民主主義の条件

世の独裁者の中には選挙が好きな人もいる。
まあ「得票率99,8パーセント」などという数字を誇るためなのだけど。
もちろんこの数字をもって、「かの国は立派な民主主義国家で、件の人物は正当な権力者である」などと
思う民主主義国はないだろう。

つまり民主主義とは投票という行動のみによって正当化されるものではなく、
民主主義を支えるシステムがいかに機能しているのか、
という点において条件をクリアして初めて承認を受ける、と言える。

民主主義に必要不可欠とされる要素はいくつかある。
その一つが三権分立である。
なぜ行政、立法、司法が分立していなければならないのだろうか。
簡単に言えば権力の暴走を防ぐために「三すくみ」の状態にしておく、ということである。

民主主義において投票結果を無視することは許されない。
一方で投票結果において承認されればその瞬間から何をしても許されるというものではない。
分かりやすい例が憲法である。
選挙で多数を得たからといって憲法を蹂躙していいということにはならない。

民主主義国家と認められるにはなによりも法治国家でなければならないとされる。
これは単に憲法があり、法律があるというだけでは不十分である。
憲法や法律の制定過程に正当性があり、恣意的な運用がなされないことが条件となる。

法治主義は時として「民主主義」(多数者)と対立することがある。
アメリカの刑事モノを見るとしょっちゅう「ミランダ警告」に出くわす。(お前には黙秘権がある云々というやつだ)
これは別にアメリカの警察が人権意識にあふれているからではない。
この警告を怠れば、有罪に持ち込めるはずの事件に無罪判決が下されるかもしれないから行うのだ。
おそらく、大多数の人間にとっては有罪と思われる人物が警察の瑕疵によって
無罪となるなど受け入れがたいことだろう。
感情の部分ではいくらそうであろうとも、ここで重要なのは「過程」なのである。

この過程が誤っていれば、多数者によって決められたことでも認めないのが真の民主主義であろう。
広義の「人民裁判」は多数者がこの正当性のある手続きを無視して恣意的に人を裁くことである。
普通「人民裁判」が行われる国を、我々は民主主義国家とは呼ばないはずだ。

言葉を換えてもう一度繰り返すと、
民主主義とは単に投票という行動のみによって成立するのではなく、
民主主義を成立させる条件が正当性を持って初めて成立する。
「過程」こそが大切なのだ。

民主主義にとって報道の自由は不可欠である。
民主主義はしばし過ちを犯す。
しかし報道の自由があることによって、それは事後に検証可能となり、
過ちを改め、繰り返さないことにつながる。

僕は民主主義者でありたいと思う。
中国が民主主義国家でないことは誰も異論がないだろう。
しかし現状の日本が民主主義国家であると胸をはって言うことができるだろうか。
中国を嗤うことはできない、これが僕の今の偽らざる思いである。
プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR