『ナチスの知識人部隊』

クリスティアン・アングラオ著『ナチスの知識人部隊』




「アインザングルッペ(行動部隊)」は、「東欧ユダヤ人の絶滅というナチスの企て」に深く関わり、東欧やロシアで残虐行為を行った。彼らは町のゴロツキによって組織されていたのだろうか。いや、「彼らは美男で、輝かしく、教養があった」。経済学、法学、言語学、哲学などを学び、博士号を取得している人間も含まれている知的エリートたちだったのである。

一九四一年八月、ヒムラーはベラルーシのミンスクを訪れ、そこで百人ほどの処刑に立ち会った。ヒムラーは「見るからに不快そうに目をそむけ」た。「彼の話を聞いた者は、この血ぬられた仕事に彼が恐れを抱き、心の底から動揺していたのに気づいたにちがいない」という証言がある。しかし「アインザインコマンド8の男たちにとって、この虐殺はたいしたことではなく、日常の業務の一部であった」(p.262)。

ヒムラーですらぞっとさせるような行いを平然とさせたものはなんであったのだろうか。著者が最も重視するのは第一次大戦の記憶である。「 アインザングルッペ」に加わった知的エリートたちは幼少期に戦争を体験した。そして「一九一四年の精神」に含まれていた、国民をひとつにする「フェルキッシュ(国粋主義的)」な意思を、「SS知識人グループのメンバーたちはやがて、一切の譲歩なしにこの意思を支持するようになる」(p.17)。

強烈だったのがその被害者意識である。ドイツ帝国は二〇〇万人の兵士を失ったが、著者の計算によると一八〇〇万人が兵士の死別に直接かかわり、さらに遠い社会サークルでは三六〇〇万人ほどの人が関係した。「つまりドイツ国民の半数が、近親者が死別するという経験をしたことになる」。
一九一六年以降は食料事情が極度に悪化し、さらに戦後の連合国のとった政策から「女性と子どもに対する戦争とみなされるようにな」る。「飢え、近親者との死別、生きるために戦っているという感覚の三つが、子どもたちの戦争経験の主要な要素であった。おまけにそれは、新聞に特有の読み方に組み込まれていたのである」(p.18)。

「戦争の初期から非人間的な敵のイメージが作られていたため、帝国は敵に包囲され全面的な防衛戦争を強いられているという表現を、ドイツ人はすんなり受け入れていた」(p.19)。
負傷したドイツ兵が女性や子どもを含む民間人から虐待を受けていると信じられ、ドイツ軍が行っていた略式処刑は正当化された。そして新聞や学校を通じて、ロシア人の「文化的劣等性」が強調され、「優越感と人種偏見」はさらに強化された。

ナチにおいて相手を「人間ではない」と見なす心性がもっとも向けられたのはもちろんユダヤ人に対してである。ユダヤ人を「動物」と見なすようになり、東欧からの報告書には「ユダヤの獣性」という表現が使われる。戦闘中はユダヤ人を野獣と同一視することで「狩猟」という想像力が働き、支配した後は「動物」は「家畜」化される。「ゲットーのユダヤ人というイメージの固定化によって生じた第二段階を、アインザングルッペの将校たちは家畜化の流れとして経験した。それは狩猟ではなく、屠殺であり、そこには幼い子どもや新生児まで含まれる」ことになる(p.257)。

これらは当時のドイツ特有の時代状況や教育システムを通じた人脈形成などにも大きく影響されていることは間違いないのだろうが、また「やらなければやられる」という被害者意識と恐怖心、そして人種偏見による優越感とそこからくる自己正当化という、矛盾しているともとれる二つのメンタリティの結合というのは世界の歴史においては繰り返されてきたことであるし、これからもその危険性というものは人類は抱え続けていくのだろう。

「第一次大戦の子どもたち」の一人であるヘルマン・ベーレンズは「コマンド隊をロシアの前線に送った元SD長官」であり、「ゲルマン化の理論家」で「熟達した実務家」でもあった。武装SSに身を投じると第一三SS師団「ハントシャール」のセルビア司令部のポストを手に入れ、地元のレジスタンスへの残酷な扱いで知られた。戦後アメリカに逮捕され、四八年に処刑された。
「「ハントシャール」の部隊は血の痕跡を残し、新たな戦争の子どもたちを生み出した」(p.430)のであった。

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佐藤太郎(仮)

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