『フォト・リテラシー』

今橋映子著 『フォト・リテラシー』





「フォト・リテラシー」という言葉は人口に膾炙しているとは言えないだろう。この言葉を著者は「メディア・リテラシー」と重なる部分も多いとしつつ、「報道写真」には「報道か、アートか」という根源的な問題があり、また「メディア・リテラシーが、常に「現代」社会との対話を念頭に置いているのに対し、フォト・リテラシーでは必然的に、歴史認識との関わりや倫理をも視野に入れてゆくことになろう。そしてその大前提として、「報道写真」「ドキュメンタリー写真」「決定的瞬間」……など、普段私たちが何げなく使っている用語自体、一体いつ、誰によって造られたのか、そこから明らかにする必要がある」とし、「フォト・リテラシー」を暫定的に次のように定義している。

「市民が写真メディア(特に現実を報道する役割を担う写真)を、芸術史的および社会的文脈の双方でクリティカルに分析し、評価できる力、延いてはその知識と倫理をもって、一方で歴史認識を精錬し、他方で現在における多様なコミュニケーションを創り出す力を指す」(p.8)。


まず取り上げられるのがアンリ・カルティエ=ブレッソンの有名な写真集『決定的瞬間』に収録されている「サンラザール駅裏、ヨーロッパ広場」である。
写真集のタイトルである『決定的瞬間』は英語からの重訳であり、仏語のタイトルからの訳を著者は「かすめ取られたイマージュ」がふさわしいとしている。またこの英訳には翻訳上の問題(というか原文にないものまで書き加えられていたりする)があるのだが、一方でカルティエ=ブレッソンのエッセンスを表したものともとれ、それが当人にも「逆輸入」されることにもなる。

「サンラザール駅裏、ヨーロッパ広場」は様々なイメージを喚起するものである。
この写真についてある事実が明らかとなる。カルティエ=ブレッソンは『決定的瞬間』の序文によって新たな規範をもたらした。それは(1)絶対的な構図の優位性 (2)演出写真の否定 (3)トリミングの拒否、である。ところがこの「ヨーロッパ広場」は、カルティエ=ブレッソンによる数少ないトリミングが施された作品であったのだ。
もちろんこれは「演出写真」ではないし、倫理的に問題があるわけではないが、トリミングされていない写真と比べると印象はやや異なる。
写真を撮り、現像し、作品として発表するという過程、さらにはキャプションの問題や発表媒体によってもそこには様々な「選択」が生じる。それは当然のことなのだが、見る側はつい「写真は真実を写す」という先入観を抱いてしまうことになる。そこを問い直すことがまさにフォト・リテラシーであろう。

カルティエ=ブレッソンの規範は強い影響力を持ったが、それだけに逆手に取った表現に乗り出す写真家も現れるようになる。しかし、そもそもカルティエ=ブレッソンがこのような規範を打ち出すということは、それが確立されていなかったということの裏返しでもあることを押さえておかなくてはならないだろう。

エーリッヒ・ザロモンは裕福な家の出で、上流社会に潜入し、また重要な政治家や公開されていない法廷の様子を写真におさめ(本書には「執務室のムッソリーニ」が収録されている)、その「秘密」写真は若いメディアであったグラフ誌の目玉商品となる。しかしその光景がどうしても撮れない時は、「超秘密」写真の名のもとに、「注意深く演出して撮影された写真」も発表されていた。現在から見ればこれは明らかに「やらせ」であるが、当時はこのような手法が問題視されることはなかった。

1950年に撮られたドアノーの有名な「市庁舎前のキス」はパリ観光土産の絵葉書としても人気を集めるが、これは「演出写真」であった。初出の『ライフ』誌はこれらのパリ写真を「「ポーズをつけずに撮った写真」つまり「やらせ」ではないと明記」してしまったことから後にモデルとなった俳優からの訴訟にまで発展する。つまりこのころにもまだ「演出写真」をそれと明記しないことが問題であるという認識はそれほど共有されてはいなかったのである。


このような「演出」をめぐる倫理の問題だけであればメディア・リテラシーの一環にとどまるものでろうが、本書はさらにここからフォト・リテラシー特有の問題へと歩を進める。

