『2666』

ロベルト・ボラーニョ著 『2666』




ボラーニョはこの作品を迫り来る死を意識しながら書いていたようだ。出版が死の一年後であったことを考えると間に合わなかったとすることもできるし、また「初版のための注記」でイグナシオ・エチュバリアが書いているように「ボラーニョが亡くなったときに遺された小説は、彼が構想していたものに限りなく近い」のであるとするならば、間に合ったのだとも考えることができる。

邦訳は二段組で850ページを超える(厚さの点でも)超大作であるこの作品は五つの部からなる。
ボラーニョは生前それぞれを一年に一冊ずつ、五巻本の形で出版するように遺言を残していた。これは遺族、並びに出版社への経済的配慮でもあった。しかし遺族と生前にボラーニョが「文学的な問題について助言を依頼すべき人物」として指定されていたエチュバリアは、一冊の長編小説として出版する形式を選んだ。

短いもので70ページほど、長いものでは250ページを超える各部は、それぞれを独立した中・長編としても読めるが、やはり相互の連関にこそこの作品を読み解く鍵があるのだとすれば、やはり一巻本という形こそふさわしかったのかもしれない。


西ヨーロッパの文学研究者たち、メキシコの大学教授、アメリカ合衆国のアフリカ系アメリカ人の雑誌記者、これらの人物をつなぐのがドイツの謎の作家アルチンボルディであり、アメリカと国境を接するメキシコの架空の(しかしモデルは特定される)町で起こる大量殺人事件である。

しかしこれらの脈略のないかのような人物や事件が一点に収斂していく、「すっきり」とした構成なのかといえばそうではない。すべての謎が明らかにされるミステリーのような展開を期待すると、パズルのピースがぴったりとはまりきらないことに肩透かしをくわされるかもしれない。パズルのピースがなぜぴったりと隙間なくはまるのかといえば、それは人工的に切り分けられたものであるからだ。ボラーニョがこの作品で目指したのはそのようなものではないだろう。

アルチンボルディと大量殺人の他にも共通するモチーフがある。それは夢と狂気である。狂気におかされようとする人がおり、登場人物たちはしばし夢を見る。しかし我々は、夢を見ているときにはそれが夢であるかを疑わず、狂っているときには自らが狂気にあるとは感じない。最終の第五部ではいくつかの謎が明らかになるが、一方でこれが夢ではないと、あるいは狂気でないと断言することはできない。ゴシック風の始まり方をするこの部では、視点人物は入れ替わり、いくつもの入れ子状に物語が塗りたくられる。多くが語られ、それでいて語られずに放置されている部分も多い。第五部を読み終えた読者はそのまま第一部へと戻り読み返したくなる衝動にかられることだろう。これをもたらしているのは間違いなくその長さである(この物語を一度で全てを記憶することなど不可能だ)。

この小説は冷徹な計算の元に切り分けられたパズルではない。ごつごつとした、不ぞろいな自然な石を積み重ねていくかのような小説だ。ある部分では驚くほどきれいに石と石とが噛み合う、またあるところでは不安をもたらすほどの隙間が生ずる。そしてその積みあげられていく石は、いつの間にか円環をなし、どこが起点でどこか終点であるかもわからなくなる。力まかせに積みあげられたかのようにすら思えるその石の壁を見上げると、その強度に読者はおののくことになる。

エチェバリアも引用しているこんな箇所がある。哲学教授アマルフィターノはある薬剤師と小説についての会話を交わし、こう思う。
「薬剤師の趣味ははっきりしていて、彼は明らかに、疑いようもなく、大作よりも小さな作品を好んでいた。『審判』ではなく『変身』を選び、『白鯨』ではなく『バートルビー』を選び、『ブヴァールとペキュシュ』ではなく『純な心』を、『二都物語』や『ピクウィック・クラブ』ではなく『クリスマス・キャロル』を選んでいた。なんと悲しいパラドックスだろう、とアマルフィターノは思った。いまや教養豊かな薬剤師さえも、未完の、奔流のごとき大作には、未知なるものへ道を開いてくれる作品には挑もうとはしないのだ。彼らは巨匠の完璧な習作を選ぶ。あるいはそれに相当するものを。彼らが見たがっているのは巨匠たちが剣さばきの練習をしているところであって、真の闘いのことを知ろうとはしないのだ。巨匠たちがあの、我々皆を震え上がらせるもの、戦慄させ傷つけ、血と致命傷と悪臭をもたらすものと闘っていることを」(p.228)。


エチェバリアによるとボラーニョはこの作品にある書き手の存在を想定していたようだ。『2666』というタイトルからして過去のボラーニョ作品との関連を無視することはできない。もしボラーニョがこの作品を完全な形で仕上げることができていたなら、そのあたりについてもっとはっきりとした目配せを忍び込ませていたのかもしれないと思わないこともないが、もちろんそのような痕跡をあえて消したであろうとも思える。病に冒されたボラーニョの執筆作業すらもこの作品の一部であるとすら考えたくもなり、まさに小説家としての「真の闘い」を繰り広げた結果なのである。そう、これは「未完の、奔流のごとき」、「未知なるものへ道を開いてくれる」長編小説である。
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佐藤太郎(仮)

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