カフカと「編集」とビートルズ

明星聖子著 『新しいカフカ』




カフカは親友の作家マックス・ブロートに宛てて、遺稿や日記、手紙等を全て焼き捨てるよう指示した遺言を残したことは有名である。
しかし著者はこう指摘する。ブロートは「日頃からカフカの書くものを高く評価し、公表するよう再三説得していた親友、すなわち、決してその指示に従うはずのない人物」なのである(pp.293-294)。
この指摘というのは言われてみれば確かにその通りである。あの遺言はカフカにとっては「賭け」であったのかもしれない。それは作家カフカそのものを表すようなものとも思えてくる。そしてこの遺言はカフカ受容史としても重要な意味を持つ。

ブロートがカフカの遺品を整理していて発見した遺言は、実は二枚あったのである。一枚はペンで書かれた簡潔なもの。もう一枚は鉛筆で書かれたより詳細なもの。
ブロートは鉛筆で書かれたものがより古い下書き的なもので、ペン書きの方が新しいものだと考えていたが、その後の研究によりペン書きが1921年秋から冬、鉛筆書きが1922年11月29日に書かれたものだとされるようになった(p.8 『友情の記録』)。

ブロートはカフカの死のわずか一ヵ月半後(!)にこの遺言を雑誌で公開し、遺稿を出版していくつもりであることを明らかにする。ここでブロートは遺言の日付を落としてしまい、この二枚の遺書が書かれた時期についての混乱が生じることともなる(そもそもブロート自身が勘違いをしていたのであるが)。別にこれはブロートが何か意図を持って操作を行ったというよりは、単なる不注意の結果と考えた方がよさそうである。そしてこのようなブロートの不注意や杜撰さは、後のカフカの遺稿をめぐる混乱を象徴するような出来事でもあった。

ブロートの功罪について考えると、まず圧倒的に功について考えねばならないだろう。
ブロートは二度に渡って、文字通りにカフカの遺稿を救った。まずは遺言を守らなかったことによって。そして1939年のナチスドイツによるチェコ侵攻では、なんとその前日にスーツケースに遺稿を詰めて脱出している。この時遺稿がナチの手に渡っていれば処分された可能性が高いだろう(カフカはユダヤ人であり、ナチの禁書リストに早い段階で載せられていた)。

亡くなった時のカフカは知る人ぞ知る存在であはあったが、一般的には無名であった。ブロートは遺稿の出版について出版社に二つの条件を出す。一つは全集形式で出すこと。もう一つが報酬を前払いとすることであった。このような無茶ともいえる条件を出したのは、カフカの治療費がかさんでいて借金のあったカフカ家の人々を楽にさせようという思いからであった。ブロートは遺稿の出版についてあらゆる権限を持ったが、彼自身は無報酬であった。

ブロートのこのような友情に基づく行動がなければ、カフカが亡くなった後早い段階で広く注目を集める作家になることはなかっただろう。しかしまたブロートにはいくつかの「罪」もある。その最大のものが、遺稿の編集をめぐってである。
ブロートは出版にあたり、句読点や綴りを一般化することで「読みやすい」作品に仕上げた。そればかりか、章の区切りや、はてはその順序までもかなり杜撰に編集してしまっていた。章の順序が違えば作品の印象も当然かなり異なるものとなる。
カフカが亡くなった時には一般的な知名度が低かったことを思えば、作品を読みやすくすることによって読者を獲得しなければならないというのは善意の使命感とも考えられるし、その点でブロートを責める人はあまりいないだろう。しかしブロートはカフカの知名度と評価が高まった後も遺稿を独占し公開せず、その編集に疑義が生じてもそれに応えることはなかった。

ブロートの編集者としての杜撰さや不注意さは遺言の件で表れているように「天然」だと考えた方がいいだろう。本来ならばカフカの評価が定まった後は遺稿を公開することが望ましかったのだろうが、その決断をすることはなかった。結局遺稿は曲折の末オックスフォード大学に渡り、ブロート版とは別に「批判版全集」が出されるようになり一件落着……ではなく、本書はここからが本番といえるかもしれない。この「批判版」もまた問題を多く抱えていた。その最大の理由は文献学や「本文批判(textkritik)」の新しい潮流を踏まえなかったことにあるようだ。
遺稿の編集について意見が分かれるのなら原稿をそのまま写真にして出版すればいいのではないか、と思われる人もいるだろう。そしてまさにそのものずばりの新しい全集が「史的批判版カフカ全集」である。これはカフカの遺稿が全て写真複製されている。しかしこれにもまた問題が……。ここらへんをめぐる話もなかなか面白かったのだが長くなるので割愛。


本書では『城』をトポグラフィ的に読み解く試みがなされている。「村長」の家をめぐる読解はスリリングなものであるが、このような試みが可能になったのは書き換えなどの「異文」が公開されればこそである。
「カフカの小説を読む者たちは、みな一様に、謎だ、難解だ、と感想を述べるが、その人たちの誰も、『審判』が完結していないのは惜しむべきだとか、『城』が完結していれば、作品としての価値は上がっただろうとはいわない」(p.295)とあるが、これはまさにカフカの魅力を表した文章であろう。
ブロートの功績を否定する人はいないだろうが、またブロートによってカフカの持つ可能性が狭められてしまった過去があるということもまた事実なのだろう……


