『トリュフォーの手紙』

山田宏一著 『トリュフォーの手紙』




「最後のエピストリエ――後記に代えて」によれば、1984年のトリュフォーの死去から4年後、主に映画関係を集めた書簡集が刊行された。恋愛に関するものなどはなどは含まれていないのだが、それでも500通もの手紙が収録されている。「編纂者のジル・ジャコブはトリュフォーを「最後のエピストリエ」とよんだ」そうだ。エピストリエには手紙をよく書く人、筆まめな人、手紙魔という意味と、書簡文作家、書簡文学者の二つの意味がある。

トリュフォーの書簡集は当初二分冊で邦訳が刊行予定であったが長く時間がかかり、その間にフランスの原著の出版元が他社に吸収されてしまい出版契約の更新などが滞ってしまっているということのようだ。
ということで本書はトリュフォーの書簡集ではなく、手紙の引用をふんだんに含む伝記的な読み物となっている。トリュフォーの伝記は著者自身のものも含めていくつか日本語で読めるものがあるが、手紙や過去のインタビューからの引用も多い本書はトリュフォーの生の声をより活かしたものとなっている。


「序章」は「ドロテ・クラブ」の話題から始まる。山田氏はある文通相手からドロテか再び女優活動を開始したという報せを受ける。ドロテは自分で買い付けるなどして自らの番組で日本のアニメをフランスに紹介し続けたことで子どもたちから圧倒的な人気を誇っていた。番組は「暴力的である」などの批判から打ち切られてしまうことになる。

トリュフォーは『緑色の部屋』撮影中にたまたまテレビで見たドロテと子どもたちと遊ぶ姿を見て、自伝的連作である「アントワーヌ・ドワネル」シリーズの最終作である『逃げ去る恋』のヒロインにを抜擢することに決めたそうだ。「ドロテ・クラブ」の開始は87年のことなので、トリュフォーは彼女の後の活躍を知ることはなかった。

「アントワーヌ・ドワネル」シリーズの主演を努めるはもちろんジャン=ピエール・レオーである。60年代半ば、絶好調であったゴダールと比べるとトリュフォーのキャリアはやや停滞気味であった。レオーはゴダールのことも尊敬しており、『気狂いピエロ』などでは助監督も努めている。そのレオーを俳優としてゴダールが起用したのが『男性・女性』である(この作品にも当然トリュフォーへの目配せがしてある)。この作品でレオーの恋人役であったのがアイドル歌手だったシャンタル・ゴヤ。実はドロテはデビュー時に「第二のシャンタル・ゴヤ」として売り出されていたのであった。
このような因縁を当人たちがどこまで意識していたのかはわからないが、トリュフォー、ゴダール、レオーの三角関係を考えても、まさに神話的世界であるヌーヴェルヴァーグらしいエピソードであるように思える。

本書はそのような神話的世界を目の前に蘇らせてくれるのであるが、トリュフォーとゴダールの回復されぬままに終わってしまった友情などをあらかじめ知る我々にとっては、それは楽しいものばかりではない。何よりも、手紙によってその激しくも暖かな人柄に触れることのできるトリュフォーの早すぎた死を知る者にとっては。そして山田氏が一度しか会ったことのない、ドロテの近況を教えてくれた文通相手であった堀勝幸氏も、44歳の若さで逝去されたそうだ。記憶をめぐる旅は、また死に究極的に象徴される、二度と戻らない失われた光景をめぐる旅でもある。


少年鑑別所に入れられた時と軍から脱走してきた時と二度に渡ってトリュフォーを救い出したアンドレ・バザンが、『大人は判ってくれない』の撮影初日に亡くなったことも有名な神話的エピソードである。
まず改めて印象付けられるのは、トリュフォーの生い立ちである。これは人間トリュフォーにとっても、映画監督トリュフォーにとっても決定的なものだったのであろう。
82年の来日時に行われたインタビュー(このインタビューも膨大なもので、いつか刊行されるかもしれないとのことである)にて、16歳だったころを振り返ってトリュフォーは、彼よりやや年上だったシネフィル仲間たちがどうやって生活していたのかについて「わたし自身はすでに働いて稼いでいたわけですが、他の連中は親からの仕送りでやっていけたのだと思います」と答えている。
トリュフォーはバザンのツテで働いていた「労働と文化」をクビになった後、アセチレンの溶接工として工場で一日十時間の、危険ながら給料はよかったという仕事をしながらブルジョワ文化人の社交場のクラブの討論会にもぐりこみ熱弁をふるって注目されるなんて経験もしている(もっともこれは女の子の気を引くためでもあったのだが)。
ちなみにゴダールはスイスの銀行家の息子、つまり金持ちのボンボンである。ゴダールはダム工事に従事したりすることになるが、これも罪悪感やある種の「劣等感」の表れとも考えられる。このあたりの生い立ちに由来する生活感の差が、68年5月に最も皮肉にしてねじれた形で噴出してしまったのかもしれない。

