また発見!

デイヴィッド・ロビンソン著 『チャップリン』





チャップリンが舞台『シャーロック・ホームズ』によって地方巡業に加わりはじめたころ、ある事件に遭遇する。このけんか騒ぎについて地元紙は「チャールズ・チャップマン」が「一部始終この目で見ました。原告の証言に嘘偽りはありません」と証言したという記事を載せている。
この時の模様を関係者はこう振り返っている。「翌週の月曜日私たちはストックポートにいました。証人として裁判所に呼び出されたのです。チャーリーが最初に証人台に立ちましたが、ロンドン訛りがひどくて誰も彼の言葉がわからない。巡査部長が彼の肩をつついては「もう少しはっきりしゃべってくれんかね」と繰り返し言うんですが、チャーリーは女主人を蹴とばした男に憤慨していることもあってひどく興奮している。それでもすったもんだのあげく証言を最後まで終え、男はたしか三ヶ月の刑務所送りとなりました」。

これは1903年、ラジオ放送もない時代のこと、人々は自分の居住地区以外の訛りにはなれておらず、チャーリー少年が興奮してまくしたてるコックニーはロンドン以外の人にとってはちんぷんかんぷんだったのだろう。「チャップマン」と名前が間違っているのもよく聞き取れなかったということなのかもしれない。
ハリウッドの渡った後もインタビューで彼の「ロンドン訛」について触れられることもあったそうだが、トーキーの時代になると「訛は完全に姿を消してしまう」のであった。
しかし上巻81ページの注によると、ジョージ・ヘイルは1929年にある人物がコックニーを指摘してチャップリンを動転させたことを回想しているのだという。その人物の名は「アイヴァ・モンタギュー」。

そう、スポトーの『ヒッチコック』では若きヒッチコックを窮地から救い出す姿が描かれ、『ナチを欺いた死体』では主人公の弟にして卓球愛好家にして映画プロデューサーにして左翼活動家にしてソ連のスパイとして登場するあのアイヴァー・モンタギューがここにも顔を出しているのであった。

モンタギューは「アメリカの音声技術を学んで自分たちの映画を作りたい」と願っていたセルゲイ・エイゼンシュテインとグレゴリー・アレクサンドロフを伴ってハリウッドに来ており、ジョージ・バーナード・ショーとH・G・ウェルズの紹介状のおかげでチャップリンと面会することができた。三人はチャップリンに暖かく迎えられ、しばしテニスの相手を務めることになる(先の会話もこの頃に交わされたのだろうか)。
1930年の夏にモンタギューらがチャップリン宅を訪れると、そこにいたのは『アンダルシの犬』と『黄金時代』によって「悪名を馳せていた」、「若きスペイン人」、ルイス・ブニュエルであった。「会話は身ぶり手ぶりによって苦労しながら行われ」、「ブニュエルが完璧なフランス語を話すのをモンタギューとエイゼンシュテインが知ったのは、かなりたってからのことだった」そうだ(下巻 p.106)。

たしかブニュエルはハリウッド時代のエイゼンシュテインについて自伝でボロクソに言っていたんじゃなかったっけか(間違っていたらごめんなさい)。ちなみにブニュエルはチャップリンについても「乱交パーティ」の手はずを整えてくれたということを書いている。





モンタギュー家は名家で資産家、おまけにアイヴァーは左翼活動家でもあるのでいろいろと顔が広いのは当然といえば当然なのだが、この時代の映画関係の本を読むとほんとによく顔を出している。多分昔読んだものでもちょいちょい登場していたのだろうが、『ナチを欺いた死体』を読んで以降はこの名前が登場するたびに気になってしょうがない。
モンタギューはハリウッドでのエイゼンシュテインとの思い出を、そのものずばりのWith Eisenstein in Hollywoodという本を書いている。これは未読だかいつの日にかは。





チャップリンはユダヤ人ではないがユダヤ人であるということが一部で信じられてもおり、ナチスがチャップリンをユダヤ人だとして槍玉にもあげることになる。チャップリンは『独裁者』で「公然とユダヤ人の登場人物を演じ」、「私は世界じゅうのユダヤ人のためにこの映画を作った」と堂々と発言する。「そのころにはもう、自分がユダヤ人だと言われても頑として打ち消そうとはしなくなっていた」(上巻 p.200)。そしてアイヴァー・モンタギューにこう語っていたのだという。「ユダヤ人と言われて否定する人間は反ユダヤ主義者の術中に陥る」。

いやあ、かっこいいですね。ということで本書の中のチャップリンの名言をいくつか。
シン=シン刑務所を訪れたチャップリンは即興でこう演説した。「わが兄弟で同朋でもある犯罪者諸君、そして罪深き人々よ。キリストは言った。「罪無き者まず石をなげよ」と。私には石は投げられません。そこで石のかわりにパイをこれまでたくさん投げてきました。でも私には石は投げられないのです」(上巻 p.361)。

1931年にはインタビューにこう答えている。
「愛国心というのは、かつて世界に存在した最大の狂気だよ。私はこの何ヶ月かヨーロッパ各国をまわってきたが、どこでも愛国心がもてはやされていた。これがどういう結果になるかというと、また新たな戦争だ。願わくば、この次は老人を前線に送ってもらいたいね。今日のヨーロッパでは真の犯罪者は老人なんだから」(下巻 p.129)。

「一九三一年のイギリスではとうてい受け容れられなかった」この発言だが、まさにこのテーマを扱ったレマルクの『西部戦線異常なし』(原作は1929年、映画は1931年)があったことを思うとこういう考え方をしていた人はそれなりにいたのかもしれない。もっともこのような人たちが無力であったことが明らかとなってしまう10年となってしまうのだが……。



本書には補遺として「FBI対チャップリン」も収録されている。ご存知の通り赤狩り時代にチャップリンはアメリカを追放されることになる。FBIはそれ以前からチャップリンを調査しファイルを作成しているのだが、「このファイルの驚くべき点は、FBIの熟練した捜査技術とか、その邪悪な手口とかいったものではなくて、いかに彼らが愚かで、その捜査がぞんざいか、それが多くのレポートから否応なしに読みとれる」のだそうだ。
チャップリンが再びアメリカの地を踏めるようになってもファイルにピリオドが打たれることはなかった。最後の文書は1978年、チャップリンの遺体が盗難にあった際にFBIが捜査のために霊媒師(!)を訊問したものなのだとか。

また写真も多数収められていて、それを見ているだけでもいろいろと楽しいのだが、個人的に目を奪われたのは1918年に戦時公債呼びかけ集会に参加するチャップリンの横に「立って」いるフランクリン・ルーズヴェルトの姿である。ポリオにかかるのはこの後なんだよね。こういうのはあまりよくないのかもしれないが、ルーズヴェルトの足が不自由になることがなければあそこまでの政治家になれたのだろうかということをつい考えてしまう。

ちなみにチャップリンのいわくつきの性的嗜好についてのゴシップに興味があってこの伝記を手に取った人は少々期待外れに終わるかもしれない。チャップリンが触れたくない(つまり自伝に書かれていない)私生活について完全にスルーされているわけではないが、かなり控え目でスキャンダラスな要素は押さ気味であった。このへんについては『ハリウッド・バビロン』がすさまじくも面白いのですよね。



プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR