丸山眞男インタビュー

『すばる』2月号の丸山眞男のインタビューはなかなか面白かったので気になったところをいくつか。

インタビューが行われたのは1989年7月7日。このインタビューは『読本 憲法の100年 第三巻』、『丸山眞男集 十五巻』に収録されたものだが、紙数の関係でカットした部分も含めて、今回できるだけテープに忠実に改めて書き起こされたものである。

この頃丸山はほとんどマスコミに登場していなかった。 体調が優れないこともあって丸山はもともとは乗り気ではなかったそうだが、いざインタビューを始めると、当初は一時間の予定が60分テープを二本使い切ったところでテープ切れで中断するまで続くことになる。 インタビューをした増子信一は若い編集者と院生を前に授業をしているような感じだったのでは、と振り返っている。有名なおしゃべり好きである丸山のこと、一度火がつくともう止まらないということだったのかもしれない。 テープが切れたあともまだ話し続けていたそうである。


1946年の三島庶民大学のことをこう振り返っている。
「ぼくが何回かやったのは、「十九世紀ヨーロッパ政治思想史」です。フランス革命から始まって、ロマン主義その他、それを一般民衆ですよ、その彼らに教えるわけです」
「なぜ十九世紀から、なぜ二十世紀をしないで十九世紀の政治思想史をするかということから始まるんですけどね。実は、自由主義も社会主義も無政府主義もあるいは国家主義さえ、全部十九世紀に始まった。それがまったく未解決なまま今日まで来ちゃったという。二十世紀じゃなくて、十九世紀話をしないと今日の問題はわかんないというとこから話すんです」(p.121)。


例によってのエリート臭なんかもあるわけだけれども(「一般民衆ですよ」)、19世紀を押さえておかなければダメだというのは、世界が19世紀化している現在ではよりいっそう同意する人も多いのではないだろうか。裏を返すと丸山やその教え子たちもやはり「未解決なまま今日まで来ちゃった」ということにもなろうが。


昭和天皇死去から約半年という時節柄やはりこの話題ということでは。
「まあ来年まで続くけども、つまり、どうしたってそういうのをどうするのかという議論になって、そのときに主権在民ということを、主権在民の原則に従ってやるかどうかということが、どう転ぶにしろ、いわざるを得ない。そうすると、原点が問われるわけです。主権在民ということをいってはじめて、〔象徴天皇制が〕昔からあるといったことが絶対にいえなくなるんです。主権在民ってのが劃期的なんです。〔君臨すれども統治せず〕だけをいうと、幕府の時代もそうなんだな、実際。でも、それはまやかしなんです、ぼくにいわせれば。憲法論としてまやかしなんです、それは。主権在民というのが劃期的なんです」(p.138)。

「天皇主権」こそが国体であり、ポツダム宣言の「日本国の最終の統治形態は、日本人民が自由に表明した意思に従って決する」というのは「主権在民の原則そのもの」であり、「だから、国体が変革されることは明確なんです」。ところがそのような「神武以来の大変革」であったことを忘れられている、「象徴天皇は昔からあったんで、いまのがむしろ伝統なんだと。とんでもない。人民主権が徹底的に新しい」。

都議選で自民党が大敗したことを受け、リクルート事件や消費税が直接の理由かもしれないが、それだけではなく、「国家行事と皇室行事とどこまで峻別していくのか、いちいち人民主権が問われ」、「あのときに喚起された人民主権意識が、底流にあったと思うんだな、ぼくは、そういう意味で」としている。「人民が政治の行き方を決めるんだということは、ほとんど忘れていたわけです。ほとんど忘れてた、つまり制度化されていたたわけですよ、議会政治にしろ民主主義ってものは。制度としてだけ。だから自民党は、いまだって、自由な制度を守るみたいなことをいってるでしょ、そういう意味では。自由な制度を守るのは自民党だけだっていってるでしょ。で、その底にある人民主権の大原則ってのは、政府はなるべくいわないようにする」(p.139)。

そして消費税問題に触れ、「幸か不幸か、あのくらいタックス・ペイヤーの意識を国民大衆に意識させた税はないんですよ」。「史上初めてタックス・ペイヤー意識を――史上初めてってのはオーバーだ――戦後史上初めてタックス・ペイヤーの意識をもった、わけです。タックス・ペイヤーの意識ってのは議会政治の原点だから。「代表なくして課税なし」でしょ」。
「ふつうの主婦」が「自民党はちょっと長く続きすぎたから腐敗した」とテレビのインタビューに応えていたことにふれ、「これは議会政治のふつうのルールなんだけど、今度初めて、みんなが、非インテリの人が広範に自覚した。非常に面白い」(p.141)と語っている。


今このあたりを読むとかなり考えさせられる。丸山は「主権在民意識」と「タックス・ペイヤー意識」のの高まりを肯定的に捉えているように読めるが、このインタビューの後(90年代以降)の政治状況は丸山が期待したものとはまるで逆に出たと言っていいのではないだろうか。
90年代の反自民の合言葉であった「無駄な公共工事の削減」はまさに「主権在民意識」と「タックス・ペイヤー意識」のの高まりの一形態であったともいえよう。利権政治の打破という側面を持つと同時に、都市部から地方へ、ひいては富裕層から低所得層への再分配の否定という面も含まれていた。(広義の意味での)左翼的反権力意識と「ネオリベ」的感覚との奇妙な呉越同舟であったのだが、当時は、いや今現在でもこの「ねじれ」を意識しない/できない人はかなりいることだろう。その結果は「税金払ってる自分には文句を言う権利がある」が転じて「とにかく税金で喰ってる奴はけしからん」という論理に着地してしまい、「特権(階級)」(とその手の人たちが思っているもの)を打破するためにより強い権力を召喚しようという倒錯した形となってしまった。
日本の「リベラル」(とされた人々)の一部に見られる非生産的な公務員叩きや再分配忌避意識の発端はこのあたりから種が播かれていたのであろうが、丸山はこのインタビューではそのあたりへの警戒感を抱いてはいない。


「話は飛ぶけど」としてこのようなことを言っている。
「〔日本政府が天安門事件について〕中国に対してあまりはっきりとしたことをいわないというのは、いかにも中国に配慮しているようだけど、そうじゃないんです。人民が動くこと、それ自身が好ましくないの、本音は。またジレンマなんだな、中国については。さりとて〔日本政府にしてみれば中国〕
共産党がいいってわけにはいかないしね。しかし、人民が動くことは好ましくない。これはもう一九六〇年の安保のときに非常に明らかです。だから、今度の天安門〔事件〕と〔六〇年の安保闘争とは〕実によく似てる。素手ですからね。何十万という学生が毎日、素手でデモしたわけでしょ。素手、つまり〔デモの学生が〕ヘルとか棒っきれ持ってるってのは、その後のことなんだ。六〇年とかは、素手の学生に対して機動隊が突っ込んできたんです。もちろん機動隊と〔中国の軍隊が〕戦車でやるのとは、それは程度が違うといえば違うけどね。その〔六〇年安保の〕ときに六社声明〔七社共同宣言〕というのが出て、大新聞社が暴力だと非難したわけです、学生の運動を。〔六〇年安保のときにそんな声明を出したにもかかわらず、今度の天安門事件における中国政府の対応に対して〕どの面下げてね、「中国の無抵抗の学生、素手の学生に対して戦車で弾圧し」なんて、どの面下げて、マスコミはいえるのかと、ぼくは思いますね。あのときの六社宣言って、非常に大きいんです。人民の、つまり無武装のデモそのものを暴力といったんです、その意味では。それが、実際は本音なんだ〔大新聞社は〕いかに運動という側面を無視しているのか、民衆の」(pp.139-140)。


60年安保をどう評価するかは置いておいても、「人民が動くこと、それ自身が好ましくない」という発想が政府自民党のみならずメディアの側にもあるというのはまあそうかなとも思う。もっとも丸山自身にもいい意味でも悪い意味でもそういう傾向もあるのではないだろうか。
「いい意味でも悪い意味でも」というのは、丸山の中にはやはりエリート中心の視点というものが常にあったということでもあり、一方でまた全共闘に代表される一種のポピュリズム、あるいは「大衆独裁」とでも言える反知性主義的な動きに対しては嫌悪をむき出しにしていたということでもある。自分が攻撃対象にされてしまったということもあるのだが、やはり戦前、戦中の雰囲気を知る丸山はああいった「空気」への警戒感というものを持ち続けていた。ただそのことをふまえて、ポピュリズムが前景化した現在の日本を見たうえでこのインタビューを読むと、あまりに楽観的であるという印象も持ってしまう。


「政治教育で重大な任務を負っているのはマスコミなんだね。だからマスコミの責任は非常に大きいと思う、そういう意味では。マスコミが〔その責任を果た〕していない。最近だってそうです。受け皿論ってのがあるでしょ。〔野党には〕政権担当能力がないから仕方がない、という。これがねえ、知らないうちにいかに国民に大きなそれ〔刷り込み〕を与えているかという。逆であってね。権力をもてば担当能力が出てくるというふうにかんがえなきゃいけない」。
そして政策を立案しているのがほとんど官僚であることにふれ、「社会党を中心とした連立政権ができたとするでしょ。そうすると心配することは、いまの財界がいってるように、何かでっかい変動が起こることじゃなくて、なんにもできないことね(笑)。そうすると、非常に失望するわけ(笑)、社会党に投票、真面目に投票したのに何もできない、と。実際にそうなんです。官僚が実際に握っているわけです、日本の政策決定能力を。だから社会党を上に乗っけて、それでも政権交代したほうがいい。腐敗を防ぐという意味でも、何もできなくても権力交代した方がいい。そういう、つまり政権交代をすれば政権担当能力ってのが自ずと出てくるという議論を新聞がしなきゃいけない。これを、政権担当能力がないから〔野党に任せることはできない〕ってのは、じゃ、いつになったらできるのか。いつまで経ってもできないですよ、逆に。万年野党、いつまで経ってもできません」(pp.144-145)。


このあたりというのも一般論としてはそうではあるのだが、(とっくに辞めてるとはいえ)他ならぬ東大法学部教授でもあった丸山の立場を思えば、やはり楽観的すぎるというか軽く見すぎていたという印象は否めない。
日本の不幸としてはちょうど冷戦の終結と経済の停滞と政治の混乱が同時期にやってきてしまったことだろう(政治が混乱しているから経済が停滞しているのか、経済の停滞が政治の混乱に拍車をかけているのかというのは卵が先かニワトリが先かという議論になってしまうが)。 この三つの要因が先にあげたような奇怪ともいえる日本独特の「リベラル」を生み出してしまったのではないだろうか。バブルの絶頂期において丸山にそれを予見しろというのが無理な話ではあるのだろうが、このころに腰をすえて政権交代可能な政党を生み出せなかったというのは日本の政治の不毛化の大きな要因であろう。


とはいえ丸山は「最近は毎日これを読んでいるんですよ」と『リヴァイアサン』の原書を見せたそうだ。もちろんすでに何度も読んでいたのだろうが、この頃にまた『リヴァイアサン』を読み返していたのは何か予感でもあったのだろうか。
このインタビューを読んだ後に『現代政治の思想と行動』を読み返してみたのだが、その中の「支配と服従」(1950年)はこう締めくくられている。

「ホッブスは先にあげた先天的支配者と先天的被支配者を区別するアリストテレスの言葉を反駁して、「このことは理性に反するのみならず、経験にも反する。なぜならば自分で統治するよりも他人に統治されたいと思うほどのおろかな者はきわめてすくない……からである」(Leviathan chap. 15)といった。ホッブスのこの断言がどこまで妥当するか、またそれを妥当させるにはどうしたらいいのか――そこに現代最大の課題の一つが横たわっている」。

丸山の「主権在民」意識への過剰とも思える期待を抱いていたのはまさにここにあろうが、「現代最大の課題の一つ」は2013年になっても解決されてはいないどころか、むしろリヴァイアサンを解き放とうしてしまったここ十数年であったのではないかという気分になってきてしまった。丸山が生きてこの光景を見たらなんと語ったのだろうか。


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佐藤太郎(仮)

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