『ならずものがやってくる』

ジェニファー・イーガン著 『ならずものがやってくる』





13の章からなるこの作品は、章ごとに視点人物が代わり、そればかりか時間が行きつ戻りつし、人称や文体なども変化する。一本の長編小説とすることもできるし、連作短編と考えることもできる。

様々な視点人物同士の関係は、直接的につながりのある人物同士もいれば、突如脈絡なく登場したようで後にその緩やかな関係が明かされる人物もいる。その中であえて主人公を一人に絞るなら、第一章の視点人物であるサーシャだろう。

中年を向かえつつある(つまりもう十分には若くはない)彼女は窃盗症の治療を受けている。しかしこれは「ミドルエイジクライシス」の先取りによるものではなく、後の章で明かされるように彼女はこの「病気」を十代のころから抱えている。


訳者あとがきでも触れられているように、この作品は「A」と「B」という二つのパートに分けられているが、これはレコードの「A面」「B面」を連想させる。そしてサーシャは音楽誌で仕事をしている。サーシャ以外にも音楽業界、さらにもう少し広く「業界」の仕事をしている人物が多く登場する。

「音楽業界」そのものがこの作品の一種のメタファーになっているともとれる。
パンクもグランジも、当事者の期待とは裏腹に業界全体のあり方を根本から覆すほどの、革命的な影響を与えることはできなかった。音楽業界が好むと好まざるとに関わらず、そのあり方を根本的に見直さざるを得なくなるきっかけは「外部」からやってきた。テクノロジーによって、レコード(CD)を売って金を稼ぐというシンプルな構図が否応なく岐路に立たされて。うまくやり抜ける人々もいるだろう、無残に敗れ果てる人々もいるだろう、また全く新しい感性によって道を切り開く人々もいることだろう。それらをもたらすきっかけは、業界の内部からではなく、外から「奔流」としてやってくる。

最終章で「ならずもの(goon)」の正体が明らかとなる。「そのならずものたちを、のさばらせておくつもりか?」/「スコッティは首を振った。「ならずものが勝ったんだ」」。

「ならずもの」は奔流のようなものだ。押し寄せるその奔流に抗えるものなどない。川原の石のように、ゴツゴツとしていたはずのものが丸みを帯びるか、または粉々に砂となってしまうかもしれない。
あるいはどこへともなく流され、その行方は杳としてわからなくなってしまうことになるのかもしれない。


個人的に一番好きだったのは10章の「体を離れて」だ。二人称という手法はしばし作者の自己満足に終わりがちになってしまうが、ここでは手法と主題が見事に結び合っている。

12章の「偉大なロックン・ロールにおける間(ポーズ)」はパワーポイントのみ(!)によって描きだされる。
視点人物や人称の変化などを含めると、全体が前衛的な作品と思われるかもしれないが、むしろその主題はありふれたものですらある。思春期の焦燥、デスパレートな自己破壊願望、あるいはそれと背中合わせの希望。中年(に向かいつつある)世代の喪失感、諦念、あるいはそれを経たがゆえに見出せる未来。

10章では若さがもたらす絶望的な懊悩が語られる。そして読者は、12章においてその後の物語を、未来を覗き込む形で知ることになる。
パワーポイントの一枚は、ある人物の言葉をその子どもが記したものだ。「間があると、曲が終わるのだと思う。でも曲はほんとうには終わってなくて、ほっとする。でもそのあとで、曲はいよいよほんとうに終わってしまう。なぜなら、当たり前だけど、すべての曲は終わるからよ。そして、そのとき、その終わりは、この上なく、本物、なの」


ジェニファー・イーガンのホームページはこちら。面白いものが見つかるかも。
プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
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