『プニン』

ウラジミール・ナボコフ著 『プニン』




未読だったのですが復刊されたのを機に。

まずこの作品は愛すべき奇人プニン氏を主人公にしたスラップスティック的大学小説として楽しめる。
物語は講師として招かれ長距離列車に揺られるプニン氏の外見描写から始まる。最も便利と教えられた列車ではなく、多くのロシア人同様に極度に愛する時刻表を自ら調べ、もっと便利な列車を発見し乗り込んだものの、参照した時刻表は5年前のもので……。
ナボコフの小説というとつい身構えてしまうものだが、慎重に慎重を期したはずが裏目に出たり、亡命ロシア人ならではのカルチャーギャップなど思わず吹いてしまうようなドタバタ喜劇が繰り広げられる。

とはいえこの物語にはまた別の顔もある。やはりこれは、「記憶」をめぐる物語でもある。
ロシア革命から逃れフランスへ、さらにナチスから逃れるためにアメリカへ渡り大学で教鞭を取るというプニンの経歴はナボコフのそれと重なる(プニンの置かれている大学での不安定な地位はナボコフの不安と不満を反映したものでもあったのだろう)。ではこれが単なる自伝的な自己諧謔な物語なのであろうか。確かにそういう面もあるだろうが、またナボコフならではの物語構造を有した小説でもある。
プニンにとって別れた妻と「息子」の存在は大きい。しかしその存在を大きくしているのは、抑圧しなければならないある痛ましい記憶を抱えているからでもある。ナボコフはこの作品中でフロイト(理論)へのあからさまなあてこすりをしている。ナボコフのフロイト嫌いは有名であるが、抑圧している記憶が一つの鍵でもあるこの作品では、フロイトとの対決はより一層重要なものであったのかもしれない。
そしてプニンに迫る悲劇の中、この物語の謎の語り手の存在が明らかとなっていくのだが、これもまた記憶をめぐる物語であり、いかにもナボコフらしい仕掛けとなっている。


堅苦しいことを考えずとも、デイヴィッド・ロッジあたりを読むような感覚で大学をめぐる知的コメディとしても面白いわけでありますが、同時にやはりどこまで「理解」したのかを考えると心持たなくもなってくる。プニンという忘れがたいキャラクターの造形にナボコフ自身の姿が投影されているように、おそらく「わかっている」人が読めば伝記的事実や歴史に絡んでさらに奥深くまで入りこんでいけるのだろうし、そういった「深読み」を作者が誘導し、それに読者が挑むということこそがナボコフの楽しみでもあるのだろうし。
この復刻版は1971年の新潮社版を底本としているのだが、ナボコフの訳本を読むと最新の研究を反映した詳註版というのも読んでみたくなってしまうのですよね。




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佐藤太郎(仮)

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