もちろんゴダールはゴダールで屈折を抱えていたのだろう。自らの過去を雄弁に語るトリュフォーと比べるとゴダールは対照的である。50年末には、ゴダールは「父親といっしょに南米ジャマイカへ旅立った」。トリュフォーはこの出来事をこう振り返っている。「帰国した時、われわれは詳しい旅行談を期待したものだ。しかしそれはぜんぜん期待はずれに終わった。その時から、彼は喋らなくなった」のであった。この時ゴダールが何を体験し、その精神にどのような影響があったのかは当人が口を開かない限り永遠にわからないであろうし、その機会はおそらくないであろう。

『大人は判ってくれない』はトリュフォーの自伝的映画であることが当時から広く報道された。そのせいで母親は「よくも恥をかかせてくれたね」と死ぬまで許さなかったそうであるし、父親は「やっとさまざまなコンプレックスから解放されたようだな」と嘲笑的な手紙を書いてきたという。トリュフォーはこれに激烈な返事を書くことになる。その一部を引用してみよう。
「十歳から十五歳までのわたしがママやあなたとどんなかかわりを持ったか、もしもありのままに描いていたら、この世でもっともおそろしい映画になっていたでしょう。物質が窮乏していた時代とはいえ、わたしはひとかけらのチョコレートも食べたことがなかった。週末になるとあなたがたはフォンテーヌブローの森へキャンプに出かけて行き、チョコレートを持って行ってしまったからです。お金も食事も用意してくれず、わたしをたったひとりアパルトマンに残して、土曜になるとふたりして泊りがけで出かけましたね。わたしは台所の棚の奥から角砂糖を盗んで飢えをしのいだのです」。

そして父親が「戸籍上の父より」と手紙の末尾に署名したことに触れ、父が実の父ではないことを知った時の衝撃を振り返り、さらにこう続ける。「そうです、わたしはあなたがたにいじめられたわけではありません。ただ無視された子供でした。まったく愛されず、いつも自分が家庭のなかで「余計な」存在だと感じていた子供でした」。

後にトリュフォー自身も「いま考えてみると、父親にも同情すべき点はあったと思う」と認めているように、彼を少年鑑別所送りにした父親の判断には(当時は親の承認によって矯正のためとして半年以上預けることがでるという法律があった)理由がなかったわけではない。
トリュフォーのこの手紙からするとまるでネグレクトの被害にあっていたようだが、あるいは実際は鋭敏すぎる感受性ゆえに過剰反応していたという可能性もあるだろう。しかしいずれにせよ、「いつも自分が家庭のなかで「余計な」存在だと感じていた」という少年時代はトリュフォーに大きな傷として残り、それが兵役志願のようなエキセントリックな行動(軍から抜けるためにバザンのアイデアで精神病院に入るのだが、19歳の時の坊主頭でやせこけ、陰鬱な表情をして軍刑務所付属精神病院で撮られた写真も収められていて痛々しい)や将来の不安定な家庭生活のもとになったのであろう。
そのような事情を知ってか知らずか、親友であったゴダールは『 大人は判ってくれない』に熱烈な賛辞を贈るのである。


トリュフォーとゴダールの二人は熱き友情で結ばれ、またよきライバルとして過ごすのだが、前述の通り68年5月に決定的な破局が訪れる。そしてだめを押したのが、73年にゴダールが書いた『アメリカの夜』への罵倒(「昨日、きみの『アメリカの夜』を見たよ。きみは嘘つきだ。しかし、誰もそうは言えないだろうから、わたしがはっきり、きみは嘘つきだと言ってやろう。これは「ファシスト」よばわりするような単なる悪口ではない。批評だ。批評精神の欠如への批評だ』)と、自分の新作のために制作費を出資しろという高圧的な要求の手紙であった。
トリュフォーはついに、覚悟を決めてすべてをさらけ出す長い返事を書くことになる。

