠征費用を捻出するためのスポンサー確保には少しでも多くメディア(とりわけテレビ)に露出しなければという状況だったのだろう。そのためにはカメラの前で不機嫌でいることなど許されない。
もちろんこんなことを選手に意識させようというほうがどうかしているのだが。

いずれにせよ、ロンドンオリンピックの報道の仕方にしろ、その後の選手の「消費」の仕方にしろ、ここ十数年、スポーツ(に限らないのだろうけど)マスコミというものはまるで変わっていないのだなあということは、今まさに見せ付けられている。


変わってないなあといえば千葉すず自身もそうであるようだ。あの歯に衣着せぬもの言いというのがそのままといった感じがよかった。余計なお世話ながら、あの性格ではいろいろと大変なこともあるのかもしれないけれど、妙に丸くなってたりしなくてほっとしたところもある。
千葉といえば「天才美少女スイマー現る」(久米は「美人は罪」と言っていたが、もし頭蓋骨の形状やそれを覆う筋肉の形態が「個性的」であったら印象はかなり違っただろう)みたいな扱いから、あのクソ生意気なガキ見てるだけでムカついてくる、というように最後は全方位的に嫌われたという印象もあるのだが、にもかかわらずというか、そうであるからこそ好きだという人も少なからずいたことだろう。久米宏もそうであったのだろうし、すでにお気づきのように僕もその一人であったのです。
僕はどうもちょっとエキセントリックさが入ってるくらいの気の強い女性に弱く、その原点はここにあったのかもしれない。もっとも幸か不幸か、こっちはそのような人から最も嫌われるであろう性格をしているのでありますが。


それにしても、「千葉すずが37歳」と聞いても、「そんなものか」というところだが、「四人の子どもがいる」と聞くと「うむむ」という感じになる。より正確に言うと、結婚相手の山本貴司(同じ競技のメダリストカップルというのもすごい)が同い年であるということに気づいて少し動揺してしまったのである。「同い年の人が千葉すずと結婚している」ことにではなく、「同い年の人に四人も子どもがいる」ということにだ。

こないだ母親が芦田愛菜の出ているドラマをぼーっと見ていたので、「あんな娘でも欲しかったんかいな」と思ったのだが、「そうではない、娘じゃなくて孫だ」ということに気づいてぞぞっと悪寒が走りすぐに退散した。子どもが四人というのはともかく、今の僕の年齢であれば7,8歳の子どもがいてもそう不思議ということでもないのだが、自分が子どもを持つということが可能性ですら有り得ないことのようにしか思えない。

千葉すずが始めてオリンピックに出たのがバルセロナだが、そこで金メダルを取った岩崎恭子は僕と同い年である(岩崎恭子さんにも子どもがいるのですね)。思えばあの頃から僕の精神年齢というのは1ミリも成長していないような気がしてくる。
変わらぬことで一番ヤバいのは、個人的には間違いなくこれなのだろうが、ここまでくるともう手の施しようがないのでありませう……

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佐藤太郎(仮)

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