レイ・マンザレク逝く

ドアーズのレイ・マンザレクが亡くなった。

村上春樹は「ジム・モリソンのための「ソウルキッチン」」(『村上朝日堂はいほー!』に収録)というエッセイでこう書いている。「僕が最初に聴いたジム・モリソンとザ・ドアーズのレコードはもちろん『ライト・マイ・ファイア(Light My Fire)』だった。一九六七年のことだ。一九六七年には僕は一八で、高校を出て大学にも予備校にも行かずに、一日机の前に座ってラジオでロックンロールを聴いていた」。




このエッセイはジム・モリソンのカリスマ性についてであり、「ライト・マイ・ファイア」のほとんどの部分の作曲はギタリストのロビー・クリーガーによってなされているが、「それにもかかわらずジム・モリソンの生理は完全に圧倒的にカリスマ的に、このポップ・ソングを支配している。その証拠にジム・モリソン以外のシンガーの歌うこの「ライト・マイ・ファイア」のバージョンを聴いてみるがいい」とある。
「ジョン・レノンもミック・ジャガーも、ボブ・ディランも、ジム・モリソンが残した空白を引き受けることはできなかった」。

ジム・モリソンの圧倒的カリスマ性を誰よりも知っているのは、他ならぬドアーズのメンバーたちであろう。ジムの死の後もバンドを継続させようとしたがうまくはいかなかった。残されたメンバーに音楽的才能がなかったのではない。しかしあの圧倒的な存在(の不在)を前にしては、それは十分ではなかった(それにしてもジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダーの成功はなんたる奇蹟か)。

しかしもし、僕が一九六七年に一八歳で、ラジオで初めて「ライト・マイ・ファイア」を耳にしたなら、その時何よりも心引かれたのはレイ・マンザレクのオルガンであったことだろう。
「ドアーズっぽい」と言われたバンドはテレヴィジョンをはじめ山のようにある。しかしレイ・マンザレクのあのキーボードに迫ることのできたバンドは一つとしてないのではないないだろうか。1974年の「ローリング・ストーン」誌に(こちら)こうある。"See that guy," Jim Morrison once remarked, pointing to Ray Manzarek: "He is the Doors." ジム・モリソンのいないドアーズはあり得ないが、レイ・マンザレクのいないドアーズもまたあり得ない。ジム、レイ、ロビー、そしてドラムのジョン・デンズモアがそろってこそ、初めてドアーズは誕生し得たのである。


今ドアーズの『アブソルートリー・ライヴ』を聴きながら書いているのだが、レイ・マンザレクがヴォーカルを務めた「クロース・トゥ・ユー」も収録されている。




君のそばにいたいんだ、ベイビー
君を、ベイビー、僕らは君を愛しているんだ
僕らの気分を良くしてくれる
僕の気分を良くしてくれる

ロビーの気分を良くしてくれる
君はジョンの気分を良くしてくれる
君はジムの気分を良くしてくれる
僕らはこんなにも君を愛してるんだ
もう何て言ったら、何をしたらいいのかもわかんないんけど


このライヴアルバムの最後を飾るは「ソウル・キッチン」である。ちなみに「ジム・モリソンのためのソウル・キッチン」には村上春樹による歌詞の一部の訳が載っているが、ここでは訳されていない部分の方がふさわしいかもしれない。

警官がもう終わりの時間だと言っている
もう行かなくちゃならないんだ
ほんとうはここに一晩中いたいんだけど
オールナイト、オールライト









追悼記事には大抵レイの回想録、Light My Fire: My Life with the Doorsへの言及があるのだけれど読んどらん……。ってか邦訳って出てないのかな? ジョン・デンズモアの回想録の方は出ているのに何故に? 



ところで久しぶりに『はいほー!』に目を通したのだけど、「僕は三十四歳で、まだ夜に火をつけることができない」なんてある。この連載時の村上春樹は今の僕と同い年だったのね。初めて読んだ時は僕はまだ十代、三十四歳なんて遠い遠いはるか彼方のことだと思ってたのに……。




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佐藤太郎(仮)

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