『トクヴィルが見たアメリカ』

レオ・ダムロッシュ著 『トクヴィルが見たアメリカ  現代デモクラシーの誕生』




1831年、当時26歳だったトクヴィルは刑務所制度の視察(というのが表向きの名目であったことは当人も認めている)のためアメリカに渡った。ダムロッシュは『アメリカのデモクラシー』はもとより、草稿や書簡、メモといった未刊行文書もふんだんに参照しながらトクヴィルの9ヶ月に及ぶアメリカ滞在を描いている。

独立と南北戦争のちょうど中間にあたり、良くも悪くもアメリカ的現象だといえるジャクソニアン・デモクラシー(トクヴィルはジャクソン大統領にも面会している)の時代がトクヴィルの目を通して浮かびあがり、またトクヴィルが見落としたものなどによってトクヴィル自身の姿も浮かび上がってくるようだ。

本書には同時代にアメリカに滞在したディケンズなどのアメリカ体験も多く引かれるが、このようなヨーロッパからの訪問者の多くが否定的に捉えがちであった部分に、トクヴィルは肯定的要素を見出してもいる場合も多い。
一方でトクヴィルはアメリカの人種差別に直面し衝撃を受け、奴隷制は将来大きな禍根となるであろうことを予言している。ヨーロッパではすでに失われた荒野に心惹かれ、インディアンに深い同情を寄せる。しかしまた、まだその言葉は使われてはいなかったが、「マニフェスト・デスティニー」という白人中心の拡張主義についてはこれを肯定的に捉えてもいた。このあたりは後のトクヴィル自身の政治家としての姿勢を予言しているかのようでもある。

本来の目的であった刑務所制度の視察もおろそかにしたわけではなく、また本書でも興味深い体験が描かれている。
シンシンでは900人の囚人が30人の看守の監視のもと屋外作業にあたっていた。鞭打ちも行われており、トクヴィルはこれを肯定的に見たようだが(「鞭打ちの体罰はアメリカ海軍でも使われており、それについて悪評が立っているとは聞いていない」)、これは当時の欧米での教育などにおいての体罰観と合わせて考える必要があるだろう。
ダムロッシュがここで注目するのは、「組織と統制の新しい技術の延長」であり、そしてそこから当然連想させられるミシェル・フーコーを参照している。
実際にアメリカではベンサムのパノプティコンを実現したかのような刑務所がすでにあり、トクヴィルもそこを訪れている。フィラデルフィアでは「二十四時間体制での完全隔離という原則」に則った運営がなされている刑務所があった。クエーカーの思想に基づくこの体制は、フーコーが言うところの「孤独状態は犯罪者が「自身を内側から照らすもの」を見出すのを後押しするよう考えられた」ものであった。完全隔離はこれに先立つ例があったが、「自分の良心と向き合ったかに関係なく、囚人が発狂するという憂慮すべき傾向」という結果がもたらされたのは当然であろう。トクヴィルが視察した刑務所では改善策として有用な仕事を与え、教戒師との面談と聖書を手元に置くことだけは許されていた。

トクヴィルは囚人から聞き取りを行い、その状況に哀れみを感じつつもこのようなシステムもまた肯定的に捉えていた。これは当時の「リベラル」な訪問者の多くの反応と同様なものであった。注目すべきはむしろ、やはり同じ刑務所を訪ねたディケンズが「囚人は生きながらにして葬られた人間となる。何年もの緩慢な刑期を終えて掘り出されるわけだが、それまでのあいだ苛むような不安とすさまじい絶望以外、なにも感じることがない」と囚人に「全面的な感情移入」をしていることかもしれない。ディケンズが幼いころ、父親が債務者監獄に入れられ、そのことがトラウマ体験となったことはよく知られているが、このあたりもディケンズの反応に影響したのかもしれない。
現在ではついトクヴィルがアメリカに渡った本来の(というか建前の)目的を脇に置きがちになってしまうが、このあたりにも、もっと注目してもいいのかもしれない。


また本書を楽しいものとしてくれているのは、トクヴィルの親友であり旅の同伴者でもあるボモンの書簡等もふんだんに参照されていることだ。
どちらかというとふさぎこみがちであったトクヴィルに対し、ボモンは陽気で社交的であった(ちなみにボモンは帰国後、アメリカとは縁の深いどころではない人物であるラ・ファイエットの娘と結婚している)。
二人の関係は「ホームズとワトソン」というより、個人的にはピンチョンの『メイスン&ディクスン』を思い起こしてしまった。もっともメイスンもディクスンも実在の人物であるわけで、これは親友の類型的関係というだけのことなのかもしれない。しかし「トクヴィルとボモンには当時の著名人や有名人になる人物にばったり出会う才能があった」なんてところはそのまま「小説『メイスン&ディクスン』において、メイスンとディクスンは……」に置き換えができてしまうかのようだ。ピンチョンがこの作品においてトクヴィルのアメリカ滞在記を意識したとまでは言わないが、当然ながら『デモクラシー』あたりは目を通しているであろうから、無意識に流れ込んだということもあるのかもしれない。

ボモンはこんなアメリカ到着一ヵ月後にこんな「正式調書」を残している。

「私犠、署名者は、礼儀正しさの専門家で、またアレクシ・ド・トクヴィル氏に彼の長所よりも短所を忠告する素直な友人ですが、次の事実を証明します。前記のアレクシ氏はかつて、社交の場であまりに冷淡かつ控え目で、気に入らない人に対する無関心な振る舞いが非難されかねませんでしたが、……その礼儀作法の完全な矯正を成し遂げました。今では誰に大しても物腰柔らかで愛想がよく、若い女性と同様老いた女性にも人当たりよく、外見が気に入らない人とも賢明に交わろうとしています」。

これなど不器用に歓迎パーティーをこなそうとするトクヴィルとそれを面白がるボモンという二人の性格と関係が目に浮かぶようだ。

その他にも本書の図版は「できるだけトクヴィルが旅行したときと同じ頃のものにし、彼が目にしなかったであろうものはいっさい載せていない」とあって、当時のニューヨークやボストン、また開拓地の丸太小屋などの絵を見ているのも楽しい。


あと、あの悪名高きゴビノーはトクヴィルの弟子にあたる人物であった(福田和也の『奇妙な廃墟』はかなり前に目を通したきりなので忘れてしまったが、ここらへんの関係には触れていたっけか)。
トクヴィルは植民地は肯定するものの人種主義は否定するという立場であり、ゴビノーがアーリア人の優越性を主張し始めると、「カエサルも同じくらい安易にブリテン島人の蛮人を劣等人種として軽視したかもしれない」とし、ゴビノーにこう警告した。「傲慢、暴力、同胞に対する蔑視、圧政、あやゆるかたちの卑劣行為――貴方は自分の説が、永久的な不平等からくるありったけの最悪を引き起こすのが分らないのですか」。
しかしゴビノーは自説を曲げず、「トクヴィルは完全に彼と縁を切った」のだそうだ。ゴビノーの「アーリア人優位説」は後にナチに引き継がれることはご存知の通りである。


そういえばトクヴィルが兄から貰った目覚まし時計について手紙で感謝していることろがあるのだけれど、この時代にもう目覚まし時計ってあったのですね。いつからあるのだろうと思って検索したら14世紀(!)には発明されてたのだとか(こちらを参照)。そういえば舞台がこれよりもさらに時代が遡る『メイスン&ディクスン』にも恋する人造鴨が出てきていましたね。昔の人のカラクリ力もまたおそるべし。


そういえばディケンズの『アメリカ紀行』は読んどらんかった。






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佐藤太郎(仮)

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