『自由について』

『自由について  七つの問答』


鶴見俊輔,北沢恒彦,塩沢由典を聞き手にした1984年10月及び1985年6月に行われた丸山眞男との質疑応答。本書成立過程については巻末の「丸山さんを囲む会と文体研究所」に詳しくある。.
ちなみに「このあいだ死んだカール・シュミットなんか特にそうですけど」(p.124)なんて箇所があるが(シュミットが死んだのは85年4月)、ナチの「桂冠法学者」であったシュミットがこのころまで生きていたとういのも不思議な気分にもなる。


丸山眞男インタビュー」や『現代政治の思想と行動』を読んでの関連でいうとこの箇所が注目できる。


丸山 (……)つまり、政治学の自立性を得たいといことと、マルクス主義に対するぼくの大きな不満と、その二つが動機としてあった。たとえば、マルクス主義で言えば、ファシズムの定義は「独占資本の暴力的支配」ということになるでしょ。いったい、それで説明できるのかと。
 「ハイル・ヒットラー!」という何万の大衆が、独占資本の暴力的支配で説明できますか。ぼくはできないと思う。やっぱり、そこにはファシズムのレジティメーションがあるわけです。半分はデモクラシーに依存しているわけだ。だから、ナチのイデオローグは、「なんで選挙が人民の意志を代表するのか。あんな算術的な計算よりは、人民の歓呼のほうがはるかに生き生きと大衆の意思を表現するじゃないか」と言ったんですよ。
 やっぱり大衆の意思なんです、レジティメーションは。ファシズムの恐いところは、それなんだ。単なる反動と違うところは、大衆の意思に依存しているということなんです。そこにないのは、リベラリズムなんです。それから、少数者の権利なんです。
 日本でデモクラシー一辺倒になる危うさは、そこなんです。ぼくは絶えず、何十年にわたって言ってるんだけど、むなしいね(笑)。
北沢 そこは難しいところですね。先生がおっしゃったように、アンシャン・レジームっていうと貴族と結びつくでしょ。大衆の反感を煽るのには、それがいちばんいいんです。
丸山 貴族を言うのが?
北沢 ええ。お前は貴族的だ、特権だ、と。
 (pp.160-161)


ファシズムの正当性は「半分はデモクラシーに依存して」おり、「 そこにないのは、リベラリズムなんです。それから、少数者の権利なんです」という部分は民主主義とは何かを考えるうえで必要不可欠なものであろう。


ついでにその他にもいくつか。

鶴見 (……)しかし、たとえばね、鈴木大拙は“南無阿弥陀仏と言って人を斬る”とかって書いて、日本の兵士を称揚しているんですよ(鈴木大拙『日本的霊性』、四四年)。もう、ああなったらお手あげだね。私は、それまで非常に尊敬してたわけ。
丸山 彼は大東亜戦争万々歳だったわけですよ。
鶴見 柳宗悦と鈴木大拙の間にね、一線があるんですよ。柳宗悦にそういう文章はない。鈴木大拙のほうは上海事変の時ですよ、日本の文化は偉いと見ている。南無阿弥陀仏と言って人を殺し……(笑)。私にとってはね、一二、三歳のときから人を殺すかどうかがものすごく重大な問題だったわけ。そうすると、もう、鈴木大拙はいかんねえ。
丸山 まったく賛成だ。
 (p.49)


サリンジャーとかビートニクとかが鈴木大拙を崇めているのがどうにもムズ痒く遠ざけていたもので『日本的霊性』って読んでいないのだけど、そんなこと書いてあったのか。
鈴木大拙と柳宗悦の師弟関係について大拙の秘書だった人が回想しているこんなのを見つけたけど(「柳宗悦と鈴木大拙/岡村美穂子」)こちらはいかに二人が通じ合っていたかを強調したものになっている。ちょろっと検索したら鈴木大拙と柳宗悦の差に注目した論考というのはそれなりにあるみたい。


丸山 (……)僕はね、』今、第二の『資本論』を書かなければならない時期だと思うんですよ。というのは、マルクスは第二次産業革命の時期の人間だからね、ぼくに言わせれば、現在の目で見ておかしいところがあるのは、仕方がないんです。それは時代の制約だから。当時の「生産」っていうのは、物の生産なんです。見える、タンジブルなものなんだな。情報生産のパターンはないわけですよ。情報というのは、コムニカツィオン――交通に入っちゃう。で、流通資本ってのいのは一段落ちるもんで、生産こそが、はじめて余剰価値を生むわけでしょ。情報なんて、そこに入る余地がないんです。
 それが今では、見えない情報産業というものが圧倒的に大きくなって、しかも第一次産業なんてのは有るのか無いのか分んないみたいになってしまってね、経済そのものの社会的なあり方がまるで違っちゃったわけでしょ。プロレタリアートだって、生産手段を持ってないってことということで定義づけられていたわけだけど、これだってマルクスのころはノミとかツチとか機械とか、タンジブルなものなんですよね。バーナムの言葉を借りれば、マネージャリアル・レボリューション(経営者革命)以前の段階。生産手段の所有者が支配するという観念をマルクスは持っていて、経営者というものが現れて、それが牛耳っちゃうということは、彼の予想を超えていたと思うんです。だから新たな『資本論』がかかれなければいけない。
  (pp.102-103)


ひらたくいってしまうと情報産業時代の『資本論』が必要だということで、そうだよなあという気分にならないこともないが、無理であろうしできると思うべきでもないという気分にも。まあ『資本論』というのはいろいろな読み方ができて、とりわけ第一巻は19世紀の工業化された、されつつある都市における労働者残酷物語を描いたルポルタージュという一面も持っている。21世紀における労働者残酷物語というものを広く共有することは必要だとは思うのだが。


「丸山 (……)それ以後、分析哲学、つまりぼくの嫌いなカール・ポパーにいたるまで、ああいうアナリティカルに鋭い論理が出てきたわけです。」(p.105)なんてとこがあったが、丸山ってポパーのこと嫌いだったのか。そう言われるとそうかなという気もする。このあたりは有名な話なのかもしれないが。


最後に冒頭付近のところを引用しておこう。丸山の体調が優れないことについてから。

丸山 (……)体のことに戻ると、実際に困るんです。外から見るとなんともないけど、片肺ですから身体障害者でしょ。原爆をうけたから原爆手帳も貰えるんだけど、貰ってない。ただ、ああいうのは貰っておくと便利なんですね、満員の列車なんかで車掌に示すと席を確保してくれる……。
鶴見 貰ったらいいじゃないですか。
丸山 そうは思うんですけれどねえ……。だけど広島へも数年前(一九七七年)、初めて行った。被爆以来、行く来しないわけ、どうしても行く気しない。広島ってとこはね、被爆してない人が行って騒ぐところなんだ、あれは。ほんとに被爆した人間はとうてい行く気しない。それを、やっと勇を鼓して行った。
 (p.11)


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