『死の海を泳いで  スーザン・ソンタグ最後の日々』

デイヴィッド・リーフ著 『死の海を泳いで  スーザン・ソンタグ最後の日々』




骨髄異形成症候群(MDS)を宣告されたスーザン・ソンタグの闘病、死、そして埋葬までを息子のデイヴィッド・リーフが綴ったものである。

本書は何よりもまず、批評家であり作家でもあったソンタグの生の姿を見せてくれている。これは彼女の作品の読者にとっても少々以外なものとなっているかもしれない。
ソンタグは一貫して生に対して強い執着を見せていた。百歳まで生きたいと語っていたそうだが、これは一つにはまだやらなければならない仕事がたくさん残っているということであり、同時に死への強い恐怖心も抱いていた。

ソンタグは四十代で乳癌を、六十代で子宮肉腫と二度の癌を経験している。本書で詳しく書かれているように、とりわけ乳癌は医者も生存の望みが極めて薄いと考えたほど進行したものであった。またMDSに冒されたのは子宮肉腫の治療の副作用が原因である可能性もあるようだ。そしてソンタグは自らの癌体験をふまえ、『隠喩としての病』という傑作を著している。
このような経験をへて七十代を迎えていたソンタグは自らの死を毅然として受け止めた、そう思っていた読者も多いかもしれないが、実際には不治の病を得ると激しく動揺することになる。

ニューエイジにはまっている友人たちが水晶玉などを送ると、この病気を得て生存する可能性の統計を見なさいと声を荒げるかと思えば、また仏教徒の友人が善意であっても無神経な手紙を寄こすと、手紙を叩きつけ涙を流して部屋に閉じこもり数時間出てこないこともあったそうだ。
死を迎えるまでその無神論は揺らぐことはなかったが、また自分が「特別」なのだと思おうともしていた。「現代の偽りの楽観主義を母はアメリカ内陸部と結びつけ、軽蔑していた(母はアメリカ西南部出身だが、それに対して恐怖と軽蔑を感じていた)が、問題が病気のこととなると、無意識にではあっても、母は同じ傾向を見せていたのである」(p.85)。

「隠喩としての病」には「病との闘いを軍事的な比喩で語ることへの非難」という部分もあり、「そのようなイメージは「好戦的な人々につき返してしまおう」という訴えで終わ」るのだが、しかしソンタグはまた「すべてとは言えなくともほとんどの病気に関する治療法が最終的には見つかる」という「信頼」を抱き続けてもいた。その信頼が「子宮肉腫で落ち込んでいた時も、母に力を与え続けた。自分がまた病気になったと最初に気づいた時、母はここでもそのことに慰めと力を見出せたらと望んでいた」(p.60)。

「「癌との戦争に勝つ」とか「もう一歩で治療法が発見される」といった誇らしげな記事がメディアに登場するたびに、母は目を剥いて、愚弄するようなコメントをしたのである。しかし結局のところ、母は誰よりもこうしたことを信じていた――母自身がそれに気づいていたかどうかは、正直に言って定かではないのだが」(p.86)。
こういったソンタグの姿は著作からはあまり窺うことができないものであろう。これによって「裏切られた」と感じるのではなく、むしろその人間臭さによってより身近に感じたという印象を抱く読者も多いだろう。しかしまた、ソンタグほどの知性を持ち、様々な病気を乗り越え老年を迎えた人であっても、死の直前に看護助手に向かって「私、死ぬんだわ」と言って涙を流したことを知ると暗い気持ちにもなってくるかもしれない。

僕自身はソンタグとは違って百歳まで生きなければならないと思うほどやりたことがあるわけではなく、むしろそのようなものを抱えていない自分はなぜ死なないのかという気持ちに苛まれ続けているような人間である。ではなぜ死なないのか、その最大の理由は死への恐怖なのだろう。マルグリット・デュラスは「死を目前にした時期のすさまじい日記の中で、次のように率直に語っている」のだそうだ。「私は無になるという事実と折り合いがつけられない」(p.155)。これはまさに僕の持つ死という圧倒的な何かへの感情であり、そしてリーフは「これは母が書いていておてもおかしくない文であろう」としている。ソンタグであってもこうなのだということに慰めを見出せるようでもあり、絶望にかられるようでもある。


本書はこのようにスーザン・ソンタグという類稀な知性が死といかに向き合ったのかという読み方もできるが、癌をはじめとする重い病気を得た人とその家族の記録としても読むことができる。

