『『マルタの鷹』講義』

諏訪部浩一著 『『マルタの鷹』講義』




本書の元となっているのは『Web 英語青年』での連載であるが、「あとがき」によれば「『マルタの鷹』を好きなだけ精読するようにという依頼」があったそうである。まさにその通りに、基本的には一回の「講義」につき一章を取り上げるという(一九章以降はさらに細かく)、『マルタの鷹』を冒頭から結末まで舐め尽すかのように読み込まれている。


『マルタの鷹』が出版されたのは1930年。この作品が執筆されていた時期はまた探偵小説の黄金期でもあった。にもかかわらず、ではなく、であるからこそこのような作品が生み出された、その必然というものがあったのかもしれない。

ダシール・ハメットは探偵小説の伝統という恩恵を十分に受け取っているし、またハードボイルドという新たなジャンルの開拓者として新しい世界を築いた。しかし『マルタの鷹』は、その両者にまたがるものであると同時に明らかにジャンル小説の枠を「逸脱」するものでもある。

『マルタの鷹』が探偵小説の常道である語り手に「ワトソン役」を配するのでもなく、またハードボイルド小説の「定番」である、「オプもの」でも採用していた一人称という形式もとらず、「かなり厳密に徹底された三人称客観の視点から書かれている」。ハメットがなぜ三人称を選んだのかが詳細に検討されており、まさにこれは作品全体を決定付ける選択であったといえよう。

「逸脱」や「余剰」は小説のジャンルに対し越境的になる。『マルタの鷹』は探偵小説であり冒険小説であり恋愛小説でもある。そしてこの作品はハメットのモダニスト的感覚が反映され、またガットマンに象徴される「腐敗」とスペードが取り戻さんとする(ようにも見える)「イノセンス」との相克は「ヨーロッパ」と「アメリカ」をめぐる戦いでもあり、神話的様相すら呈しているようだ。オショーネシーに代表される「ファムファタル」とエフィに代表される「母」、両者の間でのスペードの選択。と、こう盛りだくさんであると、ハメットがはたしてどこまで作品を意識的にコントロールしていたのかということを疑いたくもなるが、本書ではこれらをハメットが意識的に構成していることが明かされる。
同時にカイロのような人物を登場させることは当時としては画期的であるものの、そのセクシャリティ描写は時代的制約を受けたものでもあり、この作品を完璧なテクストだと「聖典化」しようという試みではない。


『マルタの鷹』の少なからぬ読者が「第一の殺人」の解明について、そしてその後のスペードの態度について、どこかとってつけたような印象を抱くことだろう(僕自身もそうだった)。しかしこれもハメットによる周到な用意の結果であるとしたら。


そしてここにおいてあらためて理解されることが、『マルタの鷹』ではやはり「探偵小説」が「冒険小説」や「恋愛小説」の上位に置かれているという事実である。幾重にもめぐらされた「ナラティブ・トリック」を用いて「冒険小説」の終焉が「恋愛小説」の終わりをも意味するように見せるテクストは、実は恋愛の成就の可能性が既に潰えていることを「冒険」の結末に先立って示唆しているのであり、そしてその「恋愛」の終わりがここで決定づけられている以上、ガットマンが「謎解き」の話で語っていたブリジットの「関与」はやはり看過され得ないからである(p.266)。

この引用箇所は読んでいてぞくぞくっときたのだが、ここだけを取り出すとなにかアクロバティックでトリッキーな、奇をてらったような文学批評のように思われるかもしれないが、本書はむしろ正統派も正統派、ど真ん中に腕もちぎれんばかりに直球を投げ込むような読解となっている。
「あとがき」で、「『マルタの鷹』ほどの傑作なら、普通に読めばそれだけで面白さを伝えられるに違いない、という目算があった」としている。それは「未知の語は辞書で調べ、先行研究を可能な限り読むといった、外国文学研究者として極めて「普通」の手続き重ねていく過程をそのまま見せる」ことである。

まさにこのような正攻法によって丹念に読みこまれていく、探偵小説の「極北たる」この作品の、その「ショッキングな、そして極めてアイロニカルな結末」まで併走するという体験は、まさにこれぞ文学批評における快楽という感じであった。



それから巻末に「『マルタの鷹』語注」が付けられているのだが(本書に未収録のものが研究社のサイトからダウンロードできます。こちら)、そこでMr.Archerについて、「ロス・マクドナルドの探偵リュウ・アーチャー(Lew Archer)が、このスペードのパートナーの名をとって命名されたことはよく知られている――が、そうではなく、高校の教師に由来するという最近の説もある」というのにはひっくりかえりそうになってしまった。ううむ、そんな説があるのですか。でも、やっぱり『マルタの鷹』からとったということにしておいてもらいたい……


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