『多崎つくる』を読むにあたっておさえておくべきこと

1990年代中盤以降の村上春樹の創作活動にはあるパターンがあった。長編を完成させるとしばらくインターバルをとり、短編をいくつか書き、そしてまた長編に取り掛かる。時折『スプートニクの恋人』や『アフターダーク』といった長めの中編というか短めの長編が挟み込まれる。「村上春樹の新作が出る」というニュースを最初に聞いたとき、このような中編と長編の間くらいの作品なのではないかと思ったのだが、370ページの堂々の長編であった。つまりこの作品は、村上の長編作品の文脈に置いて読まれるべきものであるということだ。

これまでにも何度か書いてきたことの繰り返しになるが、村上はまず本格的長編第一作である『羊をめぐる冒険』、そして最高傑作と評する人も多い『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という「きっちり」とした構成の、完成度の高い作品を書いた。続いて『ノルウェイの森』、『ダンス・ダンス・ダンス』といういささか奇妙な長編を書く。個人的にはこの両作(とりわけ『ノルウェイの森』)は続く『ねじまき鳥クロニクル』へのステップのために必要なものであったのだと思っている。『ねじまき鳥クロニクル』は長編小説の構成としてはかなり荒っぽく、あやういとすらいって作品でもあるのだが、一方で村上の暴力的といっていいほどの「野心」を感じさせるものともなっている。
これ以降村上の長編は、基本的にはかなりルーズな構成を取ることになる。

90年代以降の村上作品の変化として第一にあげられるのが三人称への移行の模索である。『スプートニク』や『アフターダーク』は長編においてこの語りを獲得するための「実験」の一環であったのだろう。『海辺のカフカ』で部分的に導入され、『1Q84』で全面的に導入されることになる。

そしてさらに大きな変化が、主人公格の人物を若返らせることである。80年代の村上春樹の作品といえばだいたいにおいて二十代後半から三十代の、作者と同年代の語り手が(回想という形を含めて)用意されていた。普通ならば作者が年を重ねるにつれ主人公も年をとっていくものなのだが、村上の場合は逆を選ぶ。
『1Q84』は1984年という時代設定としてはかつての作品を思わせなくもないが、主な舞台はパラレルワールドであり、また三人称で語られ、『風の歌を聴け』や『ノルウェイの森』のような「語り手の回想」という形をとってのメタ視点が導入されていない点で、やはり「若い主人公」であるといえよう。この三人称への移行と「若い主人公」には関連があると考えるべきであろう。

個人的な評価としてはこのような試みが成功したのかといえば否だという印象である。
村上は若い主人公を登場させたとしても、必ずしも「リアル」な描写を目指したわけではない。『海辺のカフカ』の「カフカ」などはむしろリアリティを度外視した十四歳である。決して21世紀のホールデン・コールフィールドを作り出そうとしたわけではない。一方でポストモダン的に、小説の虚構性を意識した(させた)うえで、登場人物を書割的に使おうとしているのかといえばそうでもないだろう。カート・ヴォネガットの作品の登場人物は「薄っぺら」であり、それはあくまで「作者」に「道具」として使われている存在である。ヴォネガットは『チャンピオンたちの朝食』では涙を流して彼らを「解放」するのであるが、村上作品の主要登場人物は「作者」の恣意的な介入を許してしまうほど「薄く」はない。

ここ10年ほどの村上の長編の主人公格の人物造形はこの点で中途半端という印象は否めず、ルーズな構成とも相まって、個人的な好みはともかく、批評的には点を辛くつけざるを得ないのであろう。

90年代後半以降の村上について、「短編(集)はいいが長編はダメ」という評価は少なくない。村上がここ10年ほど試みてきた手法は長編としてまとめあげるには無理をきたしているようにも思える。作家の志向とその手法との間に齟齬が生じてしまっているという印象すらある。ルーズな構成やこのような人物造形は、一本の長編としてまとめるよりもゆるやかなつながりを持つ連作短編のような形のほうがしっくりくるのではないだろうか。
おそらくは、村上自身もそれに気づいていないことはないだろう。近年の短編集では『神の子どもたちはみな踊る』や『東京奇譚集』ではこの形が用いられている。しかし村上はあくまで長編をこの手法を用いて書きたいというこだわりもまた持ち続けている。


そして『海辺のカフカ』、『1Q84』にはもう一つ顕著な傾向がある。それは過去作品の「語り直し」、あるいは過去作をズラしていくことだ。
『海辺のカフカ』は出版時には『世界の終わりと』の続編ではないかという期待があった(村上自身がそれをほのめかしてもいた)。確かに両者にはいくつかの共通項が見られるのだが、「続編」というよりは「語り直し」と考えるべきだろう。『1Q84』は「牛河」を登場させ、そして1,2を同時発売し、間をおいて3を突如出版するというあたりは『ねじまき鳥』との関連をあえて強調しているかのようだ。


というあたりで『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の感想はこちら




プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
02 | 2017/03 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR