『人生はビギナーズ』の、多分少々特殊な感想

マイク・ミルズ監督『人生はビギナーズ』




母の死の四ヵ月後、オリヴァーは75歳の父から自分はゲイであると打ち明けられる。これはオリヴァーにとって何を意味したのであろうか。父が実はゲイであったというのは、とまどいではあっても受け入れ難い事実というわけではなかったのだろう。若い恋人ができ、ゲイコミュニティの中ではつらつと活動する父をオリヴァーは受け入れている。むしろオリヴァーにとってショックであったのは、父がかくも長きに渡り秘密を抱え続けていたことなのかもしれない。実は一人で抱えていたわけではなかったのだが、これはまた一種の欺瞞のうえで夫婦関係が継続されていたというようにも理解できる。家庭は荒れていたわけではないが、夫婦関係は冷えており、母親は息子に愚痴をこぼし、父親は遠い存在であった。このような子ども時代が、己の精神に決定的な刻印となっていることを改めて突きつけられたかのように思えたのかもしれない。

父の世代にとってはカムアウトをするなどということはそもそも選択肢にも入らなかったであろう。本作の中でもゲイへの弾圧の歴史が語られる。
しかしオリヴァーにとっては、そのような社会的、歴史的背景よりも、自らに植えつけられたであろうあることの方がショクだったのかもしれない。それは最も近しいはずの存在にも自らの心を開くことができない、ということだ。これを裏返せば、たとえ愛する相手であろうともどんな秘密を抱えているのかわからないという不信にもつながる。最も近しい相手にも自らを開け放つことができず、また相手を完全に受け入れることもできなくなる。このような、人間(夫婦)関係を営むうえで、心を腐らせていくような病とすらいってもいいものが、自らの深層意識の中に植え付けられているのかもしれないという疑念を裏書することになったのではないか。

父は若い恋人に対して自分が末期癌であることを打ち明けることができずに、息子にそれを伝えてくれるよう頼む。父は一見すると抑圧から解き放たれて人生を謳歌するようになったようである。しかしこのような極めて重大かつ個人的なことを自らの口で愛する人に伝えることができない。結局のところ父は変われなかったのだし、自分も同様の人間なのではないか、オリヴァーにはそう思えたのかもしれない。

オリヴァーは父から犬のアーサーを引き継ぐ(可愛すぎ!)。アーサーは新しい主人に離れることなく寄り従う。
犬という動物は愛情を注げば注いだ分だけ返してくれる存在である(もちろん現実にはそうでない犬もいるけれど、一般論として)。疑うことなく愛情のやり取りをすることのできる犬という存在は、父やオリヴァーのような存在にとっては対極であるのかもしれない。

父の死の約三ヵ月後、オリヴァーは仮装パーティーでフランス人女優のアナと出会う(ここでオリヴァーはフロイトの扮装をしている)。不思議ちゃんが入っているようなアナは、犬的というよりは猫的な人間である。気まぐれな「猫」に対してはオリヴァーは惹かれると同時に不安も抱くことだろう。
ここで重要なのは、アナとオリヴァーは対極な人間としてではなく、むしろ同じタイプの人間として描かれていることである。

物語はオリヴァーとアナの恋愛模様を「現在」とし、そこに父の記憶、母の記憶がフラッシュバックとして挿入される。母親の少々エキセントリックな振る舞いはアナと重なるが、しかしこればかりではない。アナのある行動は子どものころのオリヴァーのそれでもあった。これは「記憶」であるので、オリヴァーが事後的に捏造した可能性もある。オリヴァーはアナを母に重ねると同時に自らにも重ねているのである。

オリヴァーはこれまでの人生で恋人との関係を長続きさせることができなかった。これはおそらく、他者と真剣に向き合うことは自らが「愛」というものに不全であることを突きつけられる、あるいは突きつけられるという可能性を恐れてのことであろう。
アナとの関係も案の定という状態に陥るものの、それから……という展開となる。

Beginnersとタイトルはどこから来ているのだろう。
75歳になって初めて自らに正直になれた父のことを考えれば、オリヴァーもアナもまだまだ「初心者」、これから新たな長い人生が待っている、というのが作品を素直に受け取っての感想だろう。だがこうも思えてしまう。オリヴァーのような人間は人生において次の段階に進むことのできない永遠の「初心者」として、対人関係においてそれを深めることを忌避し、常にふりだしに戻すという選択以外とることができないということが暗示されているのだとしたら。

オリヴァーの住む世界はリアリティを欠いている。
鬱屈した気持ちを抱えているオリヴァーはそれを仕事に引きずり、クライアントの依頼に応えることができない。しかしこれによってオリヴァーが職を失ったり、その結果貧困生活を余儀なくされるようには思えない。父は美術館の館長を努め、母は古い家の改装を手がけていたそうだが、家の様子からするとかなり羽振りは良さそうである。この作品世界の人間は、なんだかよくわからないがそれなりの収入を得ているというような、かつての日本のトレンディードラマに近いのかもしれない。そこには貧困は存在しないし、暴力も侵食してこない。
オリヴァーがアーサーと「会話」をすることからも、本作は「ファンタジー」であると言っていいだろう。この作品は「オシャレ」な恋愛映画として消費することもできるし、そのような見方が間違いであると言うつもりもない。
ただ、これはある種の人によっては精神の暗闇を映したような、ダークファンタジーとして響くこともあるのかもしれない。

まあ、お前の今の精神状態による偏向によってそう見えただけだと言われれば、その通りなのでありましょうが。


ついでにどうでもいいことを付け足しておくと、父の恋人役のゴラン・ヴィシュニックは後期『ER』の事実上の主役であるコバッチュをやってた人ですよね。ユアン・マクレガーがオビ=ワンに見えてしまってどうしよもないということはないのだけれど、ヴィシュニックは他のイメージがあまりないだけにコバッチュのにしか思えなくてまいった。『ER』での下半身が別人格という設定は早々に降板したジョージ・クルーニー演じるロスのキャラを引き継いだものだったのだろうけど、やっぱりドラマはイメージが固定する前に降りてしまうというのが正解なんだろうなあ。

そういえばアナ役のメラニー・ロランは『イングロリアス・バスターズ』のあの子ですよね。こちらは感じがちょっと違ったんでなかなか気がつかなかった。
個人的には監督のマイク・ミルズの名前を見るたびにどうしてもR.E.M.の方のマイクは浮かんでしまうのですが。監督のほうはこんな人。








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