『キッシンジャー』

ウォルター・アイザックソン著 『キッシンジャー』


1923年、ハインツ・アルフレート・キッシンガーはドイツで生を受ける。この時代にユダヤ人としてドイツで生きていくのは当然厳しく、15年後キッシンガー家はアメリカへ移住、ハインツはヘンリーと呼ばれるようになる。

学費が無料であるニューヨーク市立大学に進学し、会計士になろうかとも考えていたヘンリー・キッシンジャーのもとに召集令状が届く。これが彼の人生を一変させることになる。アメリカの市民権を得られたのみならず、優秀な人間に与えられる陸軍特別研修プログラムを受けることにも成功。故郷ドイツへはアメリカ軍の一員として戻ることになり、対諜報部隊員としてナチやゲシュタポの狩り出しを行い、そして行政官として手腕を発揮した。有力者の知己も得、戦後は復員軍人を多く迎え入れていたハーヴァード大学へ進学する。アカデミズム内でキャリアを重ね、ついにワシントンへと乗り出す。

こう書くとキッシンジャーの生涯はまさにアメリカン・ドリームそのもののように思える。1972年の大統領選挙直前、キッシンジャーはこんな言葉をつぶやいている。「こんなことがほかの国にあるかい? 外国人に講和を任せるなんて。ぼくみたいな人間を受け入れてさ――言葉だってドイツなまりなのに」(下 p.108)。
キッシンジャーの名声が頂点に達した73年には、世論調査による「最も敬愛するアメリカ人」のリストの一位に名を連ねている。

しかしキッシンジャーが象徴しているのは明るい面だけではない。アメリカや権力一般のみならず、人間の暗い面をも代表しているようにも思えてくる。
キッシンジャーの性格を一言で表すならば「嫌な奴」であろう。おそろしく頭は切れるが典型的な権威主義者。上にはへつらい下には横柄、同等の地位にある者にはライバル意識をむき出しにして追い落とそうとする。陰謀を施すことを好み、そのような人間の常として人を信じることができない。
このような人間が似たような資質を持つニクソンと奇妙な関係を結ぶというのは必然であったのかもしれない。

ハーヴァードでの学部生時代から手練手管を身につけ、二人のライバル教授の間でうまく立ち回る。終身在職権獲得競争を繰り広げつつ、したたかに人脈を広げ続けワシントンへの野心も隠さない。
ケネディとは大統領就任前から知り合い、新政権への参加する意欲はあったものの重要なポストは用意されず、パートタイムの顧問に留まる。その後共和党のネルソン・ロックフェラーと深く関係を結ぶが、彼は64年の共和党予備選ではゴールドウォーターの前に敗れてしまう。キッシンジャーはこの時、ゴールドウォーターを支持する「アメリカの大衆の激情にかられた大騒ぎを初めて見てぞっとし」、本選挙ではジョンソンに票を入れる。68年の予備選ではロックフェラーは当初ジョージ・ロムニー(ミット・ロムニーの父親)の支援にまわるが、結局は自身が出馬することになるものの今度はニクソンに敗れてしまう。この選挙期間中キッシンジャーはニクソンをこきおろしていたが(「ひどい男だよ、言うまでもないさ。もう共和党は終わりだ。さいわい、大統領には選ばれないだろう――選ばれたら、アメリカもおしまいだ」)、国家安全保障補佐官としてニクソン新政権に参加することになる。

キッシンジャーは自らの追従癖についてこんな自虐的ジョークを飛ばしていたそうだ。ある日ニクソンが山荘に戻ってくると「スコアは一二六だったよ」と言う。「ゴルフの腕前も上達しましたね、大統領」とキッシンジャーが言うと、ニクソンはむっとしてこう返す。「ボーリングだよ」。
キッシンジャーはニクソンを信用していなかったし、それはニクソンも同様であった。キッシンジャーは表向きはニクソンにへつらいつつ、影では露骨に馬鹿にした態度をとっていた。そのような二人が協力し合ったのは互いに利用価値があったからであろうが、また二人が共通に持つ暗い面が引き合ったのかもしれない。その帰結として盗聴事件が起こる。