回復する見込みのない病を患うことになった人の不安と恐怖と絶望、一縷の希望にすがる気持ち。そして身近な人間にとっては、罪悪感と後悔にかられ続けることになる。
A医師(と匿名にされている)が病気を告げた時の思慮にかけた振る舞い(患者とその家族には映った)への憤り。わずかな可能性にかけて、副作用の強い、まだ確立されていない治療法を試みるべきなのか。ソンタグは絶望的と見られた乳癌からこのように帰還した、ならば今度も……。ソンタグは乳癌の後に「医師のペシミズムを打破した」と書いた。しかしこの時に、生還できるとは医師が考えていなかったことまでは彼女は最後まで知ることはなかったのである。ところが今回はインターネットで病気について調べると、絶望的であることが突きつけられる。病気について「正しいこと」を教えるのは正しいことなのだろうか。もっと穏やかに死を迎えさせるようにしたほうがよかったのかもしれない。しかしそのようなことを言葉の端々に含ませたなら、それによって患者の絶望はより深まったのかもしれない。

エドワード・サイードはソンタグがMDSと診断される数ヶ月前に、慢性骨髄白血病(CML)で亡くなった。サイードは生き続けようと決心した。たとえ治療にどれほどの肉体的苦痛が伴おうとも、まだ書かねばならないことがあったからだ。サイードの最後の二年間、過酷な処置のため彼の腹は「臨月の妊婦のように膨らんだ」という。ソンタグはサイードについてこう言っていた。「彼が人生を数年引き延ばすことによって、やり遂げた仕事を見てごらんなさい」(p.90)。
しかしMDSはCMLとは違い、「寛解」(症状が軽くなったり消えたりすること)の望みは「まったくなかった」のであった。たとえわずかでも快癒の可能性があると信じ、それに賭けるつもりでいる患者を前に、家族はどうすればよかったのだろうか。


さらにまた、本書はあたかも連作短編のように読むこともできる。
ソンタグはシカゴ大学の学生であった17歳の時にフィリップ・リーフから熱烈なプロポーズを受ける。デヴィッド・リーフはこうして誕生することになるが、この結婚は程なく破綻することになる。
乳癌を患ったソンタグは、「闘病生活の最初頃は、心理学者ヴィルヘルム・ライヒの主張を知的には拒否したかもしれないが、感情的には受け入れていた」。ノーマン・メイラーは妻を刺した後に「これで癌を取り除いたんだ」とうそぶいたそうだが、ライヒの主張とは「癌は主に性的抑圧の産物だ」というものである。「自分の病の原因は肉体だけでなく、精神にもあったと感じる。(中略)というのも、私はどこかでライヒの主張を信じているからだ。癌の責任は自分自身にある、と。私は臆病に生きてきた、欲望を抑圧し、怒りを抑圧して」(pp.37-38)と日記に書いている。
ライヒの主張は科学的には論外の暴言ではあるが、このフロイトの弟子でもあった精神分析家の言葉に心を動かされたのには、フロイト学者でもある夫であったフィリップ・リーフとの関係が影響していたのだろう。

離婚後、ソンタグは女性のパートナーと過ごすようになる。最後のパートナーであった有名写真家のアニー・リーボヴィッツはソンタグの遺体の写真を含めて最後の日々を写真に収めることになる。これについてデイヴィッド・リーフは、慈悲深い神や精霊がいて人間が最も恐れることから守ってくれるのなら、母のように死に怯えていた人間をMDSでゆっくり苦しんで死なせるのではなく、心臓発作であっさりとした死なせたはずだと書く。誰もが憧れる死に方であり、そうであれば「自分を憐れむ時間もないし、最後には自分でもわからないくらい変わり果てた姿になることもない。まして、アニー・リーボヴィッツが撮ったような写真によって、有名人の死として派手に「記録」され、死後に辱めを受けることもない」(p.140)と、母の最期のパートナーの行いについて辛辣に書いている。

このような家庭環境はあたかもフィクションのようにすら思え、そればかりかリーフは編集者でありジャーナリストとなり、偉大な母と広くは同業者となる。そして死後には後に自身が編集し出版されることになる残された日記を読み、母の精神的に満たされなかった子ども時代や冷え切った結婚生活を追体験することになる。

リーフはうら寂しいニューヨークの墓地ではなく、文学の名士たちが眠るパリの墓地にソンタグの埋葬を終えると、乳癌の治療で科学療法を受けていた時の母の日記の言葉を思い出している。「明るく振る舞おう、ストイックになろう、冷静になろう」と自分に呼びかけ、こう付け加えている。「悲しみの谷では、翼を広げよう」







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佐藤太郎(仮)

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