『イスラームから見た「世界史」』

タミム・アンサーリー著 『イスラームから見た「世界史」』





「はじめに」で、アフガニスタン出身でアメリカで教科書の編集者となっていた著者が西暦2000年秋に体験したある出来事に触れている。出版社が定めた唯一の条件は授業スケジュールに合わせるため全体を10部に、各部を3章に分けるというものだった。著者は目次を作る作業中に顧問とほとんどのことで意見の一致を見た、ただ一つを除いて。イスラームについてもっとページを割きたいという著者に対し助言者たちは記述を減らし、コラム欄で補足説明をすればいいと主張した。結局イスラームが中心的なテーマとなったのは全体のうちわずか一つの章のみ。それでも従来のものと比べると割合は増していたそうだ。「要するに、二〇〇一年九月一一日まで一年に満たない時点において、これら歴史教育の専門家たちの一致した見解は、イスラームは相対的に重要でない現象であり、その影響力はルネサンスのずっと以前に廃れていた、というものだった。もし、私たちの教科書の目次を額面どおりに受け取ったら、イスラームが今でも存在するとはとても思えないだろう」。

このような非対称はアメリカ、あるいはキリスト教圏に限られたことではないだろう。日本においても「世界史」として扱われる領域のうち圧倒的多数はキリスト教圏、ヨーロッパ側からの視点であり、またそのことを疑問に感じないほどそれが内面化されてしまっている。
「イスラームの観点から世界の歴史を見たらどうだろう?」という視点から書かれたイスラームの通史である本書はそれを相対化してくれるものを提供してくれるだろう。

イスラーム関連の本をいくつか読めばムハンマドの生涯についてはある程度イメージすることができる。ではその後の正統カリフ時代についてはどうであろうか。多くの場合が人名と簡単な記述で片付けられてしまっているのではないだろうか。

ムハンマドの死後初代カリフとなったのは30歳を超えたばかりの、ムハンマドの娘婿でありカリスマ性もあるアリーではなく、60歳にならんとしていたムハンマドの親友でもあったアブー・バクルであった。この時必要とされたのは「若々しい熱情」ではなく「堅実な判断力」であった。アブー・バクルはその期待に応え、ムハンマド亡き後のイスラームをまとめあげた。
そのアブー・バクルが後継として指名したのはウマルであった。「ウマルは穏和で控え目なアブー・バクルとは対極に位置する人物」であり、長老たちは尻込みをしたが、このウマルもまた傑出した人物であることが明らかとなる。
ウマルがペルシア人奴隷に刺され命を落とすと、後継候補となったのはアリーとウスマーンであった。そして第三代カリフとなったのは、富豪のウマイヤ家出身のウスマーンであった。

ウマイヤ家は反ムスリムの急先鋒であったがウスマーンはいち早く改宗し、経済面からムハンマドを支えた。ウスマーン自身は禁欲的で信仰に篤かったが、これを他の政府高官に強制することはなかった。またすでに改宗していたウマイヤ家の人々を始め、知己の人間を各地の高官に起用し、これらの圧政が人々の不満を買っていた。ウスマーンの従兄弟のある工作が露見し、カリフであるウスマーンが暴徒に撲殺さるという事態にまで発展してしまう。
この非常事態に第四代カリフとなったのがアリーであったが、当人もこの事態をうまく収めることはできないであろうとは覚悟していたが、その通りに混乱は続き、ついには暗殺され、ここに「イスラームの歴史における第一の時代」の幕が降りることになる。

そして登場するのがウマイヤ朝であるが、「ウマイヤ朝」という名前をいきなり教科書でポンと出されるのと本書においてその経緯がきちんと説明されてから取り上げられると理解度が全然違ってくる。
またこの経緯は教科書の空白を埋めるのみならず、スンナ派とシーア派がいかに誕生したか、また「アラブ」と「ペルシャ」との関係などその後のイスラームの展開を理解するためにも不可欠な知識であろう。


十字軍がイスラームの側から見るとどう映っていたかといったことに代表されるように、ヨーロッパ、キリスト教側からの視点を相対化させてくれるものともなっているが、単純に教養の問題に留まらず、何よりもイスラームの歴史を知ることは現在の世界を理解することでもあろう。

現在のアフガニスタンの政情を理解するためには南下を目指すロシアとそれを防ぎたいイギリスの間で繰り広げられた「グレート・ゲーム」について知らねばならないし、イギリスがインドをいかに支配したかについてはムガル帝国の歴史も押さえていなくてはならないだろう。

EU加盟を目指すトルコだが、近年その世俗国家としてのアイデンティティは揺らいできている。トルコの「近代化」がいかに成し遂げられたのかを考えるにはオスマン帝国の長い崩壊の過程についての知識が必要であるし、近代化と前後して起こったアルメニア人への虐殺は現在に至るまでトルコ、アルメニア双方にとって棘となり続けている。

アルメニア人虐殺のメカニズムはヨーロッパにおけるユダヤ人へのポグロムと似たものであることが触れられているが、現在イスラームについて考えるうえで最上位に来るであろうことが中東情勢であろう。
ユダヤ人の入植からイスラエル建国、そして現在にいたるまでの暴力の応酬を考えるうえでイスラームの歴史を抜きに語ることはできないことは言うまでもない。この間のイギリスに代表されるヨーロッパ諸国の振る舞いや、「アラビアのロレンス」の「活動」を評価するためにも歴史的知識を欠くことはできない。


本書は中東を中心にヨーロッパの一部と北アフリカ、そしてインドが主な舞台であり、その点では網羅的なイスラーム史であるとは言えないだろう(例えばインドネシアは最もイスラームの人口が多い国家であるが、本書には登場しない)。またイスラームの歴史に通じていない人間にとってはどこまでが広く共有されている見解でどこからが著者独自のものなのかということが判断しづらい。2011年5月の日付のある「後記――日本の読者へ」では「アラブの春」について触れられているが、そこでの「過ぎし日の革命であるイスラム同胞団とその同類も、やはり時代遅れの感が否めず魅力がない」といったあたりは、エジプトのその後の政治情勢を考えるとこれはあくまで著者の見解(あるいは願望)と考えた方がいいのかもしれない。もっともエジプト新政権も支持は決して高くないことを思えば、やはり著者の分析は的を射ているのかもしれないが。

やはりこのような通史としてのイスラーム理解は必要不可欠なものであるし、それを求める人も多いであろう。これを機会に類書がさらに出版されることも期待したい。
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佐藤太郎(仮)

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