『サニー』

早稲田松竹にて『サニー』と『桐島』の二本立てがやっておりまして、ちょうど時間もあったしこいつは行かねばということで(九日までやってます)。

まず『サニー 永遠の仲間たち』から。




経済的には満たされた生活を送っているものの、「妻」であり「母」であるという役割に追われるばかりであったナミは、入院中の母の見舞いに訪れた病院で末期癌に冒されていたかつての親友チュナと25年ぶりに再会する。チュナはあの頃の、「サニー」の仲間たちに会いたいと言う……


田舎町からソウルにやって来たナミに彼女を守る親分肌のチュナ、クールで謎めいた美少女やコミカルな太っちょと、キャラクター設定は非常に類型的なものになっている。(少女)漫画的な世界といってもいいかもしれない。演出に関しても映画的に洗練されたものというよりは「漫画的」であったり「テレビ的」なスラップスティックという部分が多い。
ではこれがダメなのかというとさにあらず。作中で韓流ドラマ(というか向こうでは日常的に放送されているものですが)のワンパターンを揶揄するようなシーンがあるが、そういう点ではこの作品のご都合主義も負けてはいない。つまりこれは意識して選択されたものと考えたほうがいいのだろう。

思うにならない人生模様というのも描かれてはいたのだが、正直後半の展開は「そりゃないんじゃないの」という気もしないこともなかったのだけれど、しかしこれを「漫画的」な、あるいは「昼ドラ的」なものを意識して導入したとすれば、「リアリティを追求する」という名のもとに例えば鬱展開にするというような必要はあるのかといえば、まあそうかな、とも。「サニー」の活躍を連載漫画で楽しんでいた人がいると仮定するなら、そのような「リアリティ」を結末にもってこられてもかえって迷惑となるものかもしれない。

「サニー」の活躍はなかなかに楽しいものであったし、恋愛模様もベタでお決まりのものではあるものの、ラブコメなんてものは定型があってナンボの世界である。後半にショッキングいえばショッキングな事件があるが、これもありがちといえばありがちであり、昼ドラを見る人が全く予想もつかないような、真の意味での「意外」なものを求めているかといえばそういうことはないだろう。

世代的には78年生まれの僕よりも一世代上の、特に女性の方が楽しめるのかな、と思っていたら、登場人物の設定はまさにちょうど一世代上であった。ただ兄の世代が政治闘争に向かう一方で妹たちの世代は享楽的生活にあこがれるという点では、日本では60年代末から70年代にかけて10代であった世代なんかも「同時代的」な感覚を得ることができるのかもしれない。
実はもう少し韓国現代史的なものと絡んだ展開なのかと思っていたのだがそういうことでもなくて少々肩透かしではあったのだが、ここらへんは変に欲張らなかったということろか。

ただ欲張らないのはいいんだけど、ならばベタなラブコメ的な展開なんかももっとあってもよかったようにも思うが(恥ずかしながらそういうのも嫌いではないもので)、少々駆け足になってしまっているようにも思える。
やはりこういうお話はマンネリ感が出てくるくらいまで連載漫画であったり連続ドラマでやっていたほうが味が出るような気もしてくる。
「必見の大傑作!」ではないけれど、愛すべき小品という感じで、またこの世界に帰りたいと思わせてくれるくらいには楽しませてもらえた。確かに「サニー」の面々にはまた会いたくなる。




プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR