『現代政治の思想と行動』

丸山眞男著 『現代政治の思想と行動』

このインタビューを読んで読み返してみた。本書に収録された論文や講演は現在の観点から見ると批判されるべきところが少なからずあることも確かだが、一方で現在でもまだ通じるどころか、現在読むとまた一層考えさせられるような部分も多い。


「日本ファシズムの思想と行動」(1947年)にはこんな箇所がある。
「日本のファシズムのこの点に関するちがいは具体的には日本の「産報運動」と、ナチスの“Kraft durch Freude”の違いとしてはっきり現れています。もちろんナチスが労働者の自主性や自発性ということをその根本の考え方にもっていたわけではなく、労働者に休暇を与え一年に一度は自動車旅行をさせて喜ばせるといったことも、結局はこれらの楽しみを与えることにより現実における抑圧機構から目をそらせるという点に意味をもっているのではありますが、それはとにかくとして労働者階級に対する配慮の行きとどきかた、福利厚生施設において両ファシズムにいかなる違いがあったかということは一寸比較にならぬ位であります。むろんこれらは彼我の資本蓄積の度合ということとも関係していはいますが、大事なことは、給与をよくしたいけれども、残念ながら物がないという意識が、労働者に対してはそれほど痛切ではなく、とくに徴用工の場合などはそうした劣悪な待遇がどこか当然視されているところがある」。

丸山はこの原因として「農本イデオロギー」に加え、「ヨリ根本には両国におけるプロレタリアートの力の差異が横たわっているという事です」としている。「ファシズム体制に先行した民主主義の強さがファシズムの内部における民主的粉飾の程度をも決定するのであって、ナチスの場合には、なんといっても十一月革命の経験があり、すでにワイマール民主主義の洗礼を経ているということが、日本の場合との決定的な相違をもたらしたわけであります」。

丸山のこのようなナチスドイツと日本との比較の仕方には批判が強いであろうし、何よりもこの講演には丸山の最も評判の悪い例の「本来のインテリ」と「擬似インテリ、亜インテリ」の区分が登場していることからも評価は慎重にせねばならないだろう。
しかし補註としてJ・グルーの『滞日十年』から、「例のドイツのスローガンは日本ではKraft durch Unfreud(苦しみを通じての力)と変えねばならぬ」という部分が引用されているように、当時の日本の労働環境が欧米からすると非常に悪く映ったことは間違いないのだろう( 「Kraft durch Freude」は「喜びを通じて力」というスローガンである)。
それにしても「給与をよくしたいけれども、残念ながら物がないという意識が、労働者に対してはそれほど痛切ではなく、とくに徴用工の場合などはそうした劣悪な待遇がどこか当然視されているところがある」なんてところを読むと、末端労働者を切り捨てそれを屁とも思わないというのは日本の伝統芸のようにすら思えてきてしまう。


「軍国支配者の精神形態」(1949年)でも丸山はやはりグルーの言葉を引用している。
「私は百人中たった一人の日本人ですら、日本が事実上ケロッグ条約や九カ国条約や連盟規約を破ったことを本当に信じているかどうか疑わしく思う。比較的少数の思考する人々だけが率直に事実を認めることが出来、一人の日本人は私にこういった――『そうです、日本はこれらの条約をことごとく破りました。日本は公然たる戦争をやりました。満州の自衛とか民族自決とかいう議論はでたらめです。しかし日本は満州を必要とし、話は要するにそれにつきるのです』。しかしこのような人は少数に属する。日本人の大多数は、本当に彼ら自身をだますことこについて驚くべき能力を持っている。……日本人は必ずしも不真面目なのではない。このような義務(国際的な)が、日本人が自分の利益にそむくと認めることになると、彼は自分の都合のいいようにそれを解釈し、彼の見解と心理状態からすれば彼は正直にこんな解釈をするだけのことである」。

これも今現在でも通じるところがあるのではないだろうか。


「日本におけるナショナリズム」(1951年)では、1949年のサンフランシスコ・シールズが来日した際に、その試合を見たオーティス・ケリーが当初は日本に勝たせたいと思っていたが、観客と選手の態度を見てむしろシールスが勝ったことを喜」び、「古橋遠征」の「日本中の沸きかえり方」に危惧の念を憶えたことを取り上げている。
丸山は「つまり過去の日本のナショナリズムの精神構造は消滅したり、質的に変化したというより、量的に分子化され、底辺にちりばめられて政治的表面から姿を没したという方がヨリ正確であろう」としている。
国際的なスポーツイベントで「列島興奮」(テレビの好きなクリーシェ)な盛り上がりについてどう考えるかについては人それぞれであろうが、サッカーのワールドカップ等の盛り上がりは一部の人間が危惧するようにここ十数年の「右傾化」の結果として噴出したものではまったくなく、オリンピックを見てもわかるように基本的には終戦直後から一貫してこのようなスポーツイベントにナショナリスティックに反応しきていたと考えるべきだろう。

日の丸や君が代の復活、あるいは靖国参拝のような旧シンボルの復活について、「ある人々はこうした個々の現象のうちにすぐさまウルトラ・ナショナリズム或いはファシズムの再興の兆を読みとる神経質を笑っている。たしかにシールス野球や日米水上競技の観衆の熱狂を一直線に軍国主義精神の台頭に結びつけたら、それは滑稽というほかない。そこでは前述のとおり問題は明白に非政治的、私的領域でのことだからである。ケリー氏もそれほど直線的な意味で「危惧」したわけではなかろう。しかし政治の力学はまさにそうした一見政治とはかかわりのない日常の行動様式が蓄積されてある瞬間に突如巨大な政治的エネルギーに転換することをしばし教えている」。

確認していくとこれは1951年に書かれているのだが、50年後60年後に書かれていてもおかしくない文章ではある。


丸山は先のインタビューで「十九世紀話をしないと今日の問題はわかんない」と語っていたが、ファシズムの分析に関してもまさにそうであろう。近年の日本における排外主義や人種差別主義の高まりは新しい現象が生じているのではなく、むしろかつての光景が相も変わらず繰り返されているように思える。

「ファシズムの諸問題」(1952年)では、アメリカの人種差別主義者が「ヒットラー万歳、クロンボの生まれそこないめ」、「おれたちはアメリカの赤のできそこないどもを皆殺しにするのだ」と叫びながら平和運動の活動家でもあったポール・ロブスンのコンサートを襲撃したことに触れ、「ここでなにより組織化の対象として狙われた社会層、その生活環境や意識形態はまさに親衛隊や突撃隊のメンバーのそれに瓜二つである」としている。彼等に共通して流れているのは、社会的階梯を上昇していくルートの閉塞または減退から生まれる失意と焦燥感であり、生活の積極的目標の喪失から来る不安と絶望であり、また社会的連帯の欠如のはぐくむ孤立感である。そこから容易に生まれる、「何かしらわけのわからないもの」に対する憎悪と恐怖を跳躍台としてファシズムは成長する。

これらの図式はフランクフルト学派をはじめ1930年代から散々指摘されていることであろう。ここで注意しなければならないのは、このような社会の「底辺」層がファシズムの担い手であるかのようなイメージを強調すると、エスタブリッシュメントがそれらをいかに利用したかという部分を過少評価、ないし免罪することにもつながりかねないところであろう。丸山はそのことを警戒すると同時に、「亜インテリ」論に見られるように自らもそこに陥りがちでもある。

とはいえ「ナショナリズム・軍国主義・ファシズム」(1954年)でまとめられている、「ファシズムのヴァラィエティに富んだ観念的扮装の底に共通にひそむ一定の精神傾向と発想様式」の例は、不幸なことに現代社会の分析としでも依然として通用するものであろう。

「(a)自国あるいは自民族至上主義的傾向(しばしば逆に自国の被害妄想として、また軽蔑する「敵国」にうまく獲物をさらわれたという挫折感としてあらわれる)、(b)「自然的」優越者の支配という観念(そこから人種的差別論や人間関係の階層的編制への嗜好が生まれる)、(c)大衆の潜在的な創造力や理性的思考力にたいする深い不信と蔑視(それは大衆をもっぱら操縦manipulationの対象としてとらえ、したがって宣伝扇動はひとえに低劣な欲望の刺激や感情的なアピールをねらう)、(d)婦人の社会的活動能力への疑惑(したがって婦人を家庭と育児の仕事へ封じ込める傾向)、(e)知性と論理よりも本能・意思・直感・肉体的エネルギーの重視、(f)一般に進歩の観念にたいするシニカルな否定、(g)戦争の賛美と恒久平和にたいする嘲笑(この(e)、(f)、(g)に関連して、社会科学を無用ないし危険視し、自然科学、しかしもっぱら軍事的な科学技術を「尊重」する傾向)、などである」。





グルーの『滞日十年』って文庫化されたんだよね。読んでないのだが。



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