ベケットとホメオパシー

ジェイムズ・ノウルソンの『ベケット伝』を読んでいたらこんな部分に出くわした。
一九六八年五月、まさに五月革命を目の前にしてベケットは「息苦しさを覚え、さらに胸に鋭い痛みを感じた」(下 p.203)。そして「自分でも具合が悪いと思っていたようで、気に病んでいるうちに体重も落ちてい」く。すると妻のシュザンヌは、「ホメオパシーを信奉し、薬草学にも通じているクララックに助けを求めた」。クララックは「にんじんジュースを日に何度も飲むように指示」し、「体にやさしい薬草を処方した」。この治療法を問題視していた友人たちは「にんじんジュースでサムを治療」と言っていたそうである。

当然ながら治癒するわけもなく、「高熱のため、ホメオパシーではなく、普通の医学的診断をしてもらわざるをえな」くなる。仲のいい医者が近くにおり、後にベケットは「あのとき自分の命を救ったのはこの隣人だと言っている」そうだ。
ところでこの検査をする際、過度の飲酒を続けていたベケットに麻酔が効かないおそれがあったため、催眠術によく似た「誘導覚醒夢」を施し、「ベケットは夢のなかで、子どものころ父と楽しんだダブリン山の散歩の思い出に誘い込まれ」ている間に肺に管を通して生体組織検査に必要な肺細胞のサンプルを採ったそうなのだが、「誘導覚醒夢」なんてものほんとに効くのだろうか。やってみたいようなみたくないような……

ベケット夫妻がこれにてホメオパシーとは縁を切ったのかといえばそうではなかった。七ヶ月に及ぶ療養生活を経てある島へ行くことになるのだが、服用していた抗生剤をシュザンヌは一刻も早く止めさせたがった。「薬草などホメオパシー療法の熱烈な信者である彼女は、科学的に強い薬品に対して、それがなんであろうと副作用を口やかましく非難したからだ」(下 p.208)。
そしてベケットも抗生剤の服用をやめると、「たちまち気分はよくなった」とのことである。

この後夫人に先立たれたベケットは、周囲からは「もっと快適で、贅沢な暮らしができるはずだし、そうすべき」と思われていた。最高級の看護付き療養所や個人的に介護を頼むこともできたが、あくまで禁欲的で質素な生活にこだわった。もちろんまるっきり一人ですべてをこなしたわけではなく、食事を運んできてくれる人や自宅に理学療法士もやって来ていた。そして毎日『リベラシオン』紙をもってきてくれるクーラミー医師は、「ホメオパシー療法の支持者」であったそうだ。

本書を読んでもベケットがどこまでホメオパシーを信奉していたのかはよくわからないが、少なくとも否定的な感情は持っていなかったようである。著者は生前のベケットと親しかったのだが、本書の記述では著者もホメオパシーにそれほど問題は感じていないようにも読める。おそらく民間療法の一つくらいという意識で、とりたてて問題にするほどではないということなのだろうか。それで死にかけたはずなのですが……。
サイモン・シンの『代替医療のトリック』でも触れてあったが、ホメオパシーに代表される代替医療は害があるのは論外だが、それ自体には害がなくとも(ホメオパシーのレメディは砂糖玉なのでそれ自体には害はない)、それを信奉することによって適切な治療を受けるのが遅れてしまったりするというのが問題であり、ベケットのケースはその典型例といえるのかもしれない。


ベケットとホメオパシーというのはあまり結びつきそうもないようで意外に思えた、と書いて終わろうと思ったのだが、考えてみればそもそも意外に思うほどベケットのことをよく知らないのでありました。
ベケット家の人々がスポーツに秀でており、サミュエル自身もなんてとこも意外な感じがしたのだが、そもそも僕はベケットにどんなイメージを抱いていたのやらというころであるのだが、こういう「誤解」は結構広く行き渡っているのかもしれない。


