日本の「リベラル」とやらの腹立たしさ

毎度のことといえば毎度のことなのだけれど、やはりこういうのは何度読んでも腹が立つのでその勢いで書いておく。


朝日新聞の日曜日の朝刊に編集委員の根本清樹が「政治断簡」というコラムを連載している。14日の回では「民主党リベラリズム 枝野氏「原点回帰」説く」というタイトルがつけられているのだが、これが二重三重にひどかった。

枝野の新著『叩かれても言わねばならないこと。』(どうでもいいが、タイトルは編集者がつけたのかもしれないが「。」がいらっときてしまう) を取り上げている。

根本はこう書いている。「枝野氏によれば、明治以来の日本が歩んできた近代化のプロセスはもはや限界である。財政危機を、格差拡大を、原発事故を見よ。いま「成長幻想」を捨て、「負の再配分」を覚悟し、「脱近代化」社会をつくっていかなければならない――。/ここでの仮想的はいうまでもなく、あくまで成長を追う「上げ潮」路線である。」

僕は枝野の件の本を読んでいないのでここに書かれている要約が適切なものかはわからないが、過去の枝野の発言からすると十分にありそうなことであり、さらにそれを好意的に取り上げるというのもいかにも朝日新聞の政治部らしい発想であると思ってしまう。

ちなみに根本は枝野を「リベラル」と見なしているのだけれど、リベラルって反近代だったのか!という斬新な解釈についても突っこみたいところではあるがとりあえず置いといて、なんといっても目につくのが「成長」への嫌悪である。
これは何度も言っているが、ここでいう「成長」とはおそらく高度経済成長をイメージしているのだろう。確かに日本がまた高い成長率を長期に渡って維持するということは考えづらい。しかしだからといって成長そのものを敵視したり、有り得ないことだと匙を投げてしまうのは全くもってナンセンスな発想としか言いようがないだろう。
日本はもう20年以上も低成長が続いているが、その結果として財政状態や格差の問題がどうなったのかに真剣に向き合えばこのようなあまりに雑な印象論を振りかざすことはないはずだ。
90年代ならともかく2012年にもなって、しかも与党の有力議員にして経済産業大臣がこのような認識であるというのには頭を抱えざるを得ない。

枝野と同年代の40代半ばで、まだ小中学生あたりの年齢の子どもを抱えた状況で失職し、新しい職が年収二百万円代でかつ不安定なものしか見つからないとしたら、絶望にかられて死にたくもなってくるだろう。「成長なんていらない、そんなものは幻想だ」というのは、こういう人に向かって「お前は勝手に死ね」と言っているも同じことではないか。責任ある人間なら、石にかじりついてでも雇用を、それもできれば安定した雇用を創出しようと努力すべきだし、そのためには成長は欠かせないものであるはずだ。成長しないということは雇用も生まれないということであり、そんな状態でどうやって財政や格差問題を解決するつもりなのか。


根本のコラムは枝野本を参照しつつさらにこう続く。「政治は、それぞれの貧困や病苦に手をさしのべることはできる。しかし、幸せや自己実現は、それぞれが自分で追求していくしかない。それが、「人々に多様性を認める社会、真にリベラルな社会」での政治の役回りである。」

だから経済成長なしにどうやって「貧困や病苦に手をさしのべる」のさ、というところであるが、そこを除けばこのような社会観は僕も同意するところである。管直人の「最小不幸社会」を、「人々の価値観や選好、内面にかかわる領域から政治は手を引くべきだ」と説明している。これにも大いに賛同する。でもこのような考えのどこが経済成長と矛盾するのだろうか。結局あなたがたは「経済成長=悪」という価値観をこっちに押し付けて来ているだけではないのかとしか思えない。
僕は「最小不幸社会」という言葉自体は悪くないと思っている。ただし管がこれに叶う政治を行おうという意思や、その意思を実現させるための現実的政策を持ち合わせていたのかといえばそれは別問題である。

根本は「消費増税という負の再分配には辛うじて手をつけた」としてこれを評価しているが、現在の日本の経済状況で消費増税を行えば、もっとも影響が大きいのは社会的弱者であろう。このようなことをやってのけるのが「リベラル」なのだとしたら、僕は「リベラル」など御免被りたい。

ということで、ちょうどデモクラシー・ナウ!でのノーベル経済学賞受賞者であるスティグリッツの新著についてのインタビューに日本語字幕がつけられていた(こちらから)。

33分ころから、「(ウォール街)占拠運動は? 何に力を入れるべきでしょう? 改革を成功させる方策は?」という問いにスティグリッツはこう答えている。

占拠運動でとても良かったのは大多数は運命共同体だと言ったこと 金持ちと貧乏人の対決ではなく(金持ちと)99%の対決です つまり皆が沈む時は一緒だ 国民の圧倒的多数の利益に叶う政策を追求しよう 階級対立ではなく国全体が一つです これが「99%」の意味です そのことを発信し続けてほしい 不平等は米国社会を分断しひどく弱体化させています 本で一番伝えたかったことがある 従来の経済学は格差の縮小は代価が必要と説きます 平等は経済を弱体化させると でもそれは間違いです 経済の好調や成長や効率と格差の縮小は対立しない 両立できます 占拠運動が発する重要なメッセージはそれです

これについて枝野や根本の感想をぜひ聞きたいものである。


「リベラル」を名乗って政治に関わるのなら、スティグリッツやクルーグマンの最近の本くらいは読んでおきましょうよ、それくらいの勉強はしてみてはいかがですが、と言い切ってしまいたいところなのだが、実は僕自身がまだ読んどらんのでありました……。とりあえずはデモクラシー・ナウ!のスティグリッツのインタビューとクルーグマンのインタビュー(こちら)にくらいは目を通していてほしいものです。
スティグリッツはアメリカの政治状況を嘆いていたし、確かにひどいもんだという気もするのだけれど、日本とどっちがマシなのかということを考えるとこっちが暗い気持ちになってくる。日本の政界にいる「リベラル」ってなんでこうなんでしょう。


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佐藤太郎(仮)

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