ヒッチコックとソ連のスパイ

ドナルド・スポトー著 『ヒッチコック ――映画と生涯』





ヒッチコックは14歳で聖イグナチウス・カレッジを去り、ここで彼の正規の教育は終了する。その後ロンドン大学での夜間コースで様々なことを学びつつ、映画や文学を吸収しながらヘンリー電信ケーブル会社で働くようになる。そして21歳の時、アメリカの映画会社フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー社で字幕デザインのパートタイムの仕事を請け負うようになり、すぐにその才能が認められフルタイムの社員となる。
ヒッチコックがこれで満足するはずもなく、さらに上を目指し貪欲に仕事にあたった。小道具係りがいないとあれば手を挙げ、助監督がいないとあれば手を挙げ、脚本家がいないとあれば手を挙げた。そしてついに、25歳のヒッチコックは監督の座を射止めることになる。しかし順風満帆とはいかなかった。ヒッチコックが監督となることに反対意見もあったためドイツで撮影が行われる。一作目『快楽の園』は試写では批評家から好評を得たものの、ドイツ表現主義に影響を受けた作風が経営陣の不興を買いお蔵入りになった。次いで撮られた『下宿人』も公開が危ぶまれた。これまたお蔵入りとなればヒッチコックの監督としてのキャリアはここで終わることになっていたのかもしれない。

製作のマイケル・バルコンはある男に望みを託した。1926年当時まだ22歳。「生物学を専攻した知識人であり、有力銀行家スウェインズリング卿の子息で、ケンジントンの屋敷で贅沢のうちに育」ち、「すでにいっときの左派の活動家」としても知られており、「ケンブリッジを出て、字幕を訳したり外国映画の脚本を検討する仕事をしていた」。その人物の名はイーヴァー・モンタギュー。


……と、ここを読んで、はてこの名前何か憶えがあるような、という気がしてきた。う~んと、誰だったっけか、と考えて思い出したのが『ナチを欺いた死体』である。
奇想天外な「ミンスミート」作戦を描いたこの本の主役はユーエン・モンタギュー。そしてユーエンには弟がいた。22歳でイギリス卓球協会を作り映画プロデューサーとしても活躍、そしてソ連のスパイでもあったIvor Montaguである。『ナチを欺いた死体』の邦訳の方ではアイヴァーという表記になっている。ということで検索してみたらHitchcock Wikiにちゃんと項が立てられていた(こちら)。


試写を見せられたモンタギューはヒッチコックの技巧に関心しつつ、字幕の数や編集においてのアドバイスを行う。モンタギューは「ヒッチコックのテクニックは事実ほとんど完璧である」と認めており、ヒッチコックも自分の才能を認めてくれているこの青年の助言を受け入れることはやぶさかではなかった。
ヒッチコックは「もともと出来のよい作品がたしかによりよくなった」と認め、二人の関係は「この時点ではごくうまくいっていた」という。

バルコンもモンタギューを高く評価し、モンタギューをヒッチコックが撮る次の二作の最終編集者にした。このせいか、「その後何十年たっても、モンタギューはヒッチコックにたいしてあたたかい尊敬の念をいだいていた。しかしヒッチコックのほうは、『下宿人』について語る機会が何度もあったにもかかわらず、モンタギューの功績を認めるどころか、彼の名を出してもいない(中略)ヒッチコックの狭量さがはっきりあらわれたのはこれが最初である」(上 p.164)ということになってしまう。

モンタギューがヒッチコックを救ったのは一度だけではない。
映画会社のある重役は『暗殺者の家』の試写を見て駄作だと決め付け、別の人間に撮りなおしをさせようとすらしていた。続く『三十九夜』の製作資金まで打ち切られるのではないかとヒッチコックは気も狂わんばかりになった。モンタギューはこの重役にヒッチコックがいかに優秀であるかを説き、『暗殺の家』を一般公開するように仕向けた。重役はしぶしぶながら応じると観客の反応は熱狂的だったのである。

モンタギューとヒッチコックはその後も対立しつつも協力を続けたが、『サボタージュ』のあるシーンをめぐって「嵐が吹き荒れ」ることになる。「関係者にとってはささいなことに思えた」その原因とは、爆破されるピカデリー・サーカスのセットに電車の線路を作るか否かであった。ヒッチコックは費用がどれほどかかろうとも正確さを追求しようとし、モンタギューは非常に緊迫したその場面でセットの細部の正確さなど気にする人はいないという意見だった。結局モンタギューの意見が採用されたものの、彼は「この映画の製作から降ろしてもらうことにした。以後モンタギューとヒッチコックは一度しか顔を合わせていない」(上 p.265)とある。

