情報公開はなぜ必要か

ほとんどギャグのような展開の検審平均年齢問題。

朝日はここ
毎日はここ
訂正の訂正は読売から、ここ

そもそも平均年齢間違えるってある?ということもさることながら
「訂正の訂正」がさらに「疑惑」を広げている感じ。
計算は適当にググるか各自やっていただきたいが
相当「トリッキー」なことが行われているようだ。

とりあえずここからいくらでも「陰謀論」を引き出せるわけだが
(一度目と二度目は同じメンバー、そもそも二度目のメンバーなど存在しない、など)
わざわざ火に油をそそいでいる。

検察審査会の最大の問題点はその秘密主義にある。
審査員の実名を出せ、などというのはもちろん論外であるが
なぜ個別の年齢を出せないのだろうか。
毎日の記事では「37歳」が具体的に出てきたが、こうなった以上
全員の年齢を公開すべきであろう。
まさか27歳や32歳というだけで身元が特定されるなどという言い訳は通じまい。

情報公開というのはなぜ大切なのだろうか。
いくつかあげてみよう。

まず情報が公開されることがわかっていれば不正を働かなくさせるインセンティブが生じる。
ばれるのに悪いことできません、ということだ。
次に不正が行われていないとしても判断や過程を誤ることもある。
その場合の事後検証のため。
そして今回の絡みで言えば「疑惑」を生じなくさせるためである。

情報公開は民主主義にとって必要不可欠な要素である。
なぜならいくら選ぼうにも情報がないことには選びようがないことである。
ここら辺を「検察審査会による強制起訴は「市民」が決定したのだからこれこそ民主主義だ」
などとのたまう人はどう考えているのだろうか。
この一連の動きは、むしろ反民主主義であると言ってもいいくらいだ。

逆に言うと独裁政権にとっては情報公開とは百害あって一利なし、となる。
不正をチェックされたら困るし、事後に検証などとんでもない
(あるとすれば特定個人に全ておっかぶせるだけ)
そして「疑惑」には力を持って押さえ込む。

この平均年齢問題も一面で大々的に報じろとまでは言わないが、
行政手続きの信用にかかわるかなり深刻な問題である。
単なるお笑いネタのイージーミスで片付けるには無理がある。
もう少し大きな扱いがされてしかるべきだろう。

基本的に民主主義国であろうがなかろうが行政や権力は
情報公開に消極的なものである。
チェックを果たさなければならないはずのメディアがお先棒を担いでいる日本の
現状というのはかなり暗澹たる状況であることは間違いない。


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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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