まずトリュフォーが憤ったのはジャン=ピエール・レオーの扱いについてだった。同封されていたレオーへの手紙はそのまま送り返すとし、最近仕事のいざこざなどで落ち込んでいたレオーに対して「他人の尻馬に乗って彼をこきおろし、自分よりも十五歳も年下の彼から脅迫さながら金をくすねようとしたり、実際、きみの何本かの作品で主役を演じた彼のギャラが百万フラン以下とはひどすぎる」とゴダールの仕打ちを非難する。そして過去にも遡り、「『男性・女性』を見て、初めてジャン=ピエールがキャメラの前で不安と苦痛を感じていることに気がついた。映画の出来はよかったし、彼の演技もよかった。だが最初のカフェのシーンは彼を友情とともに見まもる者では、昆虫を観察する学者の視点のようで息がつまりそうだった」と当時の違和感を書く。
このように現在はもちろん、友情ゆえに抑えてきた過去のゴダールの傍若無人な振る舞い(ほんとにひどい)まで思いのたけをぶつける。ドキュメンタリー映画『ふたりのヌーヴェル・ヴァーグ』でも触れられていた「(自分のことを犠牲者だといわんばかりだが)きみはいつも自分のやりたいことを、やりたいときに、やりたいようにできるよううまく立ちまわっている」という箇所に代表されるように、ゴダールにとっては最も耳の痛い批判だったことだろう。

この手紙を最後に、二人は和解することないまま、トリュフォーは死を迎える。と、ここまでは有名な話なのであるが、この手紙のやり取りはレオーを介して直接行われたのであった。手紙に封はされておらず、トリュフォーがそのまま送り返したはずのゴダールの手紙を含めて、レオーは読んでしまっていたようだということなのである。
レオーは「ふたりの父親」の取り返しのつあない事態に、発狂したとか自殺を図ったいう噂が立つほど精神のバランスを崩してしまった。トリュフォーはラカンにレオーを託したようでであったが、このあたりは詳細不明とのことである。

レオーはトリュフォーの死後もゴダールの映画には出演を続けていたが、失踪事件を起こすなど精神的には不安定なままで、86年にはついに私生活をのぞきみされているという被害妄想から隣家の老婦人に襲い掛かり首をしめるという事件まで引き起こしてしまう(山田氏はルイス・ブニュエル監督の『エル』の狂った主人公を思わせるとしている)。

するとゴダールは、こんな手紙をレオーに宛てている。「……きみにはまだたくさんの時間が残されているのだから、悲しんだり苦しんだりせずに生きつづけることが期待されているんだ。〔……〕やがてはジャン・ヴィゴの映画(『アタラント号』、一九三四)の〔あの狂った名優ミシェル・シモンが演じた〕ジュールおやじの役を演じられるようになるきみだ。それがフランソワの見解(l’avis)でもあったし、そしてわたしの見解でもある。フランソワの人生(la vie)も、そしてわたしたちの人生も、きみのおかげなのだし、きみあればこそだったんだよ」(『ゴダール全評論・全発言Ⅱ』に収録)。

73年には完全に「父親」失格であったゴダールであるが、トリュフォー亡き今、ここでは父親役をきっちりこなしている。トリュフォーの死がこたえたのはレオーばかりではない。他ならぬゴダールこそが最も強い衝撃を受けたのかもしれない。以後ゴダールは「フランソワ」への呼びかけを作中で頻繁に行っている。そしてこのレオーへの手紙も、亡き親友フランソワ・トリュフォーへも向けて書かれているようでもある。何より「書簡集」にあの激しく感情的な手紙をあえて提供したところに、ゴダールの気持ちは表れているのだろう。


そしてまた、本書は著者である山田宏一とトリュフォーの親友としての物語でもある。後半は著作権にも配慮したということでトリュフォーと山田氏のやりとりが収められている。トリュフォーの人柄をしのばせるやりとりなのだが、こんなものもあった。「ドワネルもの」の『家庭』は松本弘子を起用しているが、その珍妙な描写が日本人には気恥ずかしいものとなっているのは有名だ。トリュフォーはこれについて「日本人から見ればいろいろ変なところもあるかと思いますが、けっこうたのしんでもらえるでしょう」と書いている。「いろいろ変」ってわかってたのかい!と思ってしまった。 


ロベール・ラシュネーは『大人は判ってくれない』の悪友のモデルになった親友で、ラシュネーはトリュフォーの手紙を封筒ごと大事に保存してとっておいたため消印までわかるそうだ。そのラシュネーとのやり取りで「気送速達便」が出てくる。これは「 パリとその近郊で地下の圧縮空気管を使って送っていた快速特急便で、一九〇七年から使われていたが、一九八四年に廃止された」ものであるそうだ。
テクノロジーの進歩によってコミュニケーションの方法も変化していくのは避けられないことである。「気送速達便」もなくなってしまったわけだが、それにしてもトリュフォーのようなすさまじい手紙魔がEメールの時代まで生きていたらいったいどうなっていたのだろう。もっともこういうタイプは以外とEメールなんかにはあえて手を出さないという気もしなくもないけど。
いずれにせよ「書簡集」というものが編まれる最後の世代なのかもしれない。


「あの時代」の活き活きとした声に触れるにはうってつけの一冊ではないかと思う。いつの日にか『書簡集』の完訳が刊行されるのを祈りながら。




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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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