ベケットはしばし「非政治的」と言われてきたし、その姿勢が誤解されることもあった。しかし第二次大戦中、アイルランド人として中立でいることもできたときにイギリス特殊作戦部(SOE)のレジスタンス細胞に加わり、戦功十字章とフランス功労賞を授与された。また、人権擁護に深くコミットした。アパルトヘイトには全面的に断固反対したし、若いころからあらゆる人種差別に敵意を抱いていた。アムネスティ・インターナショナルやオックスファムを含む世界中の人権擁護運動を支持したし、東欧の自由化を求める運動を支持した。フランスに住む外国人として居住許可が取り下げられないよう注意はしたが、多くの政治的事件に関与した。(上 p.18)

これだけでもへぇ~という感じだったのだが、逆に考えると「序文」でこう断らなくてはならないほどベケットに対する誤解は広がっているということなのかもしれない。もちろんここにベケットを非政治的であるという批判から救い出したいという著者の意向というものを嗅ぎ取ることもできるのかもしれないが。

「カート・ヴォネガット・ジュニアの小説『スローターハウス5』を読んだ。彼はこの本の虜になっていた」(下 p.248)とあるが、ベケットがヴォネガットを気に入るというのは意外ということもないのかもしれないが、ヴォネガットがドレスデンで捕虜として爆撃にさらされていたころ、ベケットはフランスの寒村でレジスタンスに参加していたことを思うとまた違った趣がある。

「基本的には、ベケットは左翼思想の持ち主で、反体制」であり、「死刑には全面的に反対」あった(下 p.301)。
「弱者、つまり敗者、病人、(政治犯か否かの別なく)囚人、貧乏人、浮浪者、ときには悪党に対してさえも、ベケットは同情し、なにかをせずにはいられなかった」そうだ。
例えば「一人の負傷した元兵士が、お涙頂戴の絵葉書を売っていたのを見たベケットは、その男の絵葉書をそっくり買い取った」ことがあった。こういったことから「お人好しのカモ」という噂もひろまり、「それは疑いようもない事実だった」というのは結構イメージが変わる。

ベケットの書斎からサンテ刑務所の独房が見え、「少なくとも一人の囚人と、ベケットは鏡によるモールス信号で会話をよくしていた」そうである。ある日友人が訪ねて来たとき、「ベケットは明らかに誰かに合図を送っていた」そうで、「客が来たので会話を中断しなければならないと、道の向こうの囚人に合図をするため、ベケットは両手をパッと上げて、降ろし」、こう言ったそうである。「連中にはほとんど楽しみがないからね」。
厳しくて気むずかしくてとっつきにくいというイメージだったのだが……いや、それもまた事実でもあるのだが。

ベケットには「犯罪者が嫌いではなかったという資質」があったようで、「彼を一目でうんざりさせるような気むずかしい立派な市民よりも、犯罪者と一緒にいるほうが、はるかに楽しかった」(下 p.302)と言われると、イメージに適うようにも思える(ってそもそもどんなイメージを持ってるんだって感じですが)。

ベケットは『ゴドー』について、登場人物の性別を変えることを頑なに拒み、ついには「女性には前立腺がない」という言葉を口にすることになる(下 p.363)。
著者はこれは『ゴドー』の「ヴラジミールが用を足しにしばしば舞台を離れるのは、前立腺が肥大しているから」であり、登場人物が男性でなければならないのは「肉体的な性差からだけでなく、声音を楽器のように比較して役割の見きわめをしている」としているのだが、こういう妙とも思えるようなこだわりとそれが生む一種の偏狭さというのはまさに僕が持っていたベケットのイメージなのだけれど、こう言ったら怒られるのかな。
ちなみにオランダではこの問題で裁判沙汰になり、ベケットは敗訴するが、今度はオランダでのすべての作品の上演を禁止するという宣言をしてしまうのでありました。

若き日にはジェイムズ・ジョイスに師事したベケットだったが、それ以降は作家とはあまり交友関係を結ぶことはなかったそうなのだが、「若手でニューヨーク在住の作家ポール・オースターにも会った。オースターはベケット作品の崇拝者で、自作品を何作かベケットに送っていた」(下 p.316)なんてところもある。この関係は納得という感じですね。






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佐藤太郎(仮)

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