『トクヴィルの憂鬱』

高山裕二著 『トクヴィルの憂鬱 フランス・ロマン主義と<世代>の誕生』





思想家としてのトクヴィルの一般的なイメージとしては穏健派というところであろうか。トクヴィルといえばなんといっても『アメリカのデモクラシー』で名高いのだが、ここでトクヴィルは手放しにアメリカを礼賛するのでもなく、またアメリカを未熟な国として蔑んでいるのでもない。若い民主主義国家の大いなる可能性と共に、その危うさも見つめている。
一時は忘れられた存在となっていたが、1950年代には「トクヴィル・ルネサンス」と言われるほど注目を集めるようになったそうだ。これは主として『デモクラシー』の第一巻に依拠した、「リベラル・デモクラシーの旗手」としてであった。しかし70年代から80年代にかけて「資本主義経済の矛盾が顕在化すると、『デモクラシー』第二巻のブルジョワ社会の病理分析のほうが注目されるようになる」。
このような穏健というイメージや、それを裏づけるかのような多様な読みを可能とする著作は、トクヴィルが抱き続けた懐疑の精神によるものだろう。物事を絶対視せず、常に一定の疑いを保つというのは穏健保守の特徴である。しかし、このような「懐疑」が、政治思想のみに限らないのであるとしたら。


近代文明の擁護者であるアダム・スミスも、その批判者であるルソーも、共に『ロビンソン・クルーソーの冒険』を高く評価した。両者は「人間の<自律>という神話を共有していた」。「この自律した人間こそ、自由な人間であり、新しい社会を生きる人間であるべきだ。これはまさに、近代理論に共通するパラダイムだった」。
しかしここから「世紀末病」と呼ばれる新たな問題も生まれることになる。「社会的拘束から解放され、自己の感情に忠実に生きなければならないと思い詰め、ますます孤独と倦怠にとらわれる」のである。
啓蒙思想やナポレオンを経て、これまでとは全く異なる新たな「世代」なのだという自負心、それと同時に自分が「何者でもない」のではないかという恐れ、1805年生まれのトクヴィルは、「これまでほとんど語られてこなかった」が、「自己の理想と現実との懸隔に悩み、憂鬱に襲われる」という「ロマン主義世代の一人」であったのだと著者は位置づけている。


本書は博士論文をもとにしたものであるが、その内容は著者の専門である政治学や政治思想史であると同時に、歴史学や文学(スタンダールの『赤と黒』やバルザックなどに触れた部分も多い)に近いものであるという印象も受ける。著者がなぜトクヴィルの「憂鬱」をテーマに論文を書こうとしたのかはわからないが、もしかするとここには「世代」意識もあったのかもしれない。
著者は79年生まれで、僕と同世代である。つまり、バブルの絶頂期に小学生で、バブルの余韻のまだ残る90年代前半に思春期を送り、いざ自分が「大人」になった90年代後半以降は荒涼とした世界が目の前に広がるばかりであったという世代である。本書を読みながら、トクヴィルの生涯をこの時代と重ねてしまいたくもなった。

「ロマン主義」とバブルの狂騒ではその精神性において対極のように思えるかもしれないが、一種の(根拠のない)全能感という点では似ているかもしれない。そしてこの裏返しとして、高すぎる理想と現実の自分の齟齬による「何者にもなれない自分」という不安が湧いてくるのだが、トクヴィルらの「一八二〇世代」はさらに「成り上がる途が最初から閉ざされていた」のでもあった。教育が拡充され、公務員の採用等にバカロレア(学位)が必要になり、その取得者は大幅に増えた。「こうして「資格」を得た多くの若者が社会に飛び立とうとしたときに直面したのは、貴族階級を中心とした情実と門地、要するに「コネ」が支配する「古い」社会だった」という現実にぶつかる。
トクヴィルは世俗的成功を否定するばかりか、それを大いに望んでもいたのだが(アメリカ視察も後の政界進出もその「野心」によるものでもある)、これは彼の出自がギロチンの犠牲者となった祖父に代表されるように貴族であったことを思えば、「成り上がり」を目指した平民よりもその精神はさらに屈折したものであったのだろう。

さらにトクヴィルの場合は信仰の問題も抱えていた。アメリカでの経験をふまえ信仰の果たす役割の重要性を認識する一方で、自らは信仰への懐疑から逃れることはできなかった。トクヴィルは「功利主義」的に宗教をとらえ、これを「有益な服従」とみなしてたという。「トクヴィルによれば、人間はどれほど自分一個の理性に従おうとしても、認識し判断すべき問題は多岐にわたり、個々の事情を考慮しているうちに疲れ、やがて何も識別できなくなる。だから人間は少なからずある一定の観念や意見をほとんど議論せずに真理として認めなければならない。それは人間が自分の弱さを助ける「不完全だが必要な過程」に訴えることである」と考えていた。

では宗教に対してそのように割り切り、吹っ切っていたのかといえばそうでもないようだ。晩年のトクヴィルはロシア貴族の未亡人であるスヴェチヌ夫人と文通をしていたが、ここで16歳の時のある「事件」について触れている。父親の書斎にはルソー、ヴォルテールらの啓蒙書がずらりと並んでいた。そこでトクヴィルの精神は危機を迎える。