ユージン・スミスの「スペインの村」は「名作」として名高いが、スミス自身は「失敗作」だと感じていたのだという。
第二次大戦後のスペインの貧しい田舎村を捉えたこの一連の写真を撮るにあたり、スミスは明確にフランコ独裁体制を告発する意図を持っていた。しかし『ライフ』誌に掲載されたものは、「貧困(および食糧難)が、独裁体制に由来する」というスミスの意図は脱政治化され、スペインの田舎の伝統的、宗教的な日常を捉えたかのような作品となってしまったのである。
『ライフ』誌の発行元のタイム社は、スミスが取材に赴こうとしていた1949年頃はまだフランコ独裁へ批判的な姿勢であったが、スミスが帰国した51年にはアメリカ政府に同調し、政治的に曖昧な姿勢へと変節していた。
「スペインの村」は「複雑化する編集分業システムと、メディアと政治権力の関係、写真家の創意とその限界が透けて見える」ものとなっている。


「撮るのが先か救うのが先か」「写真は世界を救うのか」という問題はこれからも永遠につきまとうものであろうし、セバスチャン・サルガドの「美しい」写真とそれに対するスーザン・ソンタグの批判は狭義の写真に限らず、表現をする側と受け取る側の双方が向き合い続けなければならない問題であろうが、その究極的な例が強制収容所をめぐるものだろう。

ジョージ・ロジャーはイギリス軍に従軍し、ベルゲン=ベルゼン強制収容所の解放を目撃した。その際に目の前にある数千の死体を、「構図の整った写真におさめようとしている自分に気づ」き、その自身の「習慣」にたじろぎ、「戦争写真は二度と撮らない」と決意する。しかしロジャーは再び口を開く決意をする。それはベルゲン=ベルゼンにはガス室はなかったものの、この犠牲者がガス室によるものという誤用がなされてしまったために、歴史修正主義者がガス室の存在自体を否定することに利用されてしまったためである。

ホロコーストをめぐってはその「表象不可能性」をめぐって激しい議論が交わされている。
2001年の「収容所の記憶」展では、「誤用」されてしまってきた写真の厳密に考証を行っている。いくつものグラフ誌がナチのプロパガンダに変質したことや、連合国側でも「悪意」はなくとも様々な「誤用」をおかしえしまっていたことを明らかにしている。ディディ=ユベルマンはカタログの論文にて、「これらの残存するイメージは一般的に見損なわれたイメージであるということであり、見損なわれたのは語られ損ねたからである」としている。
ディディ=ユベルマンは奇跡的に残った四枚の写真に注目する。ゾンダーコマンドという「ガス室で焼却されたユダヤ人を完全処理するために結成された「ユダヤ人」囚人たち」の中の一人が撮った写真をポーランドのレジスタンス組織に送ることに成功していた。
ディディ=ユベルマンはこれらの写真が事実を再現するにはあまりに「過少」で「不正確」であることは承知している。そればかりか、戦後には裸体の女性の乳房を膨らませるという「狂った意思」による「修正」まで行われてしまっているのだ。それでも、ディディ=ユベルマンはこう書く。「収容所の圧政が全面的な消滅の事業として機能しているとすれば、その事業のごく一角が視覚的に示唆されるような各々の出現――どれほど断片的であろうと、どれほど直感や解釈が困難であろうと――が、われわれにはどれだけ必要になることだろうか!」。

この論文に対して、『ショアー』の監督であるクロード・ランズマンは「耐えがたい解釈上の思いあがり」と批判し、「わずかなイメージに固執して歴史的現実の復元に想像力を膨らます手法は、「フェティシズム」「窃視症」以外の何ものでもないと断じ、収容所の写真映像が不正確で断片的である以上、ショアーの「表象不可能性」は絶対である」としている。
この論争について著者はディディ=ユベルマンを支持し、ランズマンは「論理以前の論理を欠いている」としている。


本書は狭義の意味での写真史に興味のある人はもちろんだが、何よりも報道と倫理の問題における当事者(当事者でない人間がいようか)にとって深く考察するきっかけを与えてくれるものであろう。また著者は「元来文学研究者」であり、本書はまた「読む」という行為をめぐる本でもあろう。





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佐藤太郎(仮)

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