『カフカ家の人々』

アンソニー・ノーシー著 『カフカ家の人々』





文学作品を読み解く際に何でもかんでも作者の伝記的事実に還元してしまうことは慎まなければならない。とはいえ伝記的事実を一切反映させることのない作家などいないであろうし、何よりも読者としては好きな作家その人の生涯を知りたいという欲望にかられてしまうのもまたやむをえないことではある。とりわけカフカという作家については。

カフカは自分の人生において何かしらショッキングな出来事などがあると、それを小説という形に置き換えることをよく行った。もちろんそこはカフカのこと、ありきたりの私小説とはまるで違う作品へと変貌を遂げることになる。しかしカフカの代名詞ともいえるあの悪夢的迷宮世界は、一般に受ける印象以上にカフカの実人生から流用した人物造形や設定が多いのかもしれない。
そして投函されることなく終わったあの痛ましくもすさまじい『父への手紙』に代表される、カフカが残した日記や書簡は独立した文学作品とすることができるほど印象深いものだ。これを読み解くためには伝記的事実の知識は欠かすことはできない。


本書はそのタイトルの通り、カフカの父方母方の一族を扱っている。
フランツは父方のカフカ家ではなく、自分は母方のレーヴィ家の人間だと感じていた。カフカの親友にして伝記も書いたマックス・ブロートは、カフカのレーヴィ家の叔父たちについてフランツの母(つまり彼女から見れば兄弟)から主として情報を得ていたが、母親は兄弟の出世について大分「水増し」して語っていたようだ。彼女からするとこれは、とりわけアルフレートとヨーゼフの二人には「賛嘆の念」を持っていたことからくるものだったようだ。

アルフレートとヨーゼフの出世に大きな力を貸すことになったのはフランスのヴァリヤ兄弟であった。この兄弟は「アメリカ合衆国がパナマ運河の支配権を獲得」する工作を行い、「ヘイ-ヴァリヤ契約」としてその名を残している。
ヴァリヤ兄弟のフィリップはドレフュスと理工科学校で同級生であり、ドレフュス事件の「証拠」とされた明細書の筆跡を本物と比べることを思いつき、その不一致を明らかにした人物でもあった。後にパナマへの投資をめぐっては「パナマ事件」として一大スキャンダルとなり、「パナミスト」という「呼び名はフランスでは詐欺師と同じ意味の罵り言葉となった」そうだが、この事業にユダヤ人が多く関わっていたことからさらにこれは反ユダヤ主義と結び付けられた攻撃がなされた。カフカは生前には激しい反ユダヤ主義に直面し、ヘブライ語を学んでパレスチナへの移住も真剣に考えていたし、カフカ家の人々の多くはその後ナチスによって収容所で命を落とすことになることを合わせると考えさせられる。

このような反ユダヤ主義の高まりもあって、ヴァリヤ兄弟はレーヴィ兄弟に国外のポストを世話することになる。
1891年にヨーゼフはベルギー領コンゴで鉄道の敷設に従事することになる。つまりジョゼフ・コンラッドとほぼ同時期にカフカの叔父がコンゴにいたのである。それだけではなくカフカはヨーゼフの体験を小説の題材にしようとメモを作っており、「カルダ鉄道の思い出」にはその反映が窺える。そして「アカデミーへの報告」では、コンゴでの現地人を「バブーン(ひひ)」扱いするという人種差別をひっくり返し、「感受性の強い猿(ロートペーター)を物語の主人公に選ぶ」のであった。ヨーゼフはコンゴの後に中国で働くが、著者は「支那の長城」との関連を想起している。さらにヨーゼフはカナダへと渡ることになる。「カフカは長編『アメリカ』を書き始めるおよそ三年前に実際に北アメリカに住む叔父を持っていたのである」。


カフカは就職先を探すにあたってスペインで鉄道会社の重役となっていたアルフレートのツテに頼ろうとするが、これは思うようにならなかった。アルフレートが甥っ子に冷淡だったのではなく、ヴァリヤ兄弟の世話によって就いたそのポストには肩書きほどの権限はなかったようである。スペインでの鉄道事業には苦労を強いられたが、それでもスペイン政府から勲章を送られるほどの働きを果たしていた。そして1905年には、アルフレートは「第七回国際鉄道会議」出席のためにワシントンを訪れ、この会議の出席者はセオドア・ルーズヴェルトからホワイトハウスに招かれる。ルーズヴェルトはヴァリヤのパナマでの働きをよく覚えており、アルフレートに対して感謝の言葉を述べた。著者はこれを「カフカが『アメリカ』の「オクラホマの自然劇場」の章で合衆国大統領の桟敷席について書いたのもおそらくこれが契機となったものと思われる」と推測している。カフカはこのアルフレートを「いちばん近しい、両親よりも近しい親類」とフェリーツェへの手紙に書いている。


『アメリカ』(『失踪者』ではなくここではあえてこう呼び続ける)に影響を与えたのは母方のレーヴィ家の人々だけではなかった。
『アメリカ』の主人公カール・ロスマンは16歳で女中に誘惑され子どもを作ってしまったがためにアメリカに送られる。カフカにはローベル・カフカという従兄弟がいたが、彼は14歳で料理女に誘惑され父親になっていたのである。著者は「ロスマン」の名はここから取った可能性があるとしている。そして何よりも、カフカ家にはアメリカに渡っていた親戚が多数いたのである。その中の一人、オットー・カフカはアメリカでアリス・スティックニーと結婚する。スティックニー家は政治家を数人輩出している。著者は「小説の伯父に「上院議員」の肩書きをあたえ、ストーリーの一部分をニューヨークの上流階級で運ばせるという着想はきっとここに由来するのだろう」としている。

著者のこのような推測は後知恵的に過剰に小説と伝記的事実とを結びつけているように思われるかもしれないが、カール・ロスマンが大事にしている両親の写真は、「カフカの祖父母ヤーコプ・カフカとフランツィスカ・カフカの写真を模写したものである」とあればそうとばかりもいえないかもしれない。


『アメリカ』のみならず、その他数多くの作品に一族の姿が見え隠れしていることは間違いなく、またカフカの複雑なパーソナリティという点においてもカフカ家、レーヴィ家の人々は大きな影響を与えてもいたことが確認できる。
それにしてもなんといっても本書の最大の魅力は多数収録されている写真だろう。カフカ家、レーヴィ家の人々(こうして見るとフランツに似ている人がほとんどいないことが目につく。どことなく似ている人はいるけれど)、その人々ゆかりの場所(パナマやコンゴなどなど)、そしてカフカが生きていた時代のプラハの街並み。さらには貴重な一時はカフカと婚約していたユーリエ・ヴォーリツェクの写真も。


そういえば『ミレナへの手紙』の新訳も出たのですよね。実はちゃんと読んでいないのでこれを機に。






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Author:佐藤太郎(仮)
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