というようなことを思うのだが、こういう問題というのは難しくもある。
T・S・エリオットの『荒地』はエズラ・パウンドによってかなり手が加えられている。控えめに言ってパウンドはプロデューサーであり、少し大胆にいうと共作者とすることもできるかもしれない。
レイモンド・カーヴァーは自作を何度も書き直し、同じ作品にいくつものヴァージョンがあるが、その原因の一つは一時盟友関係にあった編集者のゴードン・リッシュにある。リッシュはカーヴァーの原稿にかなり手を入れており、このことはカーヴァーの死後ちょっとしたスキャンダルにもなった(ここらへんは村上春樹編訳の『月曜日は最悪だとみんな言うけれど』に詳しい)。この前読んだカーヴァーの妻だったメアリアンの回想でもそうだが、カーヴァー関係者はリッシュに対してあまりいい感情を持っていない人が多い。カーヴァーの知名度が高まったのはリッシュの手腕によるところが大きく、そのことに複雑な思いをしているというのもその一因であろうが、リッシュのしたことはカーヴァーの持つ本来の魅力を作品からそいでいたという思いもあろう。
確かにカーヴァーがリッシュと袂を分った後に書き直した(あるいは復元した)作品がより豊かになっていることもある。また同時に、リッシュの影響によって暴力的なまでに縮められた作品が独特の味わいと魅力を持っていると感じる人も少なからずいることだろう。

もちろんパウンドもリッシュも作者の存命中に同意のもとで行っているので、それが「過剰編集」であったとしてもブロートがカフカの遺稿に対してしたこととは質が異なる。
ブロートの編集が杜撰かつ恣意的なものであることはかなり早くからよく知られてた。中でもブロートのダメさを表す例としてよく用いられるのが、現在では『失踪者』というタイトルになっている小説であり、本書でもこのことに触れられている。ブロートはこれに『アメリカ』というタイトルをつけ、カフカが日記でこの作品を『失踪者』と呼んでいたことを指摘されても頑なにタイトルに変更を拒んでいた。
ではブロートは単に意地をはっただけなのだろうか。僕は個人的にはこの小説のタイトルは『失踪者』よりも『アメリカ』のほうがふさわしいように思えてしまうのである。
カフカはもちろんアメリカの土を踏んだことはない。わずかな情報と想像力を働かせることによって「アメリカ」を創りだしたのである。
ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』で、ミーチャにアメリカへの脱出を夢見させたが、ここでの「アメリカ」は現実の国家としてのアメリカというよりは、想像の、象徴としての「アメリカ」であるように思える。カフカが『失踪者』で描いたアメリカもまた、象徴としての「アメリカ」であろうし、それはカフカの想像力とよく共振しているように思えるのだ。
「たら・れば」の妄想を広げ始めるときりがなくなるが、もしカフカが『失踪者』の発表を決意し、ブロートに原稿を見せ助言を仰ぎ、ブロートが「タイトルは『アメリカ』のほうがいいんじゃないか」と意見し、これをカフカが受け入れていたら……。まぁこれを言い出したら何でもありになってしまうのですが。

しかしこうとも思う。僕が『失踪者』より『アメリカ』のほうがふさわしいと感じてしまうのは、単に最初にこの作品を読んだときはまだ『アメリカ』というタイトルで流通していただけという理由ではないのか。つまり「なじみ」の問題では、と。


これを書きながら久しぶりに『レット・イット・ビー・ネイキッド』を引っ張りだして聴いてみた。
すでにジョンやジョージの気持ちがビートルズから離れている中、ポールの提案によりはレコーディングにカメラが入れられるが、これは完全に逆効果で有名なポールとジョージの口論まで収められてしまう。

今度こそ仕切りなおしということで『アビー・ロード』が作られるのだが、放置されかかった前のセッションのテープはフィル・スペクターによってアルバム『レット・イット・ビー』として「完成」される。
ポールは『レット・イット・ビー』を聴いて、とりわけ「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」に加えられた大仰なストリングスと女性コーラスに激怒したとされている。一方でジョンとジョージはそのフィル・スペクターをソロ作のプロデューサーとして迎えている。
『ネイキッド』はそのフィル・スペクターによって加えられたものを取り除いたもので、確かに「資料」的には面白いとは思うのだが、ではフィル・スペクターによる『レット・イット・ビー』より魅力的になっているかといえばそうとは言いがたい、と思うのだが、もし先に『ネイキッド』を聴いて、その後にフィル・スペクターによる『レット・イット・ビー』を聴いたとしたら同じ感想を抱くのだろうか(若い世代ではそのようなことは起こり得るだろう)。





と、こんなことを書きながらさらについでに「アンソロジー」まで聴き返しているのだが、3にはバッドフィンガーに提供されることになるポールの「カム・アンド・ゲット・イット」が収録されている。ライナー・ノーツによると『アビイ・ロード』のレコーディングの行われていたある日、一人スタジオに早めに現れ、「ポールはまずピアノを弾きながら歌い、それからヴォーカルを重ね、マラカスを入れて、次にドラムを加え、最後にベース・ギターをかぶせた。ここまでの作業に1時間もかかっていない」とのことである。凄すぎ! このころのポールなら俺様の曲に余計なことしやがって、という気持ちになるのも無理はないかという気にもなる。ちなみに僕がこの「アンソロジー」を手にした頃はまだバッドフィンガーを聴いていなかったもので、「カム・アンド・ゲット・イット」はこのポールのヴォーカルの方になじんでいたりする……ってやっぱり「なじみ」の問題なのか。






「あの作品はプロデューサーにズタズタにされた」と憤っていた映画監督が数年後にディレクターズ・カット版を発表することになりファンの期待を集めたが、結局は微妙な空気に終わってしまう、ということもよくあることで、「編集」の問題というのはやっかいなものではありますね。
途中から脱線しすぎて何書いているのか自分でもわからなくなってしまった……



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佐藤太郎(仮)

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