それまで内的な確信に満ちた生活を送ってきました。心のなかに懐疑が入る余地さえありませんでした。そこに懐疑が入ってきました。というより、途方もない激しさで飛び込んできたのです。単なるあれかこれかの懐疑ではなく、全般的な懐疑でした。……私はこのうえない暗い憂鬱にとらわれ、人生というものを知りもしないのに極端な生への嫌悪を抱き、今後この世で歩むべく残された道のりを見て不安と恐怖に打ちひしがれるようになりました。激しい情念がこの絶望的状態から私を救い出し、この知的廃墟から目をそらさせ、官能的な対象のほうへ引っ張り込みました。しかし、この少年期(私は十六歳でした)の印象が時々意識にのぼるのです。そのとき再び知的世界が回りだし、私は途方に暮れたまま、私の信念や行為を支えてきたあらゆる真理を覆し揺さぶるあの全般的な動揺のなかで狂ったようになるのです。これこそ悲劇的でおそろしい病です。奥様、貴方以外の方に真実をこれほど激しく不幸にも詳しく述べることがあったか分りません。真実を知ったことのない、もしくはもはや知ることのない人びとはなんと幸福でしょう」。

ここを読んで、「トクヴィルよ、お前は俺なのか」と思ったというのは少々大袈裟であるけれど(僕には少なくとも信仰の危機はなかった、というのもはじめから持っていなかったから)、それでもこの「底」が抜けてしまっていくような絶望感というか、今まさに世界は崩壊していっているのだという虚無感や無欲間というのは他人事ではないように思えてしまう。まあトクヴィルの伝記作家の多くが彼が躁鬱病であった可能性を指摘しているそうなのでありますが……。

その他にもトクヴィルはアメリカの「物質主義」からこれまでの王侯貴族とは違う新しいタイプの「欲望」とその帰結としての「無関心(アパシー)」の問題(トクヴィル自身も後にひどい「アパシー」に悩まされることになる)についても考察している。アパシーといえばデュルケームの『自殺論』が浮かぶが、トクヴィルの生きた19世紀のフランスは自殺がそれまでと比べて五倍も増えた社会でもあったのだが、ここらへんも現在の日本でもまた切実な問題でもある。


もちろんトクヴィルの内面ばかりを重視しているのではなく、その内面と時代や政治状況の絡み合いを描いたのが本書の肝であろう。

トクヴィルがアメリカの政治において感心したのは政治参加と自治であった。とはいえ、「普通選挙こそよい政治家を選ぶ保障だと考える者が完全な幻想にとらわれていることは、私にははっきり証明された」とも語っていた。トクヴィルの興味をひいたのは、「アメリカの民主的な共和政治は社会全体の活動を増加させ活気を与えている」ところであった。トクヴィルは「民衆には分別がない」と話す弁護士に、「それは人民主権原理に反対する根拠になりますか」と質問した。その弁護士は「否」であるとし、こう答えたという。「民衆は信じ難がたい誤りを犯します。しかし、かれらは最終的には自分たちの利益に啓蒙されることに私はつねに気づかされました。だから、これ以上ない強い権力がなしうる以上のことをかれはなすのです」。

ではトクヴィルはそのような「民衆」に楽観的であったのだろうか。後に有名なメモを残している。「私は民主制度を頭では好むが、本能では貴族的である。つまり群集を軽蔑し恐れる」。
しかしだからといってトクヴィルが民主制に否定的になったと結論づけるのも早計だろう。これはギゾー政権による選挙買収の噂を聞いて書かれたもので、「歴史的文脈から取り出してきて安易に解釈されるべきものではない」。
「公衆」を求めながらも信じきることもできなかったが、これはトクヴィルの政治的、そして個人的「懐疑」を表すものでもあろう。

トクヴィルは中央集権を嫌い、貧困問題に取り組み、プレスや結社の自由を重視し、「新しい左派」の構想を抱き挫折する。同時に、当時のイメージは今日のそれとはやや異なるとはいえ社会主義を強く忌避し、また「自尊心」のためにナショナリスティックな立場を取ることもあった。これらにトクヴィルの可能性を見出すことも、またその限界を見ることもできるだろう。
トクヴィルはやはり時代の子であり、また時代と戦った人間でもあった。
「トクヴィルの憂鬱と時に見せる異常な昂揚は、没落貴族の暗い家庭に育ったかれ特有のものではない。それはかれの個人の病であると同時に、その時代の病でもあった」。


トクヴィルはアメリカで「憂鬱な喜び」という「アイロニカルな表現」を使う感情にかられた。
「「憂鬱な喜び」という表現から見えてくるのは、社会を離れ、進歩のために生き急ぐ人間を嘲弄する孤独な哲学者の独白ではなく、自分もその社会に否応なく巻き込まれているという後悔を含んだ意識である。そして、その波から逃れられないのであれば、その行方を知らなければならないという切迫した認識が生まれる。トクヴィルは廃墟の前でいつまでも過去を想うのではなく未来に目を向ける」。
しかしトクヴィルはまた、未来に対して確信を持つことができず、「過去に立ち返りたくともできない苦悩、後悔のようなもの」も表明している。トクヴィルは『デモクラシー』第二巻の最終章にはこう書いている。「もはや過去は未来を照らさず、精神は暗闇のなかを歩んでいる」。


「こうして。伝統主義者とも啓蒙主義者とも違って、結局は過去と未来どちらにも確信がもてないのは、「何者でもない」意識に苛まれるロマン主義世代の特徴でもあった」そうだが、トクヴィルがアメリカを通して自身やフランスを発見していき、アメリカ人はトクヴィルを通してアメリカを発見していったように、著者はトクヴィルを通して自身や現在を発見しようとしている……のかどうかはわからないが、個人的にはトクヴィルの「憂鬱」というものにえらく引きつけられてしまった。

本書でしばし引用される書簡集がぜひとも読みたくなってきたのだが、「従来十分に注目されてこなかった」だけに邦訳はない。英訳だと政治関係が中心なのかな。邦訳が出れば結構ぐっとくる人はいるように思えるけど、やはり厳しいのだろうなあ。


こんなの翻訳出てたのね。しかも高山さん訳ではないですか。こっちも読んでみよ。







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佐藤太郎(仮)

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