『「幽霊屋敷」の文化史』

加藤耕一著 『「幽霊屋敷」の文化史』




「ゴシック」「幽霊」「ファンタズマゴリー」といったキー概念を辿りながら、それらがいかにディズニーランドのホーンテッド・マンションへ流れ込んでいるかという歴史的展開が追われている。ディズニーランドのファンはもちろんだが、僕のようなそうではない文学好きの人間にとっても面白く読める。

個人的に一番興味を引かれたのが、あの蝋人形でおなじみのマダム・タッソーについてである。
後にマダム・タッソーとなるマリー・グロシュルツがフランスに渡り、王の妹であるエリザベートの蝋人形制作教師としてヴェルサイユ宮殿に住むようになるまでの経緯も数奇なものだが、ここからが本当にすごいお話。

時あたかもフランス革命。ヴェルサイユ宮殿に出入りしていただけでも危険であったかもしれない。しかしマリーの「父」(という噂のある蝋人形造りの師であり、マリーをフランスに呼び寄せた人物)のクルティウスは「機を見るに敏な人物」で、貴族のみならず革命後の指導者となるダントンやロベスピエールとも昵懇であったという。

マリーは『回想録』で山と積まれた死体など恐ろしい光景を目撃したことを振り返っているそうだが、これだけには留まらない。クルティウスとマリーはギロチンで斬首された王族や政治家のデスマスクを取るという「不気味な仕事」を引き受けていたのである。ルイ16世とマリー・アントワネットのデスマスクも取っていたとようだ。さらにはマラーなどのギロチンにかけられた革命側の指導者のデスマスクまでも取っていたのである。マリーは「マドレーヌ墓地でロベスピエールの遺骸が運ばれてくるのを待ちうけ、墓地でこの死者の頭部の型取りをした」と『回想録』で振り返っている。
このような経験が蝋人形館の展示にも活かされることとなる。

マリーは34歳の時に25歳のフランソワ・タッソーと結婚、「マダム・タッソー」となり二人の子どもをもうける。その後これも本書で面白い働きをするフィリップスタイルの誘いにより興行のためイギリスへ渡る。結局マリーはフランスへ戻ることはなく、母と夫には二度と会うことがなかったそうだ。

マリーはイギリスで蝋人形の移動興行を行っていたが、ようやく常設の人形館をオープンすることができた時はすでに70代半ばであった。その蝋人形館がどこにできたのかといえばなんとあのベイカー・ストリート。
マリーは1850年に死去するが、子どもや孫が引き継いだ蝋人形館は1884年までベイカー・ストリートにあった。シャーロック・ホームズがベイカー・ストリートに居を構えるようになったのは1882年ということで、本書では「わずか二年ばかりですれ違ってしまったことになる」となっているが、むしろホームズがあそこに住み始めた(という設定)のころには近くに蝋人形館があったということが面白い。

他にも蝋人形館の展示方法、とりわけ特別料金を取った「恐怖の部屋」を巡る話も興味深い。
「フランス革命に関する「恐怖」」はもちろんのこと、「ヴィクトリア朝のロンドンを騒がせた殺人鬼たちも、蝋人形となって登場」していたそうである。このような展示は「犯罪を宣伝するものとして多くの批判を浴びせられたが、同時に多くの観客も集めた」そうだ。きっとホームズも通い倒したことだろう、と想像してしまう。


マダム・タッソーだけで一冊いけるんじゃないかという感じでもあったのだが、『回想録』は残念ながら邦訳はおろか英訳もないようで……
これでも読んでみようかな。



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佐藤太郎(仮)

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