『イメージ、それでもなお』

ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著 『イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』




1942年7月、アウシュヴィッツにて「結成」されたゾンダーコマンド。同じユダヤ人の「前任者の死体を焼くことが次の部隊にとっての通過儀礼だった」。
自らが間もなくガス室送りになることを知りつつも、ユダヤ人がガス室に入るのを見届け、「叫び声や壁を打ち鳴らす音、最後のうめきを耳」にし、「筆舌に尽くしがたい人間の山積み」を引き受け、死体を引っぱり出して服を脱がし、血や体液を洗い流し、金歯を「「帝国」の戦利品」として取り外し、死体を焼却棟の大がまにくべる作業に従事させられた。遺灰をかき集め、残った人骨を砕き、近隣の河川に投げ入れたり,道路の舗装材に用いた。カモフラージュ用の生垣を作り、予備の焼却溝を掘り、焼却棟の大かまどの清掃、修繕をする。これらの作業を「SSに脅されながら毎日繰り返す」のがゾンダーコマンドである。他の囚人とはもちろん、ガス室や焼却棟の正確な役割を知らないSSらとの接触も断たれていた。「最後まで嘘をつきとおすのを強いられ」、もし犠牲者たちに待ち受けるその運命を告げようとしたなら「生きたまま焼却場の火に投げ込まれ、友人たちがその執行に立ち会わねばならなかった」のである。

このすさまじい状況をどう形容すればいいのだろうか。つい「想像を絶する光景だ」という言葉を使いたくなる。しかし「「ユダヤ人の集団殺戮が提起する問題を、思考不可能として片づけることで、この問題に決着がついたと認める」ことは、歴史家にはできないし、することがあってもならない。「〔集団殺戮が〕思いつかれたということは、思考可能だったということである」(p.37)。著者はハンナ・アーレントを参照しこう語る。「思考が躓くまさにその場所でこそ、われわれは思考に踏みとどまり、あるいはむしろ思考に新たな展開をさせねばならない」のである。

アウシュヴィッツの五号焼却棟は1945年1月にはSSの手によって破壊され、「非―場所」化された廃墟や荒地となった。アウシュヴィッツ周辺は写真撮影が禁止されており、禁を犯せば射殺するとの看板が掲げられていた(同時にナチスは詳細な記録を取るということもまたしており、アウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスもこの禁忌と矛盾する行動をとってもいた)。
これらからわかるのは、SSをはじめとする少なからぬナチスは、戦後に待ち受ける裁判などでの追求をおそれ、そこから逃れるために徹底した証拠隠滅を図っていたということである。
ディディ=ユベルマンはリオタールの『文の抗争』から歴史修正主義者の論法についての言葉を「注」で引用している。「ある場所がガス室であると同定するにあたって、私が証人として認めるのはガス室の犠牲者だけである。ところで相手方の主張によれば、犠牲者はすべて死んでいるはずである。そうでなければ、このガス室は、主張されているようなものではないということになるだろう。したがってガス室なるものは存在しない」。
ナチスは歴史修正主義者に向けてこのような証拠隠滅を行っていたのである。

したがって、「ナチス親衛隊が証言の可能性の芽を是が非でも摘んでおきたいと望んでいたのは」、「大量虐殺を直接手がけていた囚人たちの特別部隊」、つまりゾンダーコマンドである。
アイシュヴィッツの焼却棟周辺が発掘調査されると、そこからゾンダーコマンドのメンバーが残した「判読不能に近いショッキングな手記が掘り出された」。そこには「SSたちはひとりの証人も生き残らせはしないと、しょっちゅうわれわれに言って聞かせている」とあった(この「アウシュビッツの巻物」は1945年から80年にかけて発見されたが、「財宝」を求めて解放後に押し寄せた地元民などにより持ち去られるなどし、失われたものも多い)。さらにはもし証言が外部に伝えられようとも、それが「理解不能で、常軌を逸した想像不可能なもの」と見なされる恐れもあった。

