『ジャンゴ』

『ジャンゴ』




クエンティン・タランティーノ監督の前作、『イングロリアス・バスターズ』は個人的には結構好きなのではあるが、完成度という点ではいろいろと瑕疵のある作品でもある。テレビシリーズにしようかと思ったほど脚本が膨らんだ(というか収拾がつかなくなった)そうだが、それを強引に一本にまとめあげたがゆえに、個々には魅力的なエピソードであってもトータルで考えると失調しているという印象も否めない。
『ジャンゴ』は『イングロリアス・バスターズ』よりもさらに上映時間が長くなっており、タランティーノが「あれも撮りたいこれも撮りたい」という状態であったことを窺わせるが、しかし雰囲気はきっちりと統一感を保ったまま物語は進められる。

タランティーノといえばビデオ屋の店員時代に狩猟したテレビを含む「B級」作品への偏愛で知られている。そういった個人的趣味が強く反映されているという点でいうと『ジャンゴ』の比すべき作品は『キル・ビル』かもしれない。また『ジャンゴ』を見終わった後の感覚は『デス・プルーフ』が一番近いかもしれない。
このように考えていくと、作品の内容、質などの点において本作は『キル・ビル』以降のタランティーノの到達点を示したと言えるのではないかと思えた。


スパイク・リーは『ジャンゴ』を批判した(というか見るつもりすらないと発言した)。リーの批判が適切なものかはさておいても、ジェイミー・フォックス演じるジャンゴが自ら奴隷から抜け出すのではなく白人であるクリストフ・ヴァルツ演じるシュルツに救い出だされ、さらにシュルツが自由を与えた以上責任を感じるとしてしいるところなどは「白人の責務」を連想させなくもなく、このあたりは危ういといえば危ういところでもある。二人をもっと対等のパートナーにすることもそう難しかったわけではないだろう。しかしあのサイコーにムカつくサミュエル・L・ジャクソン演じるスティーブンを含め、そういった「危うさ」を回避するための「政治的」気遣いをあえて行わなかったことにむしろタランティーノの「誠実」さを見るべきなのかもしれない。
クソ野郎どもをぶっ殺しまくるという点では自らの偏愛するジャンルへの忠実さであり(当然ここにはある種の危うさも内包されることになる)、また例によっての血しぶき飛びまくりの暴力表現を含めて、中途半端な「政治的正しさ」への配慮によって歴史の暗部を抉り出すことを含めて表現がしり込みされてしまうことへの抵抗を見るなら、映画という表現手段への誠実さでもあろう。


『ジャンゴ』を見るまえに付け焼刃で「予習」をしたのだが、『続・荒野の用心棒』(原題Django)はタイトルと主題歌を拝借しているもののその他は直接的な関係はそうたくさんあるわけではない(『続・荒野の用心棒』のジャンゴは愛する人を失ったことで愛に生きることから逃れようとし、二つの勢力を出し抜こうとするが、『ジャンゴ』の方はブレることなく愛に生き続けている等々)。どちらかといえば『マンディンゴ』をふまえての展開の方がが多かった。もっともこのあたりは知っている人にはたまらない引用や目配せも多々あるのだろうが(僕にはほとんどわからないけど)、そこらへんの予備知識がなくとも十分に楽しめるものとなっている。

むしろ『ジャンゴ』のある面をより楽しむうえでふまえておくべきは、『イングロリアス・バスターズ』のランダ役にレオナルド・ディカプリオが起用されるかもしれなかったことかもしれない。結局ランダ役はヴァルツが射止めることになる。ディカプリオといえばアカデミー賞が欲しいと思えば思うほど遠ざかっていくという印象だが(近年はノミネートすらされなくなってしまった)、ヴァルツは他ならぬランダ役でアカデミー助演男優賞を獲得してしまう。そして因縁の(?)ディカプリオ対ヴァルツの文字通りの対決が『ジャンゴ』において実現される。個人的にはアカデミー賞など別に指標になるとも思ってはいないのだが、とはいえいろんな意味で今回はやはりヴァルツの勝利という結果に異論はないであろう。タランティーノはインタビューでディカプリオにも気を使っていたけれど、結果としてものすごくいじわるなことになってしまっているような……。まあタランティーノ作品とヴァルツの相性が良すぎるということなのだろうけど。



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