「ソ連のスパイ」と書いてしまったが、ヒッチコックと仕事をしていたころはまだスパイではなかったと思われる。そして原著刊行の83年の時点ではモンタギューはまだ存命中であり、そしてソ連のスパイであったということもまだ明るみにされてはいなかったのではないだろうか。
それにしてもスパイものといえばヒッチコックの十八番の一つであるが、モンタギューはどんな気持ちでこれを見ていたのだろうか。
本書の参考文献にはモンタギューの著書が三冊あげられているが、ヒッチコックとのエピソードがあるらしき本はアメリカのアマゾンなどでも取り扱いがなく、入手が難しそうだ。


あとはモンタギュー関連以外で。
ヒッチコックはしばしある体験について話した。それは六歳の頃、父親が罰を与えないといけないと思うような何かをヒッチコックがしでかすと、父親は息子に手紙を持たせて警察署へやった。警官は「悪い子はこうするんだ」と言って五分ほど留置場に閉じ込めたそうである。
もっともこれが本当にあったことかどうかは不明とされているが、このような発言からヒッチコックの警官嫌い(ちなみに祖父は警官だった)や閉所恐怖症の原点が見られるとも考えられる。
一般論として伝記にありがちなのが、全てを幼少期の体験に還元してしまうような俗流フロイト風心理主義とでもいうようなものである。本書も例外ではないところもあるのだが、もっともヒッチコックの秘密主義的な生涯、そして何よりもオブセッションの固まりのような作風を考えればそのようになってしまうのは避けられないのかもしれない。
やはり子どものころにこんな体験もしている。両親は息子が寝入っていると思って外出したが、ヒッチコックは夜中に一人、真っ暗な家で目をさました。暗闇の恐怖にかられながら家を彷徨っていると、キッチンで冷肉を見つけ涙をふきつつ食べたという。ここにも闇への恐怖と、食事が孤独を慰めてくれるという生涯にわたる傾向の芽を見出すことができる。

ヒッチコックは本質的に変わらない人だったのだろう。
同い年の妻のアルマは映画業界の先輩であり、将来は監督を期待されるほどその仕事は高く評価されていた。アルマと同じ職場になってもヒッチコックはなかなか声をかけることはできなかった。アルマにこう告白したという。「ぼくは女の人が相手だとひどく引っ込み思案になってしまうんだ」。二人の関係は仕事上の付き合い以上には深まらなかったが、しかしヒッチコックはアルマがよそ見をしているときには彼女をじっと見つめっぱなしだったこともあったそうだ。ヒッチコックは当時のイギリスの男性にとって、女性のほうが地位が高いというのは受け入れられないことだったのだと振り返っている。ヒッチコックがようやくプロポーズをしたのは助監督の地位を得てからであった。

性的にうぶであったヒッチコックはそうとは知らずにあるパーティに入り込んでしまったことがあった。それは乱交パーティで、ヒッチコックは女性から誘いをかけられたが断ったものの、その女性が隣の女性とベッドに入ると絡み合う二人をじっと観察したそうだ。
ヒッチコックとアルマは生涯添い遂げることになるが、一人娘を設けた後は完全に性的な関係はなくなっていたという。そしてご存知の通り、ヒッチコックはブロンドの美女への妄念にかられ続ける。

イングリッド・バーグマンに対しては彼女の家で迫られたという話をしていたのだが、逆はともかくとしてこのようなことは考えづらい。妄想が極度に膨らんでしまったせいなのであろうか。またブロンド美女の相手役である俳優に自己を過剰なほどに投影するようになる。
グレース・ケリーとは表面上は異様な行動には出なかったようであるが、イングリッド・バーグマンやグレース・ケリーに「逃げられた」後は常軌を逸してくる。気に入った女優がいれば「打ち合わせ」と称して相手が既婚者であろうとお構いなしに二人きりで食事を重ね、また「裏切られた」と思えば口汚く罵倒する。ターザン俳優のゴードン・スコットを夫に持つヴェラ・マイルズを起用しようとしたところ妊娠によってそれが叶わなくなる。「ジャングルでもピルを使うべきだったのに!」というあたりはまだ笑えなくもないが、それから二十年後にもまだ怒りを燃やし続けてこう言ったそうだ。「彼女にとっては三人目の子どもだった。だからわたしはいってやったんだ。一人だけなら当然だと思う。二人なら、それで十分だ。三人も産むとなるとわいせつの部類に入る、とね」って、逆恨みもはなはだしい。「彼女はそう言い方は好まなかったな」というのは当たり前である(下 p.130)。


