『愛と欲望のナチズム』

田野大輔著 『愛と欲望のナチズム』





「第三帝国」などという言葉からするとナチズムとは反近代の反動であったとも思えるが、一方でナチズムとは近代によって生み出されたのだという見方をする人も多い。ナチズムのどの部分を取り上げるかによってその見方というのは分れるのだろうが、また両者は分離できるものではなく、反近代的要素と近代的要素との混淆こそがナチズムの特徴であるとすることもできるのかもしれない。
そして本書で扱われている「性」という角度からナチズムを考えると、その鵺のような混淆的性質というものがより明らかになっていくようだ。


ヒトラーが菜食主義者にして嫌煙家であったことはよく知られている。ナチスの思想を考えるうえでキーワードの一つとなるのが「健全」であろう。
ナチズムは伝統的、保守的な性道徳を唱えていたというイメージが強いが、現実はそう簡単に割り切ることはできないようだ。1942年のヒトラーの側近への言葉から判断すると、「男女関係をめぐるヒトラーの考えが、偽善的な市民道徳への反発に根ざしていた」ことが窺える。
著者はナチズムの「性―政治」について、そこに二つの狙いが見出されるとしている。一つは性という私的な領域にまで政治が介入し、「再生産装置として管理運用すること」である。ここから人種主義や優生学が導かれることになる。そしてもう一つが「性的快楽や欲求充足を積極的に肯定し、これを誘因にして健康な男女を生殖に駆り立てると同時に、彼らの忠誠と支持を強化すること」である。


第二次大戦中に『性・愛・結婚』という性教育書がドイツで版を重ねていた。これは「禁欲的な性道徳の弊害を批判するとともに、正しい性知識の提供によって性生活を解放しようとする」、「進歩的」ともいえる本で、ナチ党内の一部からも積極的に支持されていたという。ナチは精神療法も重視しており、精神分析からフロイトをはじめユダヤ人を排除したドイツ心理学精神療法研究所はナチに積極的に協力した。ある部分だけを取り出せば「啓蒙的」ともとれるこの本や精神療法であるが、これらはやはり「ナチズムとのかかわりというより大きな文脈のなかで、その位置づけが問われなければならない」。そしてその帰結として、同性愛を「治療」の対象から「治療不能」な存在とし、ついには「抹殺」(比喩的な意味ではなく死刑が執行される場合もあった)を許容するようにまでなってしまうのである。

ナチズムと同性愛というテーマは様々な芸術家の創作意欲を刺激した。「あとがき」においてルキノ・ヴィスコンティ監督の『地獄に堕ちた勇者ども』に触れられているが、この作品で描かれているのが「長いナイフの夜」である。国防軍と対立した突撃隊のレームを「切り捨て」たというのが真相であるが、公式には「同性愛者の陰謀に対する制裁」として正当化された(レームが同性愛者であることは広く知られていた)。この一件は次いで権力を握った親衛隊のヒムラーに同性愛に「汚染」されることへの恐怖を植えつけた。

ヒムラーはヒトラー・ユーゲントなど女性との交流の少ない場での「過度の男性化」が「同性愛の温床」となると考え、異性愛を、そして結婚を奨励することになる。それは「量より質」の「産めよ殖やせよ」へとつながっていく。
「産めよ殖やせよ」とは親衛隊に限ったことではなく、ヒトラーはすでに『わが闘争』で早婚と子どもを多く持つことを説いていた。政権獲得後は「結婚資金貸与」制度を導入し、子どもが四人生まれれば貸与金の返済は免除されることになる(もちろん「遺伝的に健康」なことが証明されなければならなかった)。さらに未婚の母と子を非難するような「俗物たちの偽善」や「婚外交渉をタブー視する市民道徳」を批判してもいた。

一方では「ヴァイマル共和国の性的堕落」を批判し、同時に因習的な性の抑圧をも批判する。当然両者の間に矛盾が生じるのは避けがたいことであった。
喜劇俳優であるヴィリー・シェファースは親衛隊の機関紙である『黒色軍団』にヌード写真が掲載されていることを皮肉る発言をしている。ナチ党内には「衣服をまとわない裸の肉体を健康美の象徴、北方人種の理想型として礼賛する勢力」も存在していた。しかしまた、一般の雑誌にはヌード写真があふれ、映画では有名女優たちがおしげもなくヌードを披露してもいた。
シェファースが揶揄したのは『 黒色軍団』のある記事であった。「美しく純粋」な女性のヌードと、「破廉恥な商売」に従事する女性のヌードとを対照的なものとして扱っていたのである。本書には当時の「健全」なヌードとその他の扇情的な写真が収録されているが、日光浴をする「健康的」な全裸の女性に性的刺激を受ける者も当然いたことだろう。両者を分かつ決定的な線引きなどできるはずもない。

「道徳を唱えよ、だが偽善はやめよ!」ゲッベルスはこう言って「道徳の裁判官たち」を槍玉に挙げたそうだが、金髪碧眼にして子沢山という「理想の妻」を持っていたゲッベルスが自身の立場を利用して女優たちに手をつけるなど享楽的な生活を送っていたことも周知のことでもあった。

売春を一掃するかに思われていたナチスだが売春の管理へと転じ、1940年の「性病撲滅法改定」により行政による売春宿の営業が合法化され、「帝国全土および占領地域で軍用売春宿」がつぎつぎと設立されることになる。
また「総統に子供を贈るように要求されて育った少女たちは、それを利用してみずからの不品行を正当化すること」ができるようにもなった。「「産めよ殖やせよ」の出産奨励策が、若者の性的タブーを弱めると同時に、ある種の権利意識を目覚めさせて、彼らを早熟な性的行動へと駆り立てていた」のである。
そして戦争が長引くにつれ、ついには「英米の音楽やダンスに傾倒した若者グループ」である「スウィング青年」までが登場することになる。
防空壕で化粧をする女性の写真も載っているが、性的に「解放」されたのは若者に限ったことではなかった。

ヒトラーは自殺の直前に愛人であるエーファ・ブラウンと結婚をすることになるが、そこで記された遺書は「高潔さを装うヒトラーの偽善的姿勢をあらわ」すものであった。「ヒトラーが女性に慰み物以上の価値を認めていなかったこと、恋愛や結婚を印象操作の道具程度のものとしか見ていなかったことは明らかである」。ヒトラーやナチ党の幹部たちは、このような「シニシズム」を共有していたからこそ欲望を通じた動員を実現することが可能であったのかもしれない。

「第三帝国下のドイツの経験が教えているのは、「性の解放」という進歩的な過程が本質的に非人間的な体制の成立を可能にしたことであろう。われわれを突き動かす愛と欲望、人間の生に意味を与えてくれるはずの理想への情熱がナチズムの原動力となったことを、あらためて銘記しておかなければならない」(pp.228-229)。



本書を読んでいると、すでにあげた『地獄に堕ちた勇者ども』や、パゾリーニの『豚小屋』(ナチズムに協力した資本家と獣姦にふける息子が描かれている)、そしてサロ共和国で退廃の限りを尽くす『ソドムの市』といった作品が、ナチズムやファシズムとはいかなるものであったのかの一端を捉える創造力/想像力というものにも改めて刮目すべきであるようにも思えてくる。

そのうち見返してみよ。





こんなの出てたのね。『アポロンの地獄』『豚小屋』『ソドムの市』の三枚組。





こちらもいつか。


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佐藤太郎(仮)

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