もともとはリークを元にした記事を読んだキッシンジャーが激怒し、誰が情報を漏らしたのかを確かめるために始められた。FBIによる盗聴そのものは当時は合法と考えられえおり、手広く行われていた。この件で異例であったのは「国家安全保障会議のスタッフ、つまりホワイトハウスの身内の人間が盗聴されていたことだ」とFBIの情報局長は振り返っている。
当初は特定の人物を対象に始められた盗聴は野放図に拡大していったが、そこで行われていたのはお笑い沙汰であった。

キッシンジャーの補佐官であったビル・ワッツについて、「ビルが辞める決心をした」という会話が行われていたが、これを盗聴していたFBIはビルを国務長官のロジャーズのことだと思いこみ、以降「ビル」は「ロジャーズ」とされた。そのためまるで国務長官が辞職してベンチャービジネスを始めるかのような珍妙な報告ができあがった。
ある女性は毎朝母親と電話で話すのが習慣であり、その際には故郷なまりで会話が行われた。料理好きの彼女は母親とレシピを交換し合っていたが、FBIはこれを解読するために言語や暗号の専門家を雇い入れていたのである。
他ならぬキッシンジャーも事実上盗聴のターゲットとされ、彼と親しかった記者の電話が盗聴されることになった(ニクソンはキッシンジャーがリークを大々的に行っているという疑念にかられていた)。
もちろんこれらは笑い話ですませられるものではなく、後に引き起こされるウォーターゲート事件へとつながっていくことになる(キッシンジャー自身は当時中東でのシャトル外交など多忙を極めていたためウォーターゲート事件に直接関与することはなかった)。


ハーヴァード時代の同僚であったスタンレー・ホフマンはキッシンジャーをこう評している。「彼が求めたものは、道徳的お説教抜きの現実主義政策だった」。
キッシンジャーはゲーテの言葉を言い換えてこう語っていた。「一方が正義と無秩序、一方が不正と秩序だとすれば、ぼくはいつでも後者を選ぶ」(上 p.112)。

キッシンジャーの博士論文『回復された世界平和』はメッテルニヒとカスルレーを扱ったものであった。この博士論文が興味深いのは「キッシンジャーとはどんな人物で何を信じているのかをよくわからせてくれる点にある。キッシンジャーの描くメッテルニヒは像は、彼の見る自分の姿、あるいは批評家の目に映る彼の姿に気味悪いほど似ている」のである(上 p.113)。

「奴は政策と陰謀をごっちゃにしている」」
「ほとんど無造作に人を操る術をすでに若いころから身につけていた」
「彼がすぐれていたのは操作であって建設ではない。一八世紀の秘密外交で鍛えられていたので、正面攻撃よりは巧妙な策略を好んだ。しかし、合理主義ゆえに、言葉巧みな宣言書をつくりあげると、それで万事終わりとするまちがいもたびたび起こした」

確かに後の自らの姿を予言しているかのようだ。

ヴェトナムからの撤退や米中関係の改善、中東で繰り広げられたシャトル外交などを考えればキッシンジャーの手腕は高く評価できるかもしれない。同時にカンボジアへの秘密爆撃に代表されるように秘密主義や陰謀をはりめぐらすことを好むという暗い面も持ち合わせていた。キッシンジャーという人物を単に善悪の問題で割り切ることは難しいし、またこれは外交というもの自体が持つ性質なのかもしれない。


また本書はメディアと政治との関係という点でも注目できる。キッシンジャーは「背景説明のブリーフィングを使って報道のされ方を操作するという政府の慣行を完成させた」人物でもあった(下 p.300)。

