『ナッシュビル』とアメリカの草の根

『ナッシュビル』




ロバート・アルトマン監督の最高傑作に推す声もあるというのも納得であり、またアルトマンらしさというのも全開という印象でもある。
24人もの主要登場人物がいるという群像劇だが、それをさばく手腕はさすが。またユーモラスに、シニカルに、またシリアスにという展開も一つの枠に収まりきらない力強さと深さを兼ね備えている。

見る前は勝手に南部(の文化)に対する風刺的な要素が強いのかと思っていたのだけれど、必ずしもそうとばかりはいえないであろう。確かにカントリー・ミュージックの占める独特の地位や深い信仰心にもつながるゴスペルなどの音楽的要素やそこから派生する部分ではナッシュビル独特なものもあるのだろうが、必ずしも揶揄的にばかり取り上げられているのではない。
そしてまた、この作品は「同時代性」という刻印も押されている。マーサ/L・A・ジョーンズなどのファッションに顕著であるが、他にも人種の融合と緊張やケネディへの思慕の情というのは70年代半ばのアメリカ全体の雰囲気でもあったのではないだろうか。

このような地理的、時代的に固有の要素ばかりではなく、アメリカにとって普遍的な空気というものも捉えている。この作品の通奏低音とでもいうべきものが大統領候補のハル・フィリップ・ウォーカーの選挙運動である。
アルトマンはDVDのコメンタリーで、選挙カーから延々とながれてくる演説を「後年大統領になったジミー・カーターを思わせる演説だ」としている。
ウォーカーの演説を単純に「右」や「左」に分類することは難しい。たとえば彼は弁護士(出身の議員)が議会を牛耳っているという批判をするのだが、これは「右」とも(小賢しいインテリどもにアメリカが乗っ取られている)「左」とも(大企業の犬どもにアメリカは支配されている)受け取ることが可能だろう。
ウォーカーの立ち位置がどこにあるのかといえば、それはアメリカの草の根的な反エスタブリッシュメント感情にあるのかもしれない。ウォーカーの政党がReplacement Partyであることも示唆的である。
考えてみると、カーターこそは福音派にして反ワシントンという、まさに草の根的空気を掴んで大統領にまで上り詰めた人物であった。

現在になってこの作品を見ると、70年代半ばという時代は絶妙であるように映る。狂言廻し的な役回りの自称BBCのリポーター、オパールは南部なのにケネディ支持だったの、と驚いていたが、かつては民主党の牙城であった南部は人種や道徳問題によって共和党に切り崩されていった。共和党はこのころから草の根的メンタリティを吸収することを重要な戦略として位置づけることになるのだが、それが完全に浸透しきっていたとまではいえなかったのかもしれない。
逆に考えるなら、カーターのような人物がアメリカの草の根的メンタリティの担い手になる可能性を持っていた時期ともいえる。

ではアルトマンが本作において、そのような「(実現することのない)もう一つのアメリカ」という可能性を幻視していたのかといえばやはりそうではないのだろう。選挙キャンペーンを仕切る男の胡散臭さの塊のような広告屋的雰囲気や、資金集めパーティで繰り広げられるおぞましい暴力(「アメリカン・ドリーム」を信じる無垢な心につけいるものだとも見える)を考えると、やはりアルトマンの視線はどこまでもシニカルである。文字通りに血塗られた舞台で「アメリカン・ドリーム」が実現するかのような結末は、必然のようにも見えてくるのである。


あとついでにといっては申し訳ないが、東理夫著 『アメリカは歌う。』を読んでいたら、安岡章太郎 の「私のきいたジャズ」(『父の酒』に収録)からナッシュヴィルに関する文章が取り上げられていた。『父の酒』は未読なもので安岡の文章は孫引きになって恐縮だが。

「私たちにとってジャズといえば、悪しきアメリカ文化の代表というようなものであった。そのくせ何がジャズかと訊かれても、こたえようがない。要するに、うるさくて、ガチャガチャして、舶来版のどじょうすくいの如きものだろうぐらいのところであろう。しかし意外なことに、これは私たちだけではなく、アメリカ人もまた同じような反応を示すのである。少なくとも、十何年かまえに、テネシー州ナッシュヴィルで接したアメリカ人たちはそうであった。
 ご存知の方もあるだろうが、ナッシュヴィルにはグランド・オープリーと称する古いホールがあり、名所になっていた。”カントリー・ウェスタンのメッカ”とかいわれて、エルヴィス・プレスリーがここで初舞台を踏んだことは、日本の雑誌などにも紹介されている。しかし、私は半年間ナッシュヴィルに滞在していた間に一度もここへ行ったことがなかった。」

この後、安岡は「ヒルビリー・ソング」に関心がなかったわけではなく、行きそびれてしまったのだと続けている。東はその理由としてあげられている公演が不定期なことなどは「誤解」であり、新聞にあらためて載せるまでもなく金、土曜日には何十年も行われており、さらにラジオやテレビでも放送されているため、「ナッシュヴィルにいて、オープリーのことに耳を塞ごうとするほうがはるかに難しい」としている。
安岡はシェイクスピア劇や交響楽団の公演ではこちらが黙っていても誰かが誘いにきてくれるがオープリーはそうではなかったとしている。「一度ぜひ見ておきたいんだが、というと、向こうは急に冷たい顔になって、行ったらいいでしょう、としか言わないのだ。つまり、グランド・オープリーというのは、ナッシュヴィルのダウン・タウンの真ん中にあっても、そこは教養のあるナッシュヴィリアンの行くところではなく、近在の百姓などの集まる場所だとうわけだ。勿論、私自身は百姓を軽蔑しないし、そういうところなら、なお見ておきたいと思ったのだが、もしそんなことを口に出していえば、私の周囲の人たちから白い眼で見られることは確実であった。そして私は、そういう人たちから孤立しては、この町で暮らして行けなかったのである」としている。

最初は「何となく行きそびれてしまった」としながら、その後行くに行けない事情があったのだと一貫していないが、安岡が滞在したころのナッシュヴィルにおける「階級」間の断絶というものは感じとれる。さらに安岡はジャズもヒルビリーも「ハイカラな、エキゾッチックな」アメリカ産だと一緒にしがちであるが、「しかしアメリカ人にとっては、ジャズとは何より黒人のものであり、ヒルビリーは山地に取り残された百姓たちのものであって、少なくともそれは高級なものでもハイカラなものでもない」としている。ナッシュヴィルのレコード店に行くと「ジャズやポピュラーのところに集まっているのは黒人のティーン・エイジャーたちであり、クラッシックのところで、「未完成」やラフマニノフのピアノ協奏曲のレコードをシカツメらしい顔で探しているのは、白人のそれも主に女子学生であった」のだという。

安岡がアメリカに滞在していたのは1960年から61年にかけてなので、映画の舞台である70年代はここまで極端ではなくなっていたのだろうが、それでもナッシュヴィルはある意味ではいくつものアメリカがせめぎあっているような場所であることは伝わってくるようだ。


あとアルトマンのコメンタリーでもう一つ面白いものがあった。ウォーカーの演説を垂れ流す選挙カーについて、「当時はニューヨークでも選挙カーが使われていたからね スピーカー付きのトラックに候補者が乗り 演説しながら街を走り回っていた」とのことである。日本では選挙がある度にあの選挙カーからの騒音にげんなりさせられることになるのだが(こいつだけには絶対入れない!といつも思ってしまう)、かつてのニューヨークでもあのようなものが走り回っていたのだろうか。


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佐藤太郎(仮)

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