笑えない話といえば「いたずら」もそうである。
学生時代のヒッチコックの被害にあったのは当時九歳だったロバート・グールド少年。ヒッチコックとその共犯者によってボイラー室に連れ込まれ、手足を縛られるとズボンを下ろされ、銃声のような音が響きわたる。それは下着に仕掛けられたかんしゃく玉が破裂した音だった。「ヒッチコックは学校時代から、不気味なものにたいする感覚をもちあわせていたと思うよ」と振り返っている。ちなみにこのグールドは学校を出た後はヒッチコックと顔を合わせることはなかったそうだが、後に凶悪な殺人犯やスパイの逮捕にも協力した有名な筆跡鑑定家の助手となり、第二次大戦後は聖職者となって刑務所付き司祭を長年務めたそうだ。ヒッチコックの映画は見たことがないとのことである(上 p.76)。

子どもの頃の話だから、では済ませられないのがヒッチコックである。
主演女優の自宅に四百匹の燻製にしんを贈りつけるとか、狭い部屋に四十人も人を集めてパーティを行い、俳優をウェイターに雇ってわざと失礼な態度をとらせるなどというのはかわいい話。
ヒッチコックは「とくに傷つきやすい俳優かスタッフに、意地の悪いいたずらをしてやろうと夢中になり、小道具係りを選んだ」。その小道具係りに「手錠でキャメラにつながれたまま、明かりを消したひとけのないステージで一晩すごす勇気があれば、一週間分のサラリーを提供すると申し出た」。ヒッチコックは自ら手錠をかけ、その鍵をポケットにしまった。そしてすぐに眠れるようにとブランデーをすすめた。翌朝、その小道具係りは「怒りくるい、消耗し、屈辱にすすり泣いていた」。ヒッチコックは手に入る一番強力な下剤をブランデーにまぜていたのであった。「犠牲者はなすすべもなく、自分のあしもととキャメラのまわり全体を排泄物で汚していた」(上 p.196)。

ハリウッドに渡り、レイモンド・チャンドラーと仕事をすることになるのだが二人はウマが合わず、ある日車で打ち合わせにやって来たヒッチコックを見てチャンドラーはこれみよがしにこう言ったそうだ。「ほら、デブ野郎が車から出ようともがいているよ」。秘書が「聞こえますよ」と注意すると、「聞こえたってかまうものか」と答えたそうである(下 p.28)。ヒッチコックのひどいエピソードを読んだあとだと「いいぞ、チャンドラー。もっと言ったれ」という気分になってくる。

確かにこのような面ではヒッチコックは人間的に問題を抱えた人物であったことは間違いないのだが、その暗い面を作品に昇華させていることもまた事実である。
死を目前に控えて再会したイングリッド・バーグマンに「イングリッド、わたしは死ぬんだ」と涙を流したり、莫大な遺産がありながら慈善事業への寄付は一切行わず、そればかりか長年彼を支えたスタッフにすら報ることもなかったといった俗物的なところも含めて、いやであるからこそ、ヒッチコックはヒッチコックであたのかもしれない。

こういった話ばかりでは何なので愉快なエピソードも。
『救命艇』の撮影は俳優にとっても過酷なものとなった。タルラ・バンクヘッドは、「五千四百キロガロンの水を頭から浴びても文句一つ言わなかった」と裏方からも賞賛を浴びたが、それは「別の動機」からだったようだ。「露出性の気があった」とヒッチコックが評しているが、タルラは撮影の途中から下着をつけるのにうんざりしてしまった。ボートのあるタンクに入るには梯子を登らなければならなかったので、スタッフからは丸見え状態であった。苦情が入ったのでヒッチコックにタルラに言ってくれるよう頼むとこう答えたそうだ。「各部の問題にはむやみに首をつっこまないように注意しているんだ。それにこのケースの場合どこに責任があるのか判断がむずかしい。衣装部の問題かもしれないが、メーキャップの管轄とも考えられる。それとも髪結い[ヘア]の仕事かな!」(上 p.412)。

このユーモアもまたヒッチコックなり。それにしても『救命艇』を見る目が少し変わってしまうかも。





最後にもう一度モンタギューのご登場願おう。
モンタギューはスタッフに対する「いたずら」など「ヒッチコックの態度はどうみてもまともではない」とは感じていた。「長いあいだわたしは確信し……ヒッチコックと仕事をすることでによってその確信は強まったのだが、優秀な監督というものはサディスティックな一面をもたなければならない。かならずしも病的というわけではなく、彼がものを見るときには当然それらを支配しようとするし、俳優たちにあれこれ指図するのも、かれらを支配し酷使することに通じるからだ」(上 p.251)。
この言葉を受けて著者はこう記している。「モンタギューは微妙な言葉づかいと洗練された感受性で、自分が巨匠とみなす人物を裏切るまいとしているが、それでもヒッチコックに病的なところがあるのではないかという考えは隠せない」。
確かに「病的」ではあったのだが、それこそがヒッチコックの生涯にわたる原動力でもあったのですからやっかいな話ではあります。


モンタギューの伝記というのもいつか書かれてほしいな。
これはどういう本なんだろう。





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佐藤太郎(仮)

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