キッシンジャーは記者を懐柔することに力を注いだ。否定的な記事を書いた記者は目くじらをたてられるのではなく、「たいていは電話をもらい、なだめすかされ、おだてられ、朝食に招かれ」ることになる。「キッシンジャーは、人を味方にしたいと思うときはたいていそうなのだが、ジャーナリストを相手にしたときも、おべっか戦術を多様した」。「百戦錬磨の記者」であるクラーク・モレンホフはこう言っている。「キッシンジャーは相手が喜びそうなことを考えて口に出す。それから意見を求める。これがまた、相手の自尊心をえらくくすぐるわけだ」。
また「親密作戦」として相手に内部消息を打ち明ける。「キッシンジャーは必要最低限に、一割上乗せして教えてくれるという感じを持たせるの」とバーバラ・ウォルターズは語っている。
「社交の場や、オフレコの了解があるときの即席の発言では、キッシンジャーはおどろくほどあけすけだった。とりわけ人物評がそうだった。権力者と接するのに慣れているはずの専門家にとってさえ、キッシンジャーの甘い言葉を聞くのはうっとりとする経験だった」。

「あの人は、報道陣をメッセンジャー・ボーイとして濫用していた」とコラムニストのトム・ウィッカーは評している。「背景説明ブリーフィングのせいで、役人は無責任になるし、報道記者は怠け者になる。そして、ジャーナリストは知らず知らずのうちに、ニュースの出所の人物と、ぬくぬくした馴れ合いの関係に陥ってしまう」のである(下 p.302)。

著者はこの状況を厳しく批判している。
「馴れ合い」という批判に対して記者たちは、「しかし、背景説明ブリーフィングを排除してしまえば、とんでもないことになるという思いもあった。結局ホワイトハウスの記者協会は、キッシンジャーの定めた背景説明ブリーフィングの規則を遵守するように記者たちに促す決議を採択」するのである。
「背景説明ブリーフィングのほんとうの危険は、本来あるべき報道活動を補助する代わりに、しばしばそれに取って代わってしまうところにあった。たとえば、キッシンジャーの中東シャトル外交の報道は、その大半が専用機に同乗した記者団によって行われた。つまりこれは、キッシンジャーがほとんどの情報源だったことを意味している。キッシンジャーの飛行機で拾った背景のニュアンスを、イスラエルとアラブの代表団や圧力団体へのインタビューを行うなど、地上での地道な情報収集作業によって常に補足する努力をしていたのは、ほんのひと握りの、やる気のある記者だけだった。ブリーフィングがもてはやされたわけは、ジャーナリズムの二つの大罪、つまり、馴れ合いと怠慢にあった」(下 pp.302-303)。


「本書はキッシンジャーの公認の伝記ではない。出版前、本書の内容に同意したのでもなければ、目をとおしてもらってもいない。彼の言葉でわたしが原稿を改めたこともなかった」と著者は序章で書いている。
取材前に儀礼的にキッシンジャーに手紙を送ったが、彼は気乗りしない様子だった。しかし周辺の取材を重ねるうちに興味を抱き始めた。何よりも、これまで回想録でも触れていないニクソン政権前やフォード政権以降や私生活についての記述が含まれる伝記の内容に強く惹かれたようである。そしてインタビューに二十回以上応じるばかりか貴重な史料まで提供したそうだ。しかしキッシンジャーのあては外れたといっていいだろう。本書は一方的にキッシンジャーを断罪しようというものではないが、彼に対して極めて批判的な部分もあり、とりわけその性格に対しては辛辣であると言っていいだろう。
原著の刊行は92年なのでその後キッシンジャーが核兵器廃絶論者になったことなどには触れられていないが、現在のアメリカ屈指の伝記作家といってもいいであろうアイザックソンによる本格派の評伝は、今でも十分に読み応えがある。

もっとも邦訳は五分の一ほどが削除された抄訳版となっており(それでも長いことは長いのだが)、おまけに原注は省略されているというのは残念なところ。気になるんなら原書で読めということなのかもしれないけれど。


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佐藤太郎(仮)

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