『インセプション』!!!

宇多丸さんがシネマハスラーで『インセプション」を取り上げていたのでちょこっと。
ちなみに僕は007一作もまともに見たことない人間なので評論などではなくただの妄想であります。
『インセプション』と『シャッターアイランド』のネタバレがありますのでご注意を。

夢を見ている夢を見ている夢を……といういわゆる「胡蝶の夢」モノ。
このテーマが斬新かというともちろんそんなことはなくて文学でも映画でもいくらでもあります。
ところが『インセプション』の場合先行作品とは微妙に異なる点があるように思われます。

エンターテイメント作品でこのテーマを扱う場合多くは次のような構図をとっています。

現実のようで実は夢であったポイントa→悪夢のようで現実であったポイントA→
現実に侵食する夢ポイントb(以下続く)。

どういうことかというと一見現実感覚が崩壊していくようで実はポイントAが現実であることは
担保されているのです。ポイントAは仮の足場とでもいいましょうか。
このほうがスムーズに物語が進行しやすいためでしょう。

例としてわかりやすいのが『マトリックス』ですね。
ネオが一度目覚めてからはポイントAが現実であるかどうかの葛藤はありません。

では『インセプション』はいかがでしょうか。
いきなりエンディングから始めてしまうと現実か夢かを見分けるコマが
一瞬傾いたところで映像がぷつっと消えます。
つまりこれが現実か夢かみなさんでどちらとも判断してください、ということですね。

では僕がどっちだと判断したかというとこれは夢、エンディングだけでなく
映画全体が夢だ!と思いました。

僕なりの『インセプション』の解釈ではこれは
描かれていない現実であるポイントA/
夢であるポイントa→現実のような夢であるポイントA’→ポイントb(以下続く)。
描かれているのはポイントA’であってポイントAは描かれていないのです。

なぜこう思ったのかというとこの映画にはあまりに突っ込み所が多いためです。
「作りが雑なだけだろう」という見方もあるかと思いますが僕はそうはとりませんでした。

突っ込み所の具体例をいくつかあげるとなんといっても
われらがケン・ワタナベ演じるサイトーでしょう。

彼は航空会社を簡単に買収するくらいの資金力を持ち、
殺人容疑の逮捕状をもみ消すことができるほどアメリカ行政にコネクションを持っています。
つまり巨大エネルギー産業の独占を阻止するなら夢に侵入してどうのという
まどろっこしいことをしないでカネとコネをうまく使えよ!となります。

さらにモロッコでタイミング良過ぎの救出劇(ずっと見てたのか?)や成功を確認するために
作戦に参加する(信頼のおける部下はいないんかいな)など多忙を極める一流経済人とは
思えません。

そして夢侵入作戦では完全に足手まといになってしまい……
と、意味ありげに登場する割にはなんじゃらほいという人物であります。

でも、こういうのって夢によくあると思いませんか。
ぱっと見では意味が通っているようであとで冷静になるとめちゃくちゃだったり、
本筋と思っていたものがいつのまにか後景に退いて
いったい何のために何をやっているのやらという状況にはまりこんだり
(雪山のシーンがそうでしょう)。

つまり「突っ込み所」というのはこれは夢ですよ、と暗示しているのではないでしょうか。
決定的と思われるのは作戦の夢の中で瀕死のサイトーを「キック」しなければ
彼は永遠に意識を取り戻さないはずなのに途中で目が覚めてしまうが
サイトーは普通に起きてしまいます。
このご都合主義こそまさに夢!という感じです。

ではこれは誰がなぜ見ている夢なのでしょうか。
ポイントAはどこに、ということです。
おそらくこれはコブの夢、あるいは見させられている夢であり、
それも「アイデア」を植えつけられる「インセプション」をされている夢なのでは
ないでしょうか。

そのヒントとなるのがコブの妻であります。
彼女は夢にあまりに深く耽溺してしまったため現実に戻れず、
そのためコブは妻に「ここは現実ではない」という「アイデア」を植えつけます。
妻は現実に帰ってからも「アイデア」に蝕まれついには自殺を遂げてしまう、
ということになっています。

しかし妻の行動は何とも奇妙です。
ここが夢だ、と本気で思っているならさっさと自殺をすればいいだけのはずです。
(死ねば夢から覚めるという設定になっています)
また本気で信じていないが「アイデア」が拭い去れない、にしても
なぜ弁護士に「夫に殺される」などと訴えたうえで自殺をするのでしょうか。
そのせいでコブは妻殺しの容疑をかけられアメリカに戻れません。

ここから考えられるのはおそらくコブは現実の世界で妻を殺している、
もしくは夢の中(ポイントA’)と同じように追い詰めたうえで
自殺させてしまった、ということではないでしょうか。

コブはその罪悪感から逃れるために誰か(サイトー?)に依頼して
自分に「アイデア」を植えつけてもらった、これこそがポイントAだったのです。

晴れて子どもたちと再会できるというのは罪悪感を消し去るということの
「アイデア」だったのです。

こう考えるとまてよ、となります。
ディカプリオの前作『シャッターアイランド』は
ある理由で妻を殺し、その重みに耐えられずに狂気の世界で
自己肯定の妄想に逃れる男の話でした。

また二種類考えられるエンディングも両作とも共通しています。
(あれは現実?それとも?と、狂ったままなの?それともあえてロボトミーを?)

うーむ、ディカプリオ恐るべし。
スコセッシとノーランに同じ「アイデア」を植えつけて
自分で二本とも主演してしまうとは……とう妄想でした(ちょこっととか言いながら長っ!)。





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佐藤太郎(仮)

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