この「獰猛な意志を挫く」ために必要とされたもの、それが写真というイメージである。
ポーランド・レジスタンスの指導部は1944年に写真を発注する。民間労働者がカメラを持ち込みゾンダーコマンドのメンバーに渡すことに成功する。
アレックスという名のギリシャ系ユダヤ人は、まだ死体が残っていたかもしれないガス室の中に隠れ、煙がまう焼却溝での死体処理の様子を撮影する。その後でなのか、アレックスは外へと出て、バケツの中なのか上着のすその下なのか、そこへとカメラを隠すと、歩みを止めることなく撮影を行い、ガス室へ追いやられている女性たちの姿をおさめた。こうして撮られたのが4枚の写真である。

カメラから取り出されたこのフィルムは歯磨き粉のチューブに隠されアウシュヴィッツから持ち出される。二人の政治犯のメモが添えられ、ポーランド・レジスタンスのもとにたどり着くことになる。そのメモの内容はこうである。
「緊急。六×九サイズの金属製フィルムを二巻、できる限り早く送られたし。ガス室送りにされる囚人たちを写したビルケナウの写真を送付する。一枚には屋外で死体を焼く火刑場のひとつが写っている。焼却場だけではすべてを焼ききれないのだ。火刑場の前にはこれから投げ入れられる死体がある。もう一枚には、シャワーを浴びるためだと言われて林のなかで囚人たちが服を脱ぐ場所が写っている。その後で彼らはガス室に送り込まれるのだ。フィルムをできる限り早く送られたし。同封した写真はただちにテル(Tell)に送られたし。われわれの考えでは拡大した写真はもっと遠くにまで届くはずだ」。

「もっと遠くにまで届くはずだ」、この遠くとはどこのことなのか。一つにはそれは西側の地域を指している。当時ロンドンにいて最も情報に通じていたはずのユダヤ人レジスタンスたちですら、ガス室の存在を想像だにしていなかったという回想が引用されている。しかしまた、それだけではない。ナチスが行ったのはただの虐殺ではなく、「イメージ」そのものを剥ぎ取り、消滅させようとしたのである(すでに埋葬されていたユダヤ人の墓をあばき、死体を焼却させることまで行っていたことは殺戮のみが目的ではなかったことを表している)。アウシュヴィッツを写した4枚の写真は、そのような「想像不可能なものすべてにさからって」写されたものなのである。

この写真は後にトリミングをされ、そればかりか「狂った意志」によって写真の女性の目鼻をはっきりさせ、さらには裸の乳房をふくらませるという修正まで施されることになってしまう。「真実」を写したはずの写真にこのような「修正」が施されたという事実は、歴史修正主義者に恰好の口実を与えるものであるかもしれない。
ディディ=ユベルマンはこれらの写真の撮影からその後たどることになる出来事まで考察を展開し、それでもこのイメージを擁護する。「つまり役に立たないイメージ? その逆である。それらは今日のわれわれにとって限りなく貴重だ。そしてまた注文の多いイメージでもある、なぜならそれはわれわれに対して、考古学的な努力を要求してくるからだ。われわれはいま一度、そのあまりに脆弱な時間性のなかを掘り起こしてみなければならない」(p.65)。


この第Ⅰ部は『収容所の記憶 ナチス強制・絶滅収容所の写真(一九三三―一九九九年)』に収録されたものである。この論文に対し、ジェラール・ヴァイクマン、エリザペット・パニュ、そして『ショアー』の監督であるクロード・ランズマンが激烈な批判を行う。第Ⅱ部はこの批判への反論にあてられている。
ランズマンらの主張を単純化すれば、全てを表すことができなければガス室などの写真や映像といった「イメージ」は存在するべきではない、ナチスによる大量虐殺を全て表すことなどそもそも不可能であるのだから、そのような不十分な「イメージ」を擁護することはナチスの行いを矮小化し、さらなる危険すらもたらすおそれすらある、といったあたりだろうか。

おそらくはヴァイクマンがラカン派の臨床分析家であるからだろうが、まず ディディ=ユベルマンはラカンを援用して「フェティシズム」だという批判に反論するのだが、これは「訳者あとがき」や「解説」でも触れられている通りあまり効果的だとは思えないものになっている。

ディディ=ユベルマンの考察が鋭さを増すのはこの後である。
ランズマンらはかつてゴダールとも論争を行っている。ディディ=ユベルマンはゴダールの側に立っている。
ゴダールはこう語った。「イメージは存在しません、諸々のイメージがあるだけです。そして諸々のイメージのある種の集合形態があります。ふたつあれば、ただちに三つ目がある。〔……〕これは映画の根本です」。
ディディ=ユベルマンはヴァイクマンが「イメージ」をほぼ一貫して単数で語り、ラカンによる「シニフィアンの「連鎖」効果に認めた芳情さ」は「イメージ」には備わっていないとしている。一方のゴダールは「複数すなわちモンタージュ効果に取り込まれたものとしてしか、イメージを見ないし、構築もしない。動きのなかで展開する時間において、この本質的な複数性を花開かせることができたのは、映画の――またそれだけでなく、彼がエイゼンシュタインに倣って卓越した「編集技師」と見なす、絵画の――偉大さである」ことを認識している。

ゴダールはまたこうも語っている。「ヌーヴェル・ヴァーグは始まりであり、革命であったと、素朴にも思い込まれてきた。だがそれはすでに遅すぎたのだ。すべてが済んでしまっていた。仕上げがなされたのは、強制収容所が撮影されなかったときである。この時点で映画は完全に自らの責務を怠ったのだ」。
しかしこれは正確ではない。強制収容所は実際には撮影が行われたばかりか、ゴダール自身その映像を使用してすらいる。ゴダールがここで何が言いたかったのかといえば、「撮影するだけでは、映画を作るには十分ではない」ということだ。「ゴダールによれば、誰も既存の映像や歴史資料を編集する――つまり理解するために呈示することができなかった」ということなのである。ゴダールが崇めるヒッチコックは収容所を撮影したシドニー・バーンスタインの編集技師に「トリートメント・アドヴァイザー」という名目で助言を与えたが、これには「満足していないよう」だ。「同様に『夜と霧』のトラヴェリングにも、そして『ショアー』の証言にも、満足がいかない様子である」。

「JLGは〔……〕スピルバーグ氏にアウシュヴィッツの再構成を思いとどまらせることができなかった」のであるが、そのゴダールの『映画史』は「すべてに抗してのモンタージュに、見事なまでに踏みとどまるだろう」。
「モンタージュは、その構成要素の無差別な「同化」や「融合」あるいは「破壊」ではないのである。収容所のイメージ――もしくはナチスの蛮行のイメージ――を編集することは、諸々のタブローや映画の抜粋、文学的引用からなる文化的マグマのなかにそのイメージを散逸させることではない。それはこのイメージを取り囲むことになったものとの差異や絆を示すことによって、別の何かを理解する手がかりを提供することである」(p.184)。

『映画史』において、ゴダールはジョージ・スティーブンスが撮影したブーンハルト=ダッハウの移送列車の死体のカラー映像から「水着姿で横になったエリザベス・テイラーと、その膝の上で休む恋人モンゴメリー・クリフトの顔という、典型的なハリウッド・エロティシズムの断片」という「唐突な差異」を見せる。われわれはここで「私的な幸福がしばしば歴史的な不幸をバックに繰り広げられていることに思い至らないわけには、あるいは少なくとも感じないわけにはいかない」のであるが、それだけではない。「ゴダールのなす作品は歴史的なものでもあるのだ」。この二つの映像は同じ人物、ジョージ・スティーブンスによって撮られたものなのである。ゴダールはこうコメントを入れている。「仮にジョージ・スティーブンスが、アウシュヴィッツとラーヴェンスブリュックで、最初の一六ミリ・カラーフィルムを用いることがなかったとしたら、エリザベス・テイラーの幸福はおそらく、陽のあたる場所を見出すことは決してなかっただろう」。

「このモンタージュによって導き出される考えとはすなわち、俎上に載せられた諸々の差異が、同じ戦争と同じ歴史に属しているということである。要するにジョージ・スティーブンスがハリウッドに戻ってフィクションの逸話に立ち返るためには、連合軍が現実の戦争に勝利する必要があったのだ。そこで語られているのは「単数の歴史」である、なぜなら、ダッハウの死体は、スティーブンスがエリザベス・テイラーの身体に向ける――だとえそれがゴダールがここで仮定するように、思考ならざるものという形をとるにしても――のと同じ、証人の眼差しと不可分であるからだ。そしてそれは「複数の歴史」である、なぜならこれらふたつの瞬間は、同じ「文化の悲劇」のなかでもがきながら、絶えず互いを無視しようと試みているからだ。」(p.189)。

ディディ=ユベルマンがゴダールの『映画史』を読み解くなかで擁護しているのは、「複数のイメージ」の「差異や絆」を示すモンタージュによってそこにある「単数の歴史」や「複数の歴史」を示したように、「不可能」なものに抗う想像力であろう。


ディディ=ユベルマンはスーザン・ソンタグの『写真論』を参照している。写真などの「イメージ」はすべてを与えてくれるだけではなく、人を麻痺させるおそれもある。ソンタグはこう書いている。「イメージは麻痺させる。イメージは感覚を失わせる。写真によって知られるところとなった出来事は、〔……〕よりいっそうの現実味を帯びるが、反復的にわれわれの目に浴びせかけられると、現実味を失うのだ」。
ランズマンらがおそれているのはまさにこの事態であろう。
しかしソンタグはまた、12歳の時に見たベルゲン=ベルゼンとダッハウの写真が、「以後私が目にしたどんなものも、あれほど鋭く、深く、瞬時に私を捉えることはなかった」とも書いている。
これを受けてディディ=ユベルマンはこう分析している。ソンタグは「ショアーの「すべて」がそれらの写真からもたらされたと述べているのではな」く、彼女はその後ダッハウとトレブリンカの違いや強制収容所と絶滅収容所の違いなど、1945年当時には知りえなかったことを知ることになる。「写真は彼女にとって、見るという瞬間を介した知の入口でしかなかった。したがって写真はこの知自体にとって充分に決定的なものだった」。
しかしヴァイクマンは「絶対的恐怖に応答するのは、イメージ外かつ時間外の、絶対的知でなければならなと信じ続けている」(p.111)のである。

カルロ・ギンズブルクは「表象の限界についてのシンポジウムのコンテクストを受けて」、ヘイドン・ホワイト、リオタールらによって表明された「根本的な懐疑主義」への「徹底的かつ建設的な推敲」に乗り出した。
「ギンズブルグが訴えるのは、実証主義の行き過ぎと懐疑主義の行き過ぎの間で、「証言を読む」ことを絶えず学び直し、「ナレーション(叙述すること)とドキュメンテーション(資料を裏づけること)との緊張関係」を経験するのを恐れず、諸々のソースのなかに「実証主義者が考えるような開かれた窓や、懐疑主義者が主張するような視界をふさぐ壁」を見ないようにすることである」(p.133)。


「ビルケナウの四枚のイメージがわれわれにとって貴重なのは、それらがすべてに抗して人間のイメージを、人間の破壊に対するイメージの――わずかなフィルムの切れ端の――抵抗を示しているからに他ならない。そのような破壊にもかかわらず、人間はそこに資料を残すに至った。非合法の撮影行為が、あたかも言葉にならないメッセージをわれわれに差し向けたかのようである。私の(われわれの、あなた方の)似たものたちが何を強いられたのかを見られよ(図9)。私の(われわれの、あなた方の)似たものたちが何に還元されてしまったのかを見られよ(図12)。すでに死んだものたちと、それを炎にくべるまだ生きているものたちが、どれほど私の(われわれの、あなた方の)似たものたちであるのかを見られよ。彼らがいかにして「最終解決」により皆殺しにされたのかを見られよ。われわれ自身の死の先で、やがて「最終解決」が頓挫したときに、願わくはあなた方がそれを見つめ、それを理解しようと試みられんことを。願わくはあなた方が、この歴史に抗議の声を上げ続けられんことを。だからこそこれらの写真はわれわれにとって重要で、われわれに関係しており、それらが証言する特定の状況からわれわれを見つめ続けているのだ」(p.208)。

本書のエピグラフは「アウシュヴィッツの巻物」から、1944年にザルメン・グラドフスキの次の言葉が掲げられている。
 
 君の友達や知合いに言うんだ、もし帰ってくることがなかったとしたら、それはこの恐ろしく野蛮な光景を見て、われら寄る辺なき民族の、加護なき無垢な子供たちがどのように殺されたのかを見て、君の血の流れが止まり、固まってしまったからだと。
 彼らに言うんだ、もし君の心臓が〔石〕に変わり、君の脳みそが冷たい思考機械と化し、君の目が単なる写真機に変わってしまったら、君はもう彼らのもとには戻ってこないと。〔……〕しっかり手を握ってくれ、震えちゃ駄目だ〔欠落〕これからもっとひどいことを見